2Rのダウンから抵抗するも、4Rで偶然のバッティングにより流血する長谷川

長谷川穂積、壮絶なTKO負け――。3年ぶりに世界のベルトに挑戦した「絶対王者」といわれたプロボクサーが王者との激しい打ち合いの末、完敗を喫した。なぜ彼は、長いブランクを経て試合に臨んだのか。そして、4月23日の大阪城ホールとは長谷川穂積にとって、なんだったのか。彼を追う週プレが、この7ラウンドの意味に迫った。

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左まぶたから激しく出血し、レフェリーが駆け寄ってもうつろな表情で天を仰ぐ長谷川穂積の表情からは、その心情までを読み解くことは難しかった。

立ち上がった長谷川が四方に深々と頭を下げ、リングを降りる。大きな拍手と「長谷川、ありがとう!」という感謝の言葉が、花道を歩く男の背中を包んだ。多くの観客は悟ったのかもしれない。再び、この男の勇姿を、リング上で見ることはできないのだろうと。

試合前、長谷川は言った。

「ずっとボクシングを続けられると以前は思っていた。でも、いつか終わりは来る

■「僕にとって大きな試合。集大成の試合になる」

さかのぼること9年前。当時、通算戦績17勝2敗の長谷川穂積を一躍有名にしたのは、2005年4月、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)との世界戦だった。そのときウィラポンはWBC世界バンタム級王座を14度防衛し、辰吉丈一郎を2度KO、西岡利晃の挑戦を4度退けた日本人キラーだった。そんな強敵を長谷川は壮絶な打ち合いの末に破り、世界王座を奪取。その後、ウィラポンとの再戦を含め10度の防衛を重ね、5年間“絶対王者”として君臨する。

しかし、2010年4月、WBO世界同級王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)との事実上の統一戦に挑み敗北。

長谷川は、「ここまでが、ボクサー長谷川穂積の第1章。これから、第2章が始まる」とフェザー級に階級を上げ、再起を期するも、第2章は悲劇で幕を開けた。

ファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)との世界タイトルマッチのわずか1ヵ月前に、長く闘病生活を送っていた最愛の母・裕美子さんが逝く。だが、そんな逆境すら乗り越え長谷川は、WBC世界フェザー級チャンピオンとなった。しかし、翌年4月のジョニー・ゴンサレス(メキシコ)との初防衛戦で、あっけなく王座陥落。一時は進退を決めかねるも、「ゴンサレス戦を最後の試合にすることはできない。ふがいなさすぎる。納得がいかないのは負け方じゃない。試合に臨む際の、心のあり方」と、スーパーバンタム級に転向する決意を固めた。

近づく終わりを見据えていた長谷川

しかし、どれほど強く願っても、タイトルマッチのチャンスは巡ってこなかった。年齢も30歳を超え、肉体は否応なく、アスリートとしての寿命に近づいていた。

待つこと3年。その時が来た。今年2月、IBF世界スーパーバンタム級のベルトをかけ、王者キコ・マルチネス(スペイン/30勝4敗22KO)と拳を交えることが決定。記者会見の席で、長谷川はこう語った。

この3年は本当に長かった。自分の中で、このタイミングまでに世界戦が実現しなければ……という期限を設定していた。リミットだと考えていたのが今年の春。モチベーションを保てるギリギリのタイミングだった」

意気込みに関して尋ねられると、こう答えた。

「簡単に勝てる相手じゃない。僕にとって集大成の試合になる」

長谷川が欠かさず墓参りをする亡き母の月命日が毎月24日。特別な一日を翌日に控えた2014年4月23日、運命のゴングは鳴った。

■「俺は俺に勝ちたい。今までの自分に」

試合3週間前、長谷川の所属する真正ジムを訪れると、これまでの試合前よりもシェイプアップされた長谷川がいた。「いつもどおりですよ」と彼は言っていたが、ベルトを失ってからの3年の間、「自分は何者か?」と自問し続けた結果のように思えた。

この3年の間に、井岡一翔、村田諒太など、何人ものスターボクサーが生まれた。過去、“絶対王者”と呼ばれていた長谷川は、彼らをどう見ているのだろうか? もちろん「負けていられないです」、そんな答えを期待して、彼らの印象を聞いた。

「本当にいろんな選手が出てきましたね。ただ、俺はもう今から目立とうという選手ではない。今日まで、自分が昔、想像した以上のキャリアを積んできた今の俺は、これからどのように満足してボクシング界を去っていこうかという側の人間ですから。彼らに対しては、『これからボクシング界を盛り上げていってほしいな』くらいしか思わないですね」

長谷川は近づく終焉(しゅうえん)を、確実にイメージしていた。

「引退後のビジョンも多少はあります。まだ言えないですけど。マルチネスに勝ったら何度防衛したいか? それも言えないです」

そして、「言えないというより、わからないと言ったほうが正確かもしれない」とこう続けた。

「この試合にすべてをかけて準備し、すべてをやり切って戦えれば、試合が終わった瞬間、勝っても負けても、判断できると思います。やめるのか、続けるのか。だから、もうやるだけ、やりきるだけ。どんなボクサーにも、いつかは終わりが来る。だからこの試合は、次のステップを踏むための試合だと思ってます。次の人生に進むためのね。試合が終わったとき、勝っても負けても、笑っていられたらいい。大好きなボクシングを大好きなまま終わりたいから

