社会への不満を吐き出すために誰でもいいから人を襲う。このような「社会報復」とも呼ばれる事件が中国で多発している。日本でも話題になった「無敵の人」による犯罪を想起させる事件が、なぜ今中国で起きているのか? その闇に迫った。
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■中国全土で高まる社会不安の実態
今、中国全土で無差別殺傷事件が多発している。今年9月に深圳で起きた日本人児童殺害事件が記憶に新しいが、その後も同様の事件が後を絶たない。
一連の事件から、2019年に日本の川崎市登戸で起きた無差別殺傷(通り魔)事件をきっかけに話題となった「無敵の人」問題を想起する人も多いだろう。罪を犯しても失うものがない人が凶悪な事件を起こすという社会問題だが、今の中国では「中国版・無敵の人」ともいうべき人たちによる事件が増えている。
相次ぐ事件のウラで、中国社会では何が起こっているのか? 中国の社会事情に詳しいフリージャーナリストの高口康太氏と、中国在住の日本人で大学の教員として働いているM氏に話を聞いた。
なぜ中国で無差別殺傷事件が増えているのか? 高口氏が語る。
「コロナ禍が明けてから、中国経済が悪い方向に向かっていて国民の心に不満がたまっているのがひとつの要因だと思います。
中国では日本でいう〝失われた30年〟のような長期的不景気があったわけではないですが、コロナ禍を経て少しずつ経済が悪くなって、不安定な職に就いている人や学歴の低い人にそのしわ寄せが来ています。
最近では大学を卒業した人でも就職先が見つからずコンビニ店員やタクシー運転手などになることも珍しくなく、ところてん方式にもともとそのような仕事に就いていた人の失業が増えています。そんな中で、経済的に追い込まれた人が無差別に人を襲うのは起こりうる問題だと思います。
ただひとつ留意したいのは、中国は日本の人口の約10倍いる国なので、日本の10倍の頻度でそのような事件が起きてもおかしくないということです。
20年ほど前に日本では附属池田小学校事件という大きな死傷事件がありましたが、日本で20年に1度そのような事件が起きるとすると、中国だと2年に1回くらい起きても不思議ではないんです。なので、これまでの中国は人口比で考えた場合の犯罪発生率や死者数からすると比較的安全な国だったといえます。
最近の事件では死者数が多いことや社会全体の雰囲気が悪いこともあって、多くの事件が国際的に報道されて話題になっているのだと考えられます」
経済状況が悪化する中国の現状を、前出のM氏はこう語る。
「中国全体を覆う暗い雰囲気は、政府が打ち出したいわゆる『ゼロコロナ政策』の後半くらいからありました。まったく先が見えないので、いつまで続くんだろうと多くの人が思っていました。
でも、2年ほど前に中国でコロナの大量感染が起こり、政府が『ゼロコロナ政策』を放棄した後に、やっと景気が良くなると国民が期待したのですが実際はそうはならなかった。ここを頑張れば国全体が上向きになると思っていた分、国民の心がくじけてしまったんだと思います。
私は大学で働いていますが、20年のコロナ元年から目に見えて学生の就職活動が厳しくなっています。そうなると、自分で商売をしていた人や中国に多い出稼ぎの労働者にとってはなおさら厳しい状況です。そういう人たちが経済的に立ち行かなくなった結果、凶行に走るのは容易に想像できます」
■行きすぎた監視が「無敵の人」を生む
中国といえば、街中で多くの監視カメラが堂々と設置されるほどセキュリティに力を入れている国だ。そのような監視体制は、無差別殺傷事件の対策にならないのか?
前出の高口氏が語る。
「中国の厳しい監視体制は、確かに国民が主観的に感じる『体感治安』を向上させました。犯罪者を捕まえるスピードが速くなりましたし、一定の抑止力としては機能しているでしょう。
ただ、いわゆる『無敵の人』のようなすでに覚悟が決まっている人に対して、監視体制がどれだけの抑止力になっているかは疑問が残ります。
中国では地下鉄に乗るときにも荷物検査があるほど厳しい監視体制が敷かれていますが、本気で計画を練って人を襲おうとしている人にそれらの監視がどれだけ有効なのかは皆が疑問に思っています。
さらに、習近平政権下においてインターネット上で強まった監視体制は、犯罪の抑止につながっていないのではないか。むしろ『無敵の人』のように社会から孤立する人を増やしているのではないかと私は思います」
それはなぜ?
