ワーホリとは18歳以上30歳以下の若者が働きながら外国に滞在できる制度。オーストラリアは日本人に最も人気の渡航先で、昨年度発給されたビザ数は過去最多に ワーホリとは18歳以上30歳以下の若者が働きながら外国に滞在できる制度。オーストラリアは日本人に最も人気の渡航先で、昨年度発給されたビザ数は過去最多に

出稼ぎのつもりで渡ったものの、仕事が見つからずホームレス状態......。生活費不足で、食事はフードバンク(生活困窮者向けの食料支援)で......。ワーホリでオーストラリアに行った、そういった日本人の話をよく聞くけど、いったい現地で何が起きているの!?

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■日本人が大量流入! しかし、仕事はない

「ワーホリでオーストラリアに行った日本人が現地で大変なことになっている」といった話を最近よく耳にする。いったい、何が起きてるの?

「『仕事探しは少し大変』とは聞いていましたが、これほど厳しいとは思っていませんでした」と語るのは、今年2月からワーホリでメルボルンに渡った元看護師のユリさん(仮名、28歳)だ。

ワーホリとは「ワーキング・ホリデー制度」の略で、18歳以上30歳以下の若者が働きながら外国に滞在できる制度。急激な円安やコロナの収束が重なり、日本から賃金の高いオーストラリアに出稼ぎ気分でワーホリの制度を利用する日本人が急増。その結果、働き口に対して供給過多になっているのだ。

ユリさんは日本の病院のICU(集中治療室)で働いていた際に「日本語が話せない外国人の患者さんにもより良いケアがしたい。将来的には、日本以外の国でも看護の仕事をしてみたい」と考え、そのための第一歩としてオーストラリアでのワーホリを選んだという。

「最初の2ヵ月半は、英語力を身につけようと現地の語学学校に通いながら、カフェやレストランなどの飲食店を中心に仕事を探し始めました。ところが『レジュメ』と呼ばれる英文の履歴書を手に、市内のお店を1軒ずつ手渡しで配って回っても、面接すらしてもらえなくて......」

オンラインで応募しても読まれないので、履歴書は手渡しが基本。100軒以上回ることも珍しくないとか。日本人の履歴書が積み上がったお店もあったそう オンラインで応募しても読まれないので、履歴書は手渡しが基本。100軒以上回ることも珍しくないとか。日本人の履歴書が積み上がったお店もあったそう

今どき、職探しはネット経由が普通では?

「もちろんメールやSNSなどでも履歴書を送りましたが、それだとまず返信してもらえないので、実際にお店を回るしかないんです。

ほとんど反応がないまま30軒、50軒とレジュメを配り続け、結局、インドネシア人オーナーが経営する日本食レストランの仕事が見つかったのは150軒以上も回った後のことでした」

しかし、苦労の末に見つかった仕事も、時給は当時の最低賃金23.23豪ドル(約2416円)より安い違法状態だったという。

「しかも、働き始めてから約1ヵ月後、オーナーから突然『店を改装するので従業員は全員解雇する』と告げられて、無職に逆戻り。仕事が見つかっても、守られていない立場だから全然安心できません」

もちろん、中にはすんなりと仕事が見つかった人もいる。昨年4月にメルボルンに渡ったカオリさん(仮名、29歳)は、履歴書をほんの数軒配っただけで、あっさり現地のユニクロの販売員に採用が決定!

仕事も楽しく、時給も労働条件も良く、それから約8ヵ月、ワーホリ生活は極めて順調だった。しかし「もう1年、この国で暮らしたい」とビザの延長を考えたときから彼女の運命は一変。

オーストラリアのワーホリの場合、ビザの有効期限は基本的に1年。2年目の延長ビザを受けるためには、「ファームステイ」と呼ばれる、地方の農場や牧場での労働や、林業、漁業、鉱山などの業種で3ヵ月間働くことが義務づけられているのだ。

「延長申請するために農園でのファームステイ先を探し始めたのですが、なかなか見つからず、ネットで見つけた中国語で書かれた募集を電子翻訳して応募しました。

なんとかブドウ農園の仕事にありついたのですが、周りはほとんど中国語を話す人たちばかりだし、賃金は摘み取ったブドウの量に応じた歩合制で収入も少ない。ただ、それより困ったのは農場にトイレがないことでした......。

トイレに行きたいときには、誰かに車でトイレのある場所まで連れていってもらうか、草むらの陰で用を足すしかなかったです(涙)。しかも、そこでは名前ではなく番号で呼ばれていました。私は『2014番』でした。

その農園から逃げ出して、次の農園が見つかったのですが、地元でもガチで農業をやってきた東南アジアからの人たちがたくさんいて。彼らとの競争で農場主に戦力外と見なされれば、いつクビになるかわからない。実際、農業経験のない私はどんなに頑張っても彼らには太刀打ちできず、あえなく解雇......。

