「ほかのレスラーとはレベルが違う」と豪語するIWGPヘビー級王者、オカダ・カズチカ。191cm、107kgという恵まれた肉体に加え、50mを5秒94で走るという驚異的な身体能力を持つ、26歳の怪物王者の素顔に迫った!!
■「トップにいくなら最初から生意気でいい」
―2012年2月に24歳3ヵ月の若さでIWGPヘビー級王座についた後、8月には真夏の祭典『G1クライマックス』を史上最年少で制しました。当時の心境は?
オカダ 苦労して何度もトライして獲得したわけじゃなくてIWGPもG1も最初の挑戦でしたけど、まぁ、これくらいは当たり前だと思ったし、やっと僕の時代が始まるんだなという気持ちでしたね。
―これまでプロレスでトップに立つのは30歳前後の選手が多かった。オカダ選手はいわば、ぶっちぎりの飛び級ですね。
オカダ 出世が早いと言われても、僕にしてみたら遅すぎるくらいの感じですよ。16歳でプロレス界に入ってますし。24歳でトップに立って今26歳でしょ。30歳まであと4年しかないって思ってますから。僕のファンは年下が多いし、若いチャンピオンは必要だと思いますよ。僕のような存在がいないとダメでしょう。
―2010年2月に「バケモノになって帰ってくる」と宣言してアメリカ武者修行へ。翌年末“レインメーカー”というニックネームとともに帰国しますが、この「金(かね)の雨を降らす存在」という意味のキャラクターづくりはどうやって?
オカダ アメリカでレインメーカーという言葉を知ったんです。同名の映画があるようですが、観てません。海外から普通に帰ってペコペコしてたらトップ戦線にはいけない。最初から生意気にいったほうがいいだろうと思ったんです。
―まだ26歳とはいえプロレスのキャリアはもう10年。中学卒業後、高校に行かずインディー団体の闘龍門(とうりゅうもん)に入ったんですよね。
オカダ 中学のときからプロレスラーになると決めていたので。本当は陸上競技の特待生として高校に行く話もありました。入学金免除で入って、その後レスリング部に移ろうと画策してたんですが(笑)、入学前にそのレスリング部がなくなってしまって。意味なく3年間を過ごすなら高校は行かない。もうプロレス界に入っちゃおうと。特に何も考えず、夢中なものに真っすぐ進んだだけですよ。
―そのときのご両親の反応は?
オカダ 母親に一度だけ「高校に行きなさい」と言われましたね。でも僕は小学生の頃、夏休みに母親の実家がある長崎の五島列島に行ったら気に入ってしまって、小学校が終わるまで親と離れて五島列島の親戚の家で暮らしていたことがあるんですよ。だから自分で言い出したら何を言っても聞かないだろうと母も思ったんじゃないですかね。
―お父さんのお仕事は?
オカダ JA(農協)の職員でオフィス勤めです。特に運動神経がよかったとは聞いてないですね。家族でなぜか僕だけ足が速かった。
―そもそもプロレスに引かれていった理由は?
オカダ 5歳上の兄貴がやっていたたプロレスのゲームに夢中になって、その後テレビで新日本を観始めました。でも当時の新日本はだんだん格闘技路線に寄っていったので面白くなくなって。ある日、CSで闘龍門という団体を観たら、選手がみんな個性的で華やかで試合も面白くて。そこにプロレスラー養成学校もあって、入学資格が15歳からだったので入りました。退学しない限りはそのうちレスラーになれるだろうくらいの気持ちでしたけど(笑)。
■「自信がありすぎて失敗を想像できない」
―04年8月にメキシコでデビューした後、闘龍門での国内デビューを経て07年に新日本に移籍しましたね。
オカダ 強くなりたくて業界トップの新日本に移籍しました。細かな技術はメキシコで会得して自信があったので、新日本のトップに立つことは最初から考えてました。俺がやらなきゃダメでしょ、くらいの気持ちでね。
―そして08年に新日本で再デビュー。10年から約2年間のアメリカ修行を経験したわけですが、現地で学んだことは?
