橘 玲たちばな・あきら
作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部超のベストセラーに。『永遠の旅行者』は第19回山本周五郎賞候補となり、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で新書大賞2017を受賞。近著に『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)、『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』(安藤寿康氏との共著、NHK出版新書)など。
この夏は、SNSが例年以上によく「燃えた」。タレントのうっかり暴言投稿、アナウンサーの「おじさん差別」発言......思い返せばキリがない。
また、炎上に限らず政治的主張、カルチャーの解釈、スポーツの見方......あらゆるところで「正義」と「正義」が対立し、衝突し、議論というにはあまりに攻撃的な罵(ののし)り合いが日々起きている。
橘玲氏の最新刊『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)では、こうした罵り合いに多くの人が飲み込まれていく理由、そしてそこから抜け出すために必要な「DD(どっちもどっち)」的な物の見方・考え方が、さまざまな事件や社会的事象を通じて提示されている。
日本のリベラルが「民族主義の一変種」であると断じたインタビュー第1回に続いて、今回のテーマは「SNSという地獄」。炎上を引き起こしているのはどういう人なのか?
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――本書には「SNSはみんなが望んだ『地獄』」というパートがあります。確かにSNSで起きる罵り合いや炎上は、「DD(どっちもどっち)」的な考え方とは真逆の善悪二元論がもとになって生まれ、燃え広がっているような気がします。
橘 SNSにおける議論や炎上騒ぎに参加する人のほとんどが、相手を「悪」と決めつけて批判すれば、「私が悪かったです」と相手が認めて謝罪し、物事が良くなると思っています。しかしこれは、まったくの誤解です。相手もまた自分のことを「善」だと思っていることを想像できていない。
「どっちもどっち(DD)だから落とし所を見つけよう」とか、「単純な問題ではないからどっちも我慢して知恵を絞らないといけない」とか、そういうことを考えるのは、ものすごく認知的なコストがかかります。それに耐えられる人は決して多くない。だからもっとシンプルな、「自分が善の側に立って悪を叩く」という物語に引きずられていくのでしょう。
――本書にも書かれていますが、「DD(どっちもどっち)派」は対立している両方の陣営から嫌われそうです(苦笑)。
橘 たしかに、インフルエンサーになりたければ、DDよりもどちらの立場かをはっきりさせたほうが確実にフォロワーを獲得できます。「親安倍」と「反安倍」の時代のことを考えても明らかで、「是々非々で判断しよう」というDD派はまったく影響力がありませんでした。
――しかしその結果、SNSやネットニュースのコメント欄は殺伐とし、キャンセルカルチャーも加速しています。
橘 パリ五輪で体操女子の代表選手が喫煙発覚で出場辞退になった件は、まさにキャンセルカルチャーの犠牲だと思います。ルールを厳格に適用すべきだと確信しているのなら、日本体操協会は選手を処分すればよかっただけです。
それにもかかわらず、選手を日本に呼び戻して出場辞退を強要したのは、(自分たちではなく)選手が決めたことにして、SNSでの炎上の標的になるのを避けようとしたのでしょう。その結果、選手は処分が不満でも仲裁や裁判に訴えることができなくなってしまった。権力をもつ者のこうした責任逃れは、きわめて不公正です。
――体操協会の対応はいかにも責任逃れという感じではありましたが、逆に言えばそれだけ「炎上」が怖いともいえるのかもしれません。
橘 表立って言うのは好ましくないかもしれませんが、大ざっぱに言っておそらく人口の5パーセントは"話が通じない人"で、なかでも1パーセントくらいは"近づきたくない人"でしょう。ハラスメントの被害を受けるのはそういう人と遭遇したときですが、現実社会では多くの場合、避けることが可能でしょう。
しかし、日本のSNS参加者が仮に6000万人だとすると、そこには"話が通じない人"が300万人、"近づきたくない人"が60万人いることになります。SNSには地理的な境界や物理的な制約がありませんから、リアルな世界なら一生会わなくてすんだような人たちと遭遇する確率がものすごく上がってしまう。
調査でも明らかなように、ごく一部の人がネットニュースのコメント欄やSNSのリプライを炎上させています。インターネットには、これまでなら社会の片隅に押し込められていた「困った人」を可視化させる機能がある。さらには、こうした炎上をビジネスにしようとする人も現われて、ますますカオスになっていく。
――そうやって「地獄化」がさらに進んでいくわけですね......。
橘 ただ、逆に言うと、「DD」的な人のほうが社会では成功すると思います。そういう考え方ができるのは、物事を俯瞰で見るための認知的な負荷に耐えられるからです。
会社の会議で年下の部下から「それっておかしくないですか」と言われたときに、DD的な人は「そういう見方もあるのか」と余裕をもって振る舞えますが、「善」と「悪」しかない人は自分が攻撃されたと思って逆上してしまう。どっちが評価されるかは明らかでしょう。
ヒヒの研究者によると、群れにおけるベータ(序列二番手)のオスがアルファ(序列一番手)のオスから攻撃されると、アルファに立ち向かうのではなく下位のオスをいじめるそうです。するとそのオスはさらに下位のオスを攻撃し、そのオスは自分より弱いメスのヒヒをいじめる。メスはどうするかというと、ほかのメスの子供に襲いかかるそうです。
強い者から攻撃されると反撃できず、ストレスレベルが上がって、その状態はすごく不愉快です。ところが、他者を攻撃するとストレスレベルが下がる。ストレスの不快感を解消する一番簡単な方法が、自分より弱い者を攻撃することなんです。
――本当に身もフタもない話ですね(笑)。
橘 人間の世界でもそういうことってよくありますよね。けれど、社会がリベラル化するにつれて、衝動的に他者を攻撃する人は集団から排除されていく。そのいっぽうで、「相手の言い分も一理ある」と考えるような、複雑で抑制的な思考の負荷に耐えられる人が「仕事ができる」と評価され、尊敬される傾向は間違いなくあると思います。
逆に言えば、善悪二元論を振りかざしてネットで炎上騒動を起こしている人は、日常生活では自分の「正義」を否定されているのかもしれません。「ネトウヨは管理職が多い」と言われますが、日本の会社では、中間管理職は上からノルマを押しつけられ、下から突き上げられて、自らの「正義」を主張するのは難しそうです。
だからこそ、日ごろの鬱憤(うっぷん)を晴らそうとする人が、右翼にせよ、左翼にせよ、SNSではモンスターになって暴れているのかなと想像します。
※第3回「世界は自由になり、多くの男は脱落し、女は幸福度が下がった」は9月4日(水)配信予定です。
■『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』
集英社 1760円(税込)
面倒な問題をまともに議論する気のないメディアへの信頼感が失われ、SNSではそれぞれが交わることのない「真実」や「正義」を掲げる。――そんな世の中ではとかく嫌われがちな、しかしそんな世の中にこそ必要なはずの【DD(どっちもどっち)】な思考から、日本や世界がいま抱えている社会問題に鋭く斬り込む
作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部超のベストセラーに。『永遠の旅行者』は第19回山本周五郎賞候補となり、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で新書大賞2017を受賞。近著に『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)、『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』(安藤寿康氏との共著、NHK出版新書)など。