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手軽に調達できるわりに高い攻撃力を持つ火炎瓶だが、カタギを巻き込む危険性のある放火は、ヤクザ社会では御法度とされてきたという
本家の運営方針に不満を覚えた直系組長13人が反旗を翻(ひるがえ)し、神戸山口組を発足させたことで始まった山口組の分裂から、今年で丸10年が経つ。一時は下火になったとみられていた六代目山口組との抗争は、いまだ沸々と燃えている。
そして1月、神戸山口組の井上邦雄組長の自宅に火が放たれるという事件が起きた。神戸側が穴熊作戦を展開し、手出ししにくい状況に置かれるなかで六代目側が強硬策に打って出た格好だ。
■抗争実績が乏しい組織による「特攻」
事件は1月19日午後6時半過ぎに発生した。
神戸市北区鈴蘭台東町の井上組長宅の敷地内に男が侵入。火炎瓶を投てきして、車2台とフェンスや物置の一部を焼失させた。そして、異変に気付いて駆けつけた本家詰めの組員や警戒中の警察官に対し、所持していた拳銃を向けるも発砲せずに取り押さえられ、公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕された。社会部デスクが解説する。
現場となった指定暴力団「神戸山口組」の組長自宅付近。事件当時は、複数回の爆発音が鳴り響いた
「逮捕されたのは75歳の男で、浜松市に本部を置く六代目側の國領屋一家の元幹部ですが、事件当時はすでに破門になっていたようです。六代目側の主要拠点の神戸や名古屋は特定抗争指定で警戒区域となり、事務所の使用禁止などの規制を食らっています。
しかし、国領屋一家はこの間、抗争で直接的な攻撃に打って出た機会はあまりなかったことで、浜松は警戒区域外となっており、国領屋一家の本部事務所は12月の事始めや他組織との親睦会などの会場として重宝されています。
これまでは組運営を下支えしてきたけれど、満を持して抗争に参戦してきた可能性もあります。そのための実行犯として白羽の矢が立ったのが、破門されて不遇をかこっていた高齢の元幹部だったのでは」
■火柱と爆発音
しかし、男の暴れっぷりは後期高齢者とは到底、思えないものだった。
「男は持参したロープを伝って井上組長の自宅の塀を乗り越えて敷地内に侵入し、駐車場のプリウスなどに火炎瓶を投げつけ、大きな火柱が上がった。近隣住民も爆発音を複数回聞いています。事件当時、井上組長は在宅していたとみられ、もし自宅に突入していたら大事件になりかねない事態でした」(前出社会部デスク)
ちなみに今回の事件があった井上組長宅は、2022年6月にも六代目側組員によって17発もの銃撃を受けている。六代目側の包囲網で井上組長が外出制限を余儀なくされるなか、格好の標的となっている。
「井上組長の自宅は高さ3メートル以上の高い塀が施されて、身の回りの世話をする側近組員が常駐しており、そのうえ周囲を警察官が警戒しているので単身で乗り込んだところで与えられるダメージは限定的です。
ただ、事件から6日後の1月25日は六代目側の司忍組長の83歳の誕生日で、愛知県内で祝宴が催されている。國領屋一家は、司組長の誕生日の前祝として、特攻をかけたのではないかと思われます」
■抗争でも放火は御法度?
そう話すのは、暴力団事情に詳しいA氏だ。A氏によると、後期高齢ヤクザの武功には脱帽の声も上がる一方、火炎瓶を使った放火という手口については、ヤクザ業界でも賛否両論が渦巻いているという。
「旗色の悪い神戸側の幹部は自宅に引きこもっているので放火は効果的な手段ですが、そもそも極道の抗争においては、放火は避けられてきたという歴史もあります。延焼によりカタギを巻き込む可能性があることもそうですが、ヤクザの源流の一つに江戸時代の町火消があることとも関係しています。
ちなみに、今なお地元の消防団に所属するヤクザは少なくないのもそのなごり。それでも今回、敢えて放火という手段を選択したのは、籠城を決め込む井上組長に対し、引退しない限りはどんな手段を尽くしても付け狙うというアピールですが、近隣住民に危険を晒す行為だけに警察を必要以上に刺激する可能性もあり、失策とする声もあります」(A氏)
■帰参者は要職抜擢
神戸側を執拗に追い詰める六代目側だが、井上組長から離反した幹部に対しては厚遇している。
「2020年に井上組長のもとを離れ、21年に六代目側に幹部の役職で復帰した山健組の中田浩司組長が、1月24日に若頭補佐に昇進して執行部入りを果たしました。
中田組長は、19年の弘道会組員銃撃事件で、昨年の1審判決で無罪を言い渡されていますが、控訴審ではどういう判決が待っているか分からない。それでも、若頭補佐という要職に就いたのは、井上組長を離反して、山健組員の相当部分を引き連れて帰参したという功績を評価したものとみられます。
六代目側が中田組長を評価しているのは、『司』という文字をいまも使っていることからもみてとれます。親分の名前である『司』と『忍』の文字は、原則的に渡世名に使ってはいけないという通達がありますから」(実話誌記者)
帰参者に対しては重要ポストを与えて処遇する一方、井上組長に対しては徹底的に攻撃を続ける六代目山口組。このアメとムチ作戦が、10年戦争となった分裂抗争の帰結を左右する。
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