磐田時代の2005年にJリーグ新人王を獲得したカレン・ロバート(後列左端)も、今年からタイでプレーしている

日本のサッカー選手が目指すのはヨーロッパだけじゃない! ここ数年、移籍先としてホットなのが東南アジアのタイ。しかも今季は、まだまだJリーグでも活躍できそうな日本代表経験者も続々と移籍を決めた。

何が彼らを引きつけるのか? そして彼らを待つ現実とは?

■今や年俸の相場はJ1と同レベル?

2月22日に開幕した今季のタイ・プレミアリーグ(全20チーム)。開幕節には計19人もの日本人選手が出場した。2部、3部を含めると、現在タイのチームには約60人もの日本人選手が所属しているという。

果たして、彼らはどんな環境で、どんな思いでプレーしているのか。

リーグ開幕の2月22日、バンコクから北西へ約100Kmの街スパンブリーへ向かった。

スタジアムに着いて、まず驚いたのはサポーターの約9割がレプリカのユニフォームを着用していたこと。周辺にはサテ(串焼き料理)やビールを売る屋台が軒を連ねている。そのノリはサッカー観戦というよりはお祭り感覚である。しかし、いざ試合が始まれば約1万5000人収容のスタジアムは満員となり、メインスタンドもゴール裏も関係もなく、誰もが大声を張り上げ、手を叩くなど活気に満ちていた。

ホームのスパンブリーFCは惜しくも1-2で敗れたが、勝ったラチャブリーFCの決勝点を決めたのは、なでしこジャパンの大儀見優季(おおぎみゆうき)、永里亜紗乃(ながさとあさの)の兄である永里源気(げんき/28歳)だった。

昨季、永里が所属していたガイナーレ鳥取はJ2で最下位に沈み、J3に降格。だが、永里自身はチーム得点王となる10得点を挙げている。本人が望めば、今季もJ2以上のチームでプレーできたはずだ。にもかかわらず、なぜ、タイへ渡ったのか。

「一番の理由は妹たちが海外でやっていて、すごくいい経験をしているなと思ったから。チャンスがあれば海外に出てみたかった。僕は国内での移籍をけっこうしてきましたけど、異国の地でサッカーをやるって相当なエネルギーが必要だし、その中に身を置くことは絶対に自分にプラスになるんじゃないかと思ったんです」(永里)

初めての海外でのプレーを、どう感じているのだろう。

「日本人はやっぱりマジメだなと感じます。こっちでは時間どおりに練習に来ない選手もいて、練習もダラダラしている。日本では考えられませんよ。でも、それもいい経験。自分が手本になれればいいかなと。ただ、(通訳がいないので)タイ語はヤバいっス(笑)。あと今はホテル暮らしで食事も大変。近所のレストランがいろいろリクエストを聞いてくれるので、なんとかやっていけてます」(永里)

タイ・プレミアリーグは来季からリーグの再編成で20から18へとチーム数が減るため、今季は下位5チームが降格するという厳しい条件下で行なわれている。その意味でも永里の決勝弾は「大きかった」し、そう話す彼の表情は充実感に満ちているようだった。

運営面も環境面もまだまだ改善の余地は多いが、スタジアムは熱気に包まれていた

昨季の鳥取のチーム得点王、永里源気。開幕戦で決勝点を決め、地元メディアも高評価

タイへの移籍が増えた理由とは?

一方、スパンブリーFCの左MFとして先発フル出場したのは、欧州経由でタイに渡ってきたカレン・ロバート(28歳)だ。

昨季途中にオランダのVVVフェンロから加入したものの、選手登録が間に合わずにこの試合がタイでの公式戦デビューとなった。本人に新天地の印象を聞いた。

「僕ひとりでどうこうできるというほどではありませんが、やっぱりレベルは高くない。ディフェンスもそうですけど、プレッシャーとかルーズな面が多いです」

欧州からタイへの移籍に抵抗はなかった?

「最初はすごくありましたよ。どんなリーグか全然知らなかったし、初めて試合を観にきたときも、虫が多くてヤバいなと思いましたから(笑)。でも、これまで数ヵ月生活してきて、ネガティブなことはそんなにないですね。立派な家を用意してもらいましたし、練習施設も最低限は整っている。チームの堅苦しくない感じも、ある意味で僕的には合っているかもしれないですね(笑)」(カレン)

昨年、カレンのタイ移籍が発表された際、一部記事の「年俸4000万円」という条件面が注目された。

「Jリーグの現状を知らないので日本との比較はできないですけど、僕史上では最高。今までで一番いい条件ですね」(カレン)

今オフに茂庭(もにわ)照幸(32歳)、西紀寛(のりひろ/33歳)、船山祐二(29歳)のタイ移籍を手がけたFIFA(国際サッカー連盟)公認代理人の稲川朝弘(いながわともひろ)氏が、増える日本人選手のタイ移籍について話す。

