8月30、31日の両日、アントニオ猪木率いるIGFが北朝鮮で「インターナショナル・プロレスリング・フェスティバルin平壌」を開催する。今なぜ?と賛否両論、物議を醸(かも)しているが、これは猪木にとって2度目の北朝鮮興行となる。
前回は1995年4月28、29日に開催された「平和のための平壌国際体育・文化祝典」(通称「平和の祭典」)。巨大な綾羅島(ルランドー)メーデー・スタジアムに2日間で計38万人といわれる大観衆を動員し、メインイベントは猪木がアメリカの超大物リック・フレアーと闘い、蝶野正洋、橋本真也、スコット・ノートンら当時のトップ選手が参戦したほか、ブル中野vs北斗晶の女子プロレス頂上決戦も行なわれ、平壌市民を熱狂させた。
この「平和の祭典」のとき、現地に滞在していた人物に、当時の北朝鮮の様子を振り返ってもらったのが『週刊プレイボーイ』(2012年49号)の記事だ。それがどれだけスケール外なことだったのか、この機会に再検証してみよう。
■平壌で公安に拘束されたジャーナリスト
平壌の街でディープな経験をしたのはジャーナリストの世良光弘氏だ。
「中外旅行社という朝鮮総連系の旅行代理店が企画したツアーに参加しました。『平和の祭典』のおかげで特別なチャーター機が出て、代金は25万円。15人程度のグループに分けられ常に監視役がつき、『勝手な行動は許しません』という感じでしたね」
――で、勝手な行動をしたわけですね(笑)。
「夜20時以降は外出禁止だったんですが、私は、よど号乗っ取り犯の田宮高麿(たかまろ)を取材しようと、彼が滞在していた高麗ホテルに行ったんです。結局会えなかったので帰ろうとしてタクシーを呼んだが全然来ない。30分ほどして突然、BMWが来てふたりのイカツイ男に後部座席に押し込まれました」
――かなり危ない状況(汗)。
「彼らは公安でした。車は夜の道を信号無視でぶっ飛ばし、私はいよいよ生爪を剥がされ拷問にあうのかと考えていたら、自分の泊まっていたホテルに帰されました。でも私はラッキーだった。ある人は公安に拘束されて6時間取り調べられた挙句、罰として金日成(キム・イルソン)を讃える歌を50回歌わされてヘロヘロになって帰ってきました」
――ほかに驚いたことは?
「三大革命展示館というところに、この国自慢の工業製品が展示されていたんですが、エンブレムだけ星型にして付け替えただけのベンツがあったり。ショーウインドーにはなぜか、金色のスケベイスが誇らしげに展示されてました」
――用途も知らずに(笑)。
「公園に行ったら、われわれが来るタイミングに合わせてカップルがボートを漕いで寄ってきたり……地上の楽園を演出したいのが見え見えでね。われわれの行動をずっと撮影しているカメラマンがいたんですが、ツアー最終日に案内係が『みなさんの旅行の思い出を記録したこのVHS、1本3万5000円です』。誰が買うかって!(笑)」
“将軍様の料理人”が証言、金正日がプロレスを語った!
■“将軍様の料理人”が語る金正日と「平和の祭典」
一方、この時、平壌に住んでいた日本人がいた。“将軍様の料理人”藤本健二氏だ。日朝貿易の商社の仲介で、料理の技術を伝える指導員として82年に北朝鮮に渡った。88年からは金正日(キム・ジョンイル)の専属料理人になり、将軍一家に間近で接してきた。
「将軍は猪木さんの試合を現地で観ていますよ。あの日はね、いつも通り19時に食事会が始まった。20時頃からバカラ賭博が始まり、21時頃に秘書室の人間が『将軍様、そろそろお時間です』と告げた。将軍は『おう、でかけるか』と言い、『藤本も来るか?』と誘っていただいたんですが、将軍と一緒にテレビカメラに映ったらマズイということで、私は行けなかった(苦笑)。将軍は『藤本、ここでテレビで観てろ。すぐ帰ってくるから』と言い残し出ていかれました」
――プロレスの感想はなんと言ってましたか?
「この試合の1年ほど前に、あるドキュメンタリー映画を購入したんですよ。日本のヤクザが指を詰めるシーンを映したものや、各国の裏社会の模様が紹介されていた。その中にプロレスの試合も収録されていたんです。観客もまばらな会場で一対一の真剣勝負。選手は外国人で、腕を取ったら折るまで絶対に離さないし、相手もギブアップしない」
――おそらく海外の地下格闘技のようなものですね。
「そういうものを将軍は見ていたので、『プロレスというものは一般人ができない技を見せるものだ。それぞれが本気になって闘えばケガ人が続出し、死人も出るだろう。これは技を見せるショーなんだ』と語っていましたね。また、『素晴らしい肉体を作り、素晴らしい技を見せる』とも評価してました」
――なかなか鋭いですね。
「でも、将軍が絶賛していたのは女子プロレスね。すこぶる喜んでましたよ(笑)」
――そこは一般観衆と同じ反応なんですね(笑)。将軍はほかにどんな娯楽が好きでした?
「寅さん(『男はつらいよ』)が好きだったね。奥様とふたりでケラケラ笑ってご覧になってました。寅さんを北朝鮮国内でテレビ放送したいけれど、あの映画には思想がないから悩んでいるんだとおっしゃってましたね」
――北朝鮮で寅さん! ところで、力道山はホントに北朝鮮でも英雄なんですかね?
「力道山物語という映画も作られたし、連続ドラマにもなって毎週テレビ放送していたこともありますから。それから、将軍の側近だった朴明哲(パク・ミンチョル)氏の奥さんが力道山の娘でね。あるときから食事会でご夫人たちの腕相撲大会をやるようになって、勝つのはいつも力道山の娘(笑)。小柄だけど、コロっとして屈強な感じでしたね」
――リングに上がってほしかったですね(笑)。
そして、この歴史的イベントから20年近くが経った。
金正日は世を去り、金正恩(キム・ジョンウン)体制発足以降、朝鮮半島情勢はさらに緊迫の度合いを高めている。そんな中、二度目となる北朝鮮大会で“燃える闘魂”は新たな伝説を作ることができるか――。
(撮影/原 悦生)
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