そう長谷川穂積が語ったのは、こんな思いからだった。

7R、決定的なダウンにも、大好きなボクシングを大好きなまま終わるため、一度は立ち上がった

亡き母のための戦いだった世界戦

「2010年にフェザー級の世界王者になった試合で、俺の中では俺のボクシング人生は終わったんです。その気持ちは今も変わらない。あそこで、自分のボクシング人生の進むべき道は走り切った。言い方は難しいですけど、今はオマケです。だから、ケガなく試合を迎え、すべてを出し切り、事故なく試合を終えたい。それだけです。もう何があっても、ブルゴス戦以上の感動も達成感も味わえないと思うから。もちろん、負けたらやめます。これ以上、続ける自信はないので。勝っても、そういうことです。だから、最後だと思ってやるんです。この先のことを考えず、この試合にすべてをかけ、勝っても、負けても、やり切って終えるだけ」

もし“オマケ”という発言に違和感を覚える読者がいるのなら、前出のブルゴス戦前の心境を語った長谷川のつぶやきを聞いてほしい。

「負けたらオカンが報われない。この先、俺は生きていかれへん。負けたら自殺するな――」

最愛なる母の死を受け止め、力に変え、その結果世界のベルトを腰に巻いた瞬間、長谷川はプロボクサーとしての天命を全うした。そして、今回の世界戦に挑むに当たり、もはや長谷川は自らの進退に関する相談を、誰にもしていないのだと明かした。

「家族には伝えていますが、ジムの会長は記事を読んだらビックリするんじゃないですか。でも、いいんです。決めるのは、俺。俺はこの試合を気持ちよく終え、やめようと思っていますから。中途半端で続けるのが、自分にも、ボクシングにも一番失礼ですから」

この試合が最後だと決めていた。だからこそ、マルチネス以上に、勝ちたい相手がいると長谷川は語っていた。

「俺は俺に勝ちたい。今までの自分に勝ちたい」

■「オカンが喜ぶ終わり方ができたらいい」

4月22日の前日計量を、長谷川は一発でクリアした。

「減量の達成感という意味では、過去最高。もう、オカンが喜ぶ終わり方ができたらそれでいい」

IBFでは、当日計量(4.5㎏の増量制限)が試合の11時間前に行なわれる。初めての当日計量に戸惑うかと思いきや、「明日は思い切り暴れるだけ」と長谷川は自信をみなぎらせた。

そして試合当日。ゴングの3時間前に会場入り。マネージャーの中辻啓勝(ひろかつ)は、「結果がすべてです。僕も長谷川に期待しています」と表情を引き締めた。

息子にボクシングを教えた、元プロボクサーの父、大二郎さんは言った。

「昨日の晩、電話がありました。『ありがとな』とだけ伝えました」

マルチネスと勇敢に打ち合った長谷川。「人間臭さが、俺のボクシングの魅力かなと思ってます」

周囲にも伝わっていた最後

長谷川の入場曲『Fighting Man』が流れると、場内の声援は一段と大きくなった。そして、運命のゴングが鳴った。

1R、長谷川の左が当たる。ただ、打撃戦を好むマルチネスは前進を止めない。2R、長谷川がロープを背負い打ち合ったところで、左右のフックを浴び、バランスを崩しダウン。このままKO負けかと思われる被弾にも、長谷川は立ち上がる。そして3Rでは打ち合いに出て勝負に出るも、4Rに偶然のバッティングで左目上をカット。鮮血が滴る。長谷川は勇敢に打ち合うが、7Rに左フックを受けると、前方に崩れるように手をついた。なおも立ち上がろうとする長谷川を、マルチネスが左フックで再び倒すと、レフェリーが試合を止め、同時に陣営からもタオルが投げ入れられた。

控室に戻った長谷川は会見を開くことなく、進退を明言することもなく、病院へ向かうため会場を後にした。これまで苦楽をともにした真正ジムの山下会長は、「進退は本人の気持ちひとつやから。意思を尊重します」と、報道陣に頭を下げた。

ただ、長谷川穂積との距離が近ければ近い者ほど、長谷川の決意は確かに伝わっていたはずだ。会場を出て駐車場へ向かう最中、長谷川を兄と慕う、元WBC世界スーパーフェザー級王者、粟生隆寛(あおうたかひろ)が駆け寄り、嗚咽(おえつ)をこらえきれず泣きながら長谷川を抱きしめた。

駐車場に止められたワゴン車に乗り込む直前、長谷川は淡々とこう言った。

「病院に行くので、あらためて会見させていただきます。どうもありがとうございました」

報道陣に深々と頭を下げると、長谷川穂積はドアを開けた。車内には息子と娘の姿があった。そしてすぐに妻も車に乗り込むと、おそらくもう、リングに上がることはないであろう父を囲んで、家族4人がそろった。

カメラマンのフラッシュがたかれるたびに、車内の長谷川の顔が浮かび上がる。サングラスこそしていたが、その口角がわずかに上がったように見えたのは、決して錯覚ではないと確信している。

試合後、長谷川はブログに、「きっと今日の歓声はボクシングして頑張ってきたことの神様のご褒美だと思ってます!」とつづった

(取材・文/水野光博 撮影/大村克巳)

■長谷川穂積(はせがわ・ほづみ)1980年12月16日生まれ、兵庫県出身。真正ボクシングジム所属。元WBC世界バンタム級、フェザー級の2階級制覇王者。高速の連打と絶妙なカウンターパンチ、卓越したディフェンステクニックとスピードで、5年間、バンタム級の世界王座に君臨。その間に10度の防衛に成功し、「絶対王者」として熱狂的なファンを獲得した