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矢内裕子やない・ゆうこ
ライター&エディター。出版社で人文書を中心に、書籍編集に携わる。文庫の立ち上げ編集長を経て、独立。現在は人物インタビュー、美術、工芸、文芸、古典芸能を中心に執筆活動をしている。著書に『落語家と楽しむ男着物』(河出書房新社)、萩尾望都氏との共著に『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)がある。
写真/©吉原重治
2022年に台風15号が静岡県を襲った際に投稿されたツイート(現ポスト)。写真(上の3点)はAIによる生成画像だが、ぱっと見では真贋の見極めが困難だ。堀さんは新書の中で投稿主にもインタビューしている
2016年の熊本地震ではSNS上で「ライオンが動物園を抜け出して町を歩いている」という情報が広がり、2022年の静岡豪雨ではドローンから撮ったという現地の被害の写真が拡散された。いずれも偽情報だ。
なぜ災害時にデマは生まれ、拡散されてしまうのか? 現地のリアルなSOSを発信する活動を続けているジャーナリストの堀 潤さんと、社会学者の関谷直也さんのおふたりに話を聞いた。
* * *
地震国であり台風や水害に毎年襲われる災害大国・日本。
昨年、元日に起こった能登半島地震は各地に甚大な被害をもたらし、石川県珠洲市の一部など、いまだ水道が復旧していない地域も残されている。
インターネットが生活のインフラとなった現代は、災害と同時に誤情報や偽情報、フェイク画像もSNSで拡散され、結果、大切な情報がデマに紛れてしまう事態も起こる。
非常時において、私たちはどのような態度で情報に接すればよいのだろうか。
2月に新書『災害とデマ』を刊行したジャーナリストの堀 潤さんはこう話す。
「災害時には社会が持ついろいろな問題が凝縮して現れます。さまざまな災害現場を取材した経験をまとめておきたいと思い、本のテーマにしました。
取材していると、メディアの暴力性や権威主義的な姿勢に気づかされる瞬間があります。メディアの中にいる立場だからこそ、自分から変えたいという気持ちはずっと持っていました。
そのためにNHKを退職し、市民メディアを立ち上げ、模索してきました。みんなで解決策を考えたいと思いながら書いた本です」
堀さんがNHKで報道番組を担当していたときに東日本大震災が起こった。日々、ニュースの現場に立ち、自身もTwitter(現X)で情報を発信。2012年に市民参加型ニュースサイト『8bitNews』を立ち上げ、13年にNHKを退局した。
その後はフリーランスのジャーナリストとして、東京電力福島第一原発事故を巡る検証やドキュメンタリー映画の製作、生成AIによる「認知戦」の現場取材などを続けてきた。
災害が発生すると堀さんは自分のLINE IDをSNSで公開し、「情報発信の支援が必要な人は連絡をください」と被災者に呼びかける。
「LINEには短時間で多くの切実な反応が返ってきます。そこから連絡をくださった人と直接やりとりし、どの情報が今、耳を傾けるべきSOSなのかを精査します。必要だとわかれば一緒に発信をしながら、私が現場に急行する。
玉石混交の情報の渦の中から、どれが本当のSOSなのかを見つけ、速やかに発信し、救援・支援につなげる――今の時代に必要なのは、市民の皆さんと一緒につくる、こうした報道の形だと信じて、この12年間、活動を続けてきました」
東日本大震災が発生した2011年、14.6%だったスマートフォンの個人保有率は、今や78.9%に及ぶ。災害時に情報へアクセスしやすくなった半面、ネット上に流れる「デマ」も問題になってきた。
今やインターネットは生成AIによる認知戦の戦場と呼べる。フェイク画像、フェイクニュースがさまざまな思惑で投稿され、拡散されてゆく。
2016年の熊本地震では「動物園からライオンが逃げた」というデマが写真とともにSNSに投稿され、1時間で2万以上転載された。その結果、熊本市動植物園には問い合わせが殺到した。堀さんは動植物園の現場にいた松本充史さんに取材し、当時のつらい気持ちを聞いている。
