4月に行なわれた八重樫のV3戦直後、ゴンサレスがまさかのリングイン。近年随一のドリームマッチ実現に、ファンは大いに色めき立った 4月に行なわれた八重樫のV3戦直後、ゴンサレスがまさかのリングイン。近年随一のドリームマッチ実現に、ファンは大いに色めき立った

日本ボクシング史に残る大一番が目前に迫っている。9月5日、東京・代々木第二体育館で催されるWBC世界フライ級タイトルマッチでは、これまで2階級を制覇した王者・八重樫東(やえがしあきら)が、やはり2階級制覇の怪物、ローマン・ゴンサレスを迎え撃つ。王者不利の予想がはびこるが、勝敗の行方は――。

■KO率85%の怪物に八重樫はどう戦う!?

「無意識に追い詰められているのかもしれません。トレーニング以外の時間でも、ふとした瞬間にロマゴンのことを考えてしまいます。とりあえず、生命保険は増額しておいたほうがいいのかな、とかね(笑)」

まさしく、ハイリスクだがハイリターンの勝負である。

これまでの戦績は39戦全勝(33KO)。一度も負けを知らず、85%のKO率を誇るゴンサレスは、“ロマゴン”という愛らしい通称とは裏腹に、現時点ですでに歴史に名を刻むことが確約された「怪物」である。

ミニマム級で世界を制し、続いてライトフライ級のベルトを手にしたのが4年前。今年の頭にそれを返上し、3階級制覇の機会をうかがうも、その機会はなかなか訪れずにいた。メジャー団体のチャンピオンたちが軒並み、この男との対戦を拒んだからだ。

それほどのボクサーだからこそ、八重樫が「次はロマゴンの挑戦を受けます」と2月に宣言した際に、業界の内外から拍手喝采がわき起こったのである。

「こういうのは、誰もやりたがