名古屋グランパスからオランダ、ロシアと渡り歩いた本田。プロ10年目、ついに欧州ビッグクラブで10番を背負う 名古屋グランパスからオランダ、ロシアと渡り歩いた本田。プロ10年目、ついに欧州ビッグクラブで10番を背負う

いよいよ本田圭佑のセリエAデビューが迫ってきた。現地情報によると、1月6日、ホーム、サン・シーロでのアタランタ戦が濃厚とのことだ。

1899年創設、スクデット18回、チャンピオンズリーグ7回の優勝を誇る、世界的なビッグクラブであるACミラン。そこで本田が背負う番号は「10」だ。ミランの背番号10といえば、伝説的プレイヤーの系譜。その歴史を振り返ろう。

そもそも1995年以前、セリエAでは、背番号が選手ごとに決められておらず、1~11の番号をポジションで振り分けていた。例えば、キーパーは「1」、センターフォワードは「9」といった具合だ。そして、「10」はオフェンスの中心である攻撃的ミッドフィルダーのナンバーだった。

その当時のミランにおいて、「10番の選手」として定着したのはジャンニ・リベラ(ミラン在籍1960~1979/出身国・イタリア、以下同)である。彼は63年、UEFAチャンピオンズカップ(現在はUEFAチャンピオンズリーグ)でミランを初優勝に導いた。サッカージャーナリストの後藤健生氏は同選手についてこう振り返る。

「彼は“古典的な10番”でした。古典的というのは、要するにテクニックがあって、アイデアが豊富で、パスも正確。その代わり線が細くてハードワークも一切しませんっていうタイプです。『カテナチオ』と呼ばれる堅い守備と、少ない人数で素早く点を奪うカウンターアタックがイタリアサッカーの主流になるなかで、リベラはイタリアの古典的な10番の、“最後の華”だったと思います」

79年にリベラが退団すると、ACミランは低迷期に入る。だが、本当の黄金期が新しい10番とともにやってくる。ルート・フリット(1987~1993/オランダ)だ。ファン・バステン、フランク・ライカールトの「オランダトリオ」で、名実ともに世界ナンバーワンのクラブと呼ばれるようになった。

以下、ミランで10番を背負ったのは、以下の選手たちだ。

デヤン・サビチェビッチ(1993~1998/モンテネグロ※旧ユーゴスラビア) ズボニミール・ボバン(1992~2001/クロアチア※旧ユーゴスラビア) アヌエル・ルイ・コスタ(2001~2006/ポルトガル) クラレンス・セードルフ(2002~2012/オランダ) ケヴィン=プリンス・ボアテング(2011~2013/ガーナ、ドイツ)

ミランが固定番号制に移行したのは1995年のこと。10番はサビチェビッチのものとなった。ノンフィクションライター、写真家の宇都宮徹壱氏はこう語る。

「95年にイタリアのスターであるロベルト・バッジョがミランに加入したのですが、そのときにサビチェビッチは『(10番は)俺の番号だ』と宣言しました。彼はエースナンバーに強いこだわりを持っていたのです。

サビチェビッチが全盛期を迎えた頃、ユーゴは内紛状態で国連の制裁を受けていました。そのため、UEFA欧州選手権やW杯といった主要な国際大会から締め出されてしまいます。その当時のユーゴ代表は、W杯でベスト8は堅いといってもいいぐらい、世界トップクラスのメンバーをそろえていました。彼はその中心選手だったのですが、最後までひのき舞台に立つことはできなかった。サッカー選手としては、ミランでのプレーに専念するしかなかったんです。でも、だからこそ、チームを引っ張る10番を背負うことに気概を持っていたのではないかと思います」

攻撃の中心から、チームの象徴へ。サビチェビッチの時代から、ミランの10番は特別な数字として受け継がれてきたのである。

本田にプレッシャーはないのか? だが、実は先代の10番であるボアテングは、あまり活躍できずにミランを去っていった。現在、その価値はデフレ傾向にあるとの声も上がっている。

「だからこそ、本田にはその価値を取り戻してほしいと思っています」(前出・宇都宮氏)

ACミランの新10番、その伝説の幕開けを見逃すな!

(撮影/益田佑一)

■週刊プレイボーイ1・2合併号「名門のエースナンバーを背負ってきた名選手たちをプレイバック!!本田圭佑が挑むACミラン10番の系譜!!」より