「単純にサラリーの相場が上がったことが大きいですね。しかも、基本的に税別の手取り金額。また、物価が安く、日本と同じ金額でもその価値が全然違う。日本人選手全員がそうではないと思いますが、サラリーはJ1並みでしょう。その背景には財力のあるオーナーカンパニーが持つクラブが増え、資金が流入し始めていることがあります。住環境的にも、バンコクには日本人も多く住んでいますし、選手にとって『この国、ありかな』という場所になってきたということではないでしょうか」

かつては給与の未払い問題などもあったようだが、そうしたリスクはないのだろうか。

「契約書さえしっかりしていれば問題はない。ただ、だからといって、今後も(日本人選手がタイへ続々と移籍する)流れが続くかどうかはわかりません。チーム側からすれば、外国人枠の問題もありますし、お金を出せばもっといい外国人選手が取れるチャンスも出てくるわけですから。移籍はタイミング。自分がどういうキャリアを歩みたいのか。当然ですが、タイって聞いた瞬間に『え?』っていやな顔をする選手もいます。私も誰にでもタイ移籍を勧めるわけではありません」(稲川氏)

ギャルサポーターの姿も。スタジアムにいるファンのレプリカユニフォーム着用率はJリーグ以上

元日本代表・岩政は、なぜタイに渡ったのか?

■元日本代表選手は「苦労しかない(苦笑)」

翌23日は、バンコクから南西へ約70Kmのサムットソンクラームへ。前日のスパンブリーに比べると、スタジアム周辺にはかなり牧歌的な雰囲気が漂っていた。

ホームのサムットソンクラームFCには4人の日本人選手が所属しているが、先発出場はかつて柏レイソルなどでプレーしたGKのノグチピント・エリキソン(33歳)のみ。後半に新加入のFW田原豊(31歳)が途中出場し、アクロバティックなシュートを放つなどスタンドを沸かせた場面もあったが、アウェーのBECテロ・サーサナFCも元日本代表DFの岩政大樹(いわまさだいき/32歳)を中心によく守り、試合はスコアレスドローに。試合終了後、更衣室から出てきた岩政を直撃した。ザックジャパンにも名を連ねた選手が、どうしてタイを選んだのか。

「今までとまったく違う経験をするために海外に出たかったというのが大きいですね。日本国内で移籍しても環境はそれほど変わらないですけど、こっちに来ればすべてが違いますから。年齢的にもあと3、4年で引退すると思いますし、それまでにセカンドキャリアに向けて何を残すか。自分の場合は鹿島しか知らない。その状態で引退したくないと思ったんです」

そのJリーグの名門・鹿島とは環境も、目指すものも、すべてが違うタイで、岩政は壁にぶち当たっている。

「事前に聞いて覚悟はしていたんですけど、サッカーに関しては、まあ苦労しかない(苦笑)。選手もクラブも意識が低くて、プレー面でもかなり遅れている。だから、もうちょっと変えていこうと、すでにクラブ内でもぶつかっていて……。まだ始まったばかりなのに、早く(契約期間の)1年が終わらないかなと(苦笑)。でも、今は苦悩しながらやるしかないでしょう。それが、きっとセカンドキャリアに生きてくると思うんで」(岩政)

その岩政のチームメイト、下地奨(しもじしょう/28歳)はJ2時代のサガン鳥栖を経て、南米のクラブを渡り歩き、タイにたどり着き、BECで2年目を迎えた苦労人だ。

「僕の場合は選択肢がなかった。環境については、どこを基準にするか、その選手のキャリアによっても感じ方は変わってくるのでは。僕個人としては、タイは物価も安いので生活もラクになりましたね」(下地)

高校卒業後に欧州に渡り、Jリーグを経由することなくタイに渡った23歳の能登正人(のとまさひと/アーミーユナイテッドFC)の場合はどうか。ドイツ時代にはハノーファーのセカンドチームで日本代表DFの酒井宏樹のバックアッパーを務めたこともあり、近い将来の再ステップを夢見ている。

「タイに来たのは決してマイナスではないし、上にいけるチャンスだってあると思っています。サラリー的にも悪くないし、住居もプールとジムのついたコンドミニアムを用意してくれた。近所の足裏マッサージ店だって1000円しないで行けるし、ケアも万全にできて、いい環境です」(能登)

タイは日本人選手にとって、天国でも地獄でもない。何を求め、何を感じるかは、その選手のキャリアや気の持ち方次第で大きく変わる。

個人的には、J2や今季から新設されたJ3でくすぶっているくらいなら、悪くない新天地だと思うが……。ほほ笑みの国での、日本人選手たちの奮闘に期待したい。

(取材・文・撮影/栗原正夫)

名門・鹿島で長らく活躍し、かつてザックジャパンにも選ばれた岩政大樹も参戦中だ

高校卒業後に渡欧し、Jリーグでのプレーを経験することなくタイに渡った能登正人。彼のような若手もいる