その後、なんとか3軒目の農場で仕事を見つけ、ビザ延長の条件である3ヵ月のファームステイを終えました。今はメルボルンでアパレル系の仕事も見つかり、2年目のオーストラリア生活を楽しんでいます。ただ、今後の人生で『2014』という数字を見るたびに、あの強烈な日々を思い出しそうです」

ワーホリを延長するためには農場などでの労働が義務づけられており、そこは種々のハラスメントの温床に。トイレのない農場で、番号で呼ばれていた人も ワーホリを延長するためには農場などでの労働が義務づけられており、そこは種々のハラスメントの温床に。トイレのない農場で、番号で呼ばれていた人も

それ以外にも「定員50人の宿舎に100人以上が詰め込まれていた」とか「一日中働いても日当5豪ドル(約500円)だった」といった声もあり、ビザ延長のためにはほかに選択肢がないワーホリ族の弱みを利用したブラックな農家が一部に存在するのは事実なようだ。

立場が弱いワーホリ族を狙う捕食者はほかにも。

「困窮する日本人の足元を見て安価で働かせるお店も多い」と語るのは今年2月からオーストラリアで暮らすマユミさん(仮名、29歳)だ。

「最低賃金が日本円換算で2400円以上と、日本の倍以上にもなるオーストラリアですが、家賃や物価も日本よりはるかに高いので、仕事が見つからない状態が何ヵ月も続くと、経済的にも精神的にもどんどん追い込まれてしまいます。

現地の日本人コミュニティサイトを見たら、職探しや家探しで困っている日本人を狙う詐欺に警戒するよう注意喚起されていました。追い詰められたワーホリ日本人はいいカモなんでしょうね」

職探しが難航して貯金が底を突いたため、住む場所もなくなるという日本人の若者も。彼らをカモにした詐欺も横行しているという 職探しが難航して貯金が底を突いたため、住む場所もなくなるという日本人の若者も。彼らをカモにした詐欺も横行しているという

TOEICのスコアが800点台後半と比較的高い英語力を持つ彼女も、80軒近く履歴書を配り歩いた末に日本食レストランの仕事を手に入れたものの、最低賃金以下の時給で膨大な仕事を任されるブラック雇用状態。

「それでも、この仕事を失ったら終わりだ......と、必死に働き続けていたら、だんだん『千と千尋の神隠し』の千尋みたいな気持ちになってきて」と苦笑する。

「求職中の日本人なんていくらでもいるから代わりはすぐに見つかるって考えで、最低賃金未満でブラックに働かせるんでしょうね。とあるお店では、日本人が配り歩いた大量のレジュメが机に束になって放置されていましたよ」

■英語力もスキルも根性もない日本人が多い

最後に、シドニーで人気の日本食レストランのシェフ、松谷朋之さんに、今のワーホリ日本人を取り巻く問題について聞いてみた。

「実は私自身も、2005年にワーホリでオーストラリアにやって来た日本人のひとりでした。それからもう20年近くこの国で暮らしてきましたが、ここ数年で日本人ワーホリの様子が大きく変わったと感じています。

まず、労働力としては完全に供給過多になっている。オーストラリアには日本人だけでなく、世界各地から多くのワーホリの若者たちが集まってきます。そもそも人が足りているお店も多いので、どんなに履歴書を持ってこられても雇いようがありません。

また、最近は円安で日本からの観光客も少ないので、昔のように日本語だけで働ける観光客向けの仕事もほとんどない。そうなると、職探しも世界中から集まる若者との競争になるわけで、英語が苦手な人が多い日本人はどうしても不利になります。

もうひとつ重要なのがスキルです。僕自身、20年前にワーホリで来たときは英語もあまり話せなかったけど、幸い日本で10年近く働いて身につけたすし職人としてのスキルがあったので、滞在1年目で正式な仕事が見つかり、労働ビザも取ることができた。

料理でも重機の運転でもなんでもいい、オーストラリアに来て仕事がしたいなら何かスキルを身につけておいたほうがいい。

そして根性......。どんなに大変でもそれを乗り越える強い気持ちがあれば、道が開けることもある。

例えば、徴兵を経験した韓国の男のコなんかは根性が半端ないですし、日本人でも看護師として働いていた女のコなんかは本当に頑張り屋です。

逆に驚きなのが、英語力もスキルも根性もない〝丸腰状態〟でオーストラリアにやって来る日本人が少なくないこと。それがワーホリ日本人全体のイメージを悪くしてしまい、きちんとした日本人たちの職探しも難しくしている。

もちろん、僕だって本音を言えば、日本人をひいきしたい気持ちはあるけれど、雇う側も裸一貫で来られちゃうと困るんですよね」

ちなみに、今回、取材した人たちは全員、本当に厳しい時期を乗り越えて次のステップに進んでいるという。

「本当につらい時期もあったけど、それも日本にいたら経験できなかったこと。その経験を自分の将来に生かしたい」(前出・マユミさん)

「若いときの苦労は買ってでもしろ」ということわざもあるし、それだけの覚悟があるならワーホリも悪くない?

川喜田 研

川喜田 研かわきた・けん

ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。

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