「順を追って話すと、中国は2000年代の胡錦濤政権下で最も高いGDP成長率を記録しました。ただ、その間も国民の間で社会不安はものすごく増殖していて、『国は豊かになったのに俺たちは貧しくなっている』という声が強かったんです。
習近平体制になってからその状況を変えようという流れになり、ネット上で中国社会への不満の声を少し漏らすだけでその投稿が削除されたり、近くの派出所に呼ばれて説教されるようになりました。
ただ、この監視の締めつけは成功しすぎた部分もあって、胡錦濤政権下では社会に不満を持った人がネットに書き込んで周りに助けを求めていたのが、今はまったくできなくなってしまったんです。そうなると、弱音を吐けずに追い詰められる人が増えてしまっているのではないかと私は考えています」
前出のM氏は、ネットでの監視体制の強化は日本人を狙った犯罪が増えていることとも関係があると語る。
「ネットへの監視が強まって以降も、日本人学校への陰謀論めいた批判の投稿は削除されていません。自国の政権批判の動画は削除するのにそのような動画は残すとなると、実質的には中国政府が日本への批判にゴーサインを出していることになります。
すると反日をあおる動画がネット上でよく出回るようになり、社会不安のはけ口として日本人を狙う犯罪が増えました。
ただでさえ中国で無差別の殺傷事件が増えているのに、中国在住の日本人にとっては日本人であるという理由で襲われる可能性も加わって、身を危険にさらすリスクがより大きくなります。
そのため日本人学校に子供を通わせている親は非常に神経をとがらせていますし、駐在員の方でも家族を日本に残して中国で働く人が増えています。本当に襲われる確率は低いといっても、人の親なら自分の子供をそのような状況下には置きたくないでしょう」
■友人がいないだけで犯罪者予備軍に?
一連の事件を受けて、中国政府はどのような対策を取っているのか?
前出の高口氏が語る。
「習近平氏が今の中国社会の暗い雰囲気をわかっているかは微妙なところですが、事件を受けて『対策をしろ』とは言っています。上へのお伺いが絶対の中国では、地方官僚が自分の自治体で絶対に事件を起こさせないために過剰な対策を取ります。つまり、市民への監視がいっそう強化されることになるでしょう。
その一例として最近メディアで話題になっているのが、『八失人員』に区分される人への監視です。これは、人生の挫折経験や交友関係の欠如など、中国政府が定めた犯罪をする人が持っているとされる8個の特徴のことです。各自治体がこのような要素を満たす住民をリストアップして、巡視員が定期的に家を訪ねるようになっているそうです。
友人がいないなんてのは個人の自由ですのでほっといてくれよとも思いますが、事件が起きて責任を取りたくない地方自治体はなんとしてでも監視を強めようとします。
ただ、監視を強めても弱者救済のためのセーフティネットが整備されるわけではないので、事件が多発する根本的な原因は取り除けないのではないかと思います。弱者救済の仕組みが整わない限り、『無敵の人』による事件は止められないでしょう」
前出のM氏も、以下のように語る。
「ゼロリスク志向が強い中国では、コロナ禍の感染対策が非常に厳しかったです。当時は理不尽な行動制限も多かったですが、私はコロナ禍で強まった監視体制が今度は犯罪者予備軍への監視に転用されるのではないかと思います。
コロナ禍で感染の疑いがある人にしたように犯罪者予備軍に認定された人に外出制限を強いることも容易にできるわけで、『無敵の人』への対策が非常に厳しいものになることが想像できます。暗い話ですが、これが今の中国社会の現状です」
中国の「無敵の人」問題は日本も人ごとではない。原因を見定め、新たな「無敵の人」を生み出さないことが重要だ。