オカダ TNAという団体にいたんですが、リック・フレアーやスティングといった大物レスラーたちとバックステージで一緒にいられたのはいい経験でした。彼らには独特のオーラがあるんです。プロレスラーにとって強いとかうまいというのは当たり前で、一番大事なのは存在感だと思いますね。入場時から自分の個性を伝えられるかどうか……そこがすべてじゃないですか? アメリカから持ち帰った部分はそこかもしれない。僕は入場、試合、退場シーン……みんな含めて自分の試合だと思ってます。勝敗論はもちろん大事ですけど、それだけだとほかのレスラーと一緒になりますから。
―オカダ選手のドロップキックは打点の高さ、フォーム、破壊力ともに抜群で、文字どおり銭の取れるドロップキックです。最初から得意でしたか?
オカダ そうですね。ドロップキックはデビュー前にみんな習う基本の技なんですけど、僕は最初からなんとなくうまくできました。得意技ってそういうものですよ。普通の選手は跳んだらすぐ蹴っちゃうでしょ。僕はもう少し余裕があって、ジャンプしてタメをつくってから一番高い所で蹴ることができますね。
―古典技なのに相手に十分なダメージを与えて試合のペースを変えますよね。
オカダ どちらかというと若手の技だし、最初は今みたいに大事に使ってはいなかったんですけど。自信を得たのは去年(12年)5月の福岡でのIWGP防衛戦、後藤洋央紀(ひろおき)戦でした。顔面に思い切りジャストミートしてお客さんも驚いたようですね。「後藤、大丈夫か?」みたいな感じでずっと会場がザワついてましたから。
―IWGP王座は現時点で2度目の戴冠。1・4東京ドーム大会で7度目の防衛戦に臨みます。王者としての緊張感はありますか?
オカダ チャンピオンとしての責任感はあるけど、緊張感は全然ないです。今年1月のドームの入場時も、着ていたガウンの羽根が鼻に入るのでリング上で(マネジャーの) 外道(げどう)さんに「鼻がかゆいです」なんて話してたくらいで。逆に外道さんが緊張して「そ、そうか!?」なんて言ってましたが(笑)。
―すごい余裕ですね。子供の頃から肝が据わっていたんですか?
オカダ いや、昔はすごく心配性でした。ここ2年で数多くのタイトルマッチをこなして自信が出てきたというか。最近は自信がありすぎて失敗する自分を想像できなくて、そこが逆に心配になるくらい。外道さんからは「たまには緊張しろ!」と怒られてますね。
―入場時、花道に「オカダドル」という金の雨が降るパフォーマンスもやっていますが、世の中、金がすべてだとは思わないでしょう!?
オカダ いやいや、金がすべてだと思います。愛よりもお金のほうがいいスね。簡単な話、たくさん儲けたいじゃないですか? 反対に愛はたくさんなくてもいい。愛されるのはひとりだけでいいんで。
―なるほど! とはいえ本当は努力の人という気もするのですが。
オカダ いや、レインメーカーはそれを言っちゃいけない。努力よりもっとカッコよく生きているので。結局、プロレスが好きなんですよ。だから努力を努力と思わず好きなことをやってるだけです。
■オカダ・カズチカ 1987年11 月8日生まれ、愛知県出身。2012 年2月、エース棚橋弘至を破り、初挑戦でIWGPヘビー級王座を奪取。12年度、13年度とプロレス大賞MVP連続受賞の快挙も達成
(取材・文/長谷川博 撮影/平工幸雄)
■「WRESTLE KINGDOM 8」in TOKYO DOME 1月4日(土)東京ドーム 15:30開場、17:00開始 IWGPヘビー級選手権試合/王者 オカダ・カズチカVS挑戦者 内藤哲也、IWGPインターコンチネンタル選手権試合/王者 中邑真輔VS挑戦者 棚橋弘至ほか全10試合を予定