「熊本県警は地震発生から3ヵ月後に、神奈川県在住の20歳の男を偽計業務妨害の疑いで逮捕しています。災害時にデマを流した容疑で逮捕されたのは、全国でも初めてのことでした。今や簡単にフェイク画像・情報を発信できる時代です。対策を考えるためにも、当事者と対話してみたいと思いました」
こうした思いから堀さんが取材を申し込んだのは「くろん」というハンドルネームの男性だ。
「2022年9月に静岡県を襲った台風15号関連の豪雨災害が起きたとき、静岡県内で多数の住宅が水没したという、偽の画像をSNSで拡散させた人物です。
男性はインプレッション(閲覧・表示)数が1000を超えた段階で、この画像が生成AIで作られた偽情報であると明かし、謝罪を投稿しました。同時に、こうしたフェイク画像が簡単に作られ、拡散していく現状への警鐘だとも語っていたんです。
私はこの台風15号の現場を取材している最中だったので、本当に水害で苦しんでいる人が誤情報で傷ついたことも知っています。一方で、この男性が言うとおり、誰もが生成AIでディープフェイクを作ることが可能になっています。何が有効な対策なのか、この男性と対話することで、考えてみたいと思いました」
くろん氏はどのようにAIに指示を出したか、どうすればSNSで「バズる」のかについて語ったという。
「話してみると、男性は悪いことをしたとは思っていなかった。むしろ種明かしをすることで啓蒙したと考えているようでした。男性が言っていた対策は『よく見る・よく調べる・専門家の判断を待つ』という、基本的なことでした」
また、堀さんは「デマが人々を動かすことよりも危機感を抱かせることがある」と言う。
「ある程度のリテラシーを身につけた人たちが『情報を簡単に信じてはいけない』と距離を置くことで、本当のSOSも遠ざけてしまう可能性です。
ほかの例では、2018年の西日本豪雨の際に、窃盗グループが被災地に入ったというデマが拡散されました。広島県警が否定しましたが、これによりボランティアを警戒する動きが出てきたのです」
2018年7月18日、「伝えてください」という市民からの連絡を受け、堀さんは西日本豪雨の被災地、広島県三原市を訪れた(撮影/堀 潤)
SNSで偽情報を拡散した人は、良かれと思って、軽い気持ちで転載したはずだ。けれど災害時のような緊急事態のときほど、情報の発信者や時間を確認し、冷静に判断することが必要だろう。
デマにダマされることを恐れるあまり、必要な情報までシャットアウトするのでは本末転倒だ。では専門家は「デマ」のメカニズムについて、どう考えているのだろうか。
『災害情報――東日本大震災からの教訓』などの著書がある、社会学者で東京大学教授の関谷直也さんは「災害時などに広がる『流言』は平安時代にもありました」と語る。
「災害時に流れる噂について、一般的に『デマ』という人もいますが、研究者はデマとは区別して『流言』と呼びます。災害後に根拠のない話が広まるのは『流言』で、『デマ』は誰かをおとしめようと悪意を持って流されるものです。問題となる『流言』にはいくつかの種類があります」
流言の例をいくつか挙げてみよう。
動物の異常現象など、災害を予知できたとするもの、災害の再来に関するもの、災害後の犯罪などに関するもの、人種など特定のグループに対する差別的なもの――などだ。
「災害の直後は何が起こっているかわからないので、誰もが『不安』です。なぜこんな目に遭ったのかという『怒り』もあります。同時に、また災害が来るぞ、気をつけろといった類いの流言を伝えて誰かの役に立ちたいという『善意』の気持ち。これら社会心理を背景に流言が広まります。
被災地に外国人窃盗団が来ているといった流言も不安や怒りだけでなく、注意喚起を促す気持ちが含まれています。そうした流言が生まれる地域には、外国人技能実習生が増えているなど、何かしらの背景があります。リアルな要素が災害時に不安、怒り、善意などの気持ちと結びつくことで流言になるんですね。
一方の『デマ』は誰かをおとしめるために悪意をもって伝える言説を指しますから、みんなが被災しているような状況で、特定の人物に向けたデマはあまり流れないんです」
「デマ」は「デマゴギー」の略語だ。本来は政治的な目的で、意図的に虚偽の情報を流すことをいう。語源は古代ギリシャの扇動的民衆指導者を表した言葉だといわれている。一般的な虚偽情報を指す「デマ」は和製英語で、日本独特の用法だという。
「流言は多くの人が無意識に思っていること、感じていることから生まれます。『地震の前に地震雲が出ていた』といった流言を『後予知の流言』といいますが、そこには『災害が起こることを、予測できるのではないか』という願望があるんですよね」
突然の災害が起こったとき、自分の中で納得のできる理由を求める心理が働く。同時に次に起こる災厄に対して防ぐ方策を見つけたいという思いもあるだろう。
「流言はあくまで人づてに広がります。ある話が人を介して語り継がれるときに、無意識に持っている要素がつけ加えられ、変質していくんです」
多くの人が共有している社会的な無意識と結びついているからこそ、流言は非常時に人を惹きつける。その言説をいきなり信じるのではなく、正誤を判断するためには、どうしたらよいのだろうか。
「『流言は智者に止まる』という、中国の思想家・荀子の言葉があります。不確かな情報は賢い人のところで止まるという意味です。流言を防ぐことはできません。正しいかどうか確信が持てない情報は拡散しないことをひとりひとりが心がけるのが大切です」
目の前の情報が流言のパターンにはまっていないか、信頼できる発信者なのかを確認してからでも、拡散するのは遅くないのだ。
「SNSは便利なツールですが、救助情報の発信には向いていません。現在の技術では、SNSで救助要請しても正確な位置情報がわからないので実動につながらないんです。
2017年の九州北部豪雨災害のとき、Twitterで200件ほどの救助要請があり、4200万人ほどに拡散されました。その中で実際に救助につながったのは数件です。うまくいったのは限定的なケースでした」
今まで見てきたように、正誤入り乱れるインターネットの情報の海で、どうすれば良いコミュニケーションが取れるのか。
堀さんの活動に戻ろう。届いた情報をひとつずつ精査し、自分自身が現地に足を運ぶことで、被災者の声を届け、支援につなげている。
「大事なのは小さな主語を使うことだと思っています。『被災者は◯◯だ』と言ってしまうと、地域や立場によって『自分は違う』と感じる人が必ず出てきます。能登半島でも、復旧の状態は一律ではありません。いろいろな事情が混在しています。
だから私は『△△に住む、◯◯さんの場合は』と、なるべく主語を小さくして報道したいんです」
2024年1月5日の石川県河北郡内灘町。液状化で地区全体が傾いている(撮影/堀 潤)
同年9月23日の石川県輪島市門前町。1月の地震に続き、9月には豪雨が石川県を襲った(撮影/堀 潤)
小さな主語で報道するためには、取材対象への丁寧な取材と、人間関係の構築が欠かせない。堀さんのこれまでの活動があってこそだろう。
「デマ拡散の当事者である男性と話したとき、『記者が実際に災害現場に行って行なう報道活動に価値がある』と言っていました。くしくも自分が大事にしていることを言われたんです(笑)。
自分がNHKにいたからこそ思うのですが、これまでのマスメディアは権威的で裸の王様でした。多くの人が参画しやすい環境を持ったメディアをつくることで、価値観が共有できると思っています」
堀さんの著書に掲載されている被災者の写真はどれも笑顔だ。
「現場では、被災された方々の生活者としての日常に出会います。時に冗談を言い、笑い合い、励まし合う姿。しかし、メディアが短絡的に切り取りがちなのは悲しみ、苦しむ『被災者』の姿です。今こそ、愚直な姿勢で現場の本当を伝え続けたいです」
ライター&エディター。出版社で人文書を中心に、書籍編集に携わる。文庫の立ち上げ編集長を経て、独立。現在は人物インタビュー、美術、工芸、文芸、古典芸能を中心に執筆活動をしている。著書に『落語家と楽しむ男着物』(河出書房新社)、萩尾望都氏との共著に『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)がある。
写真/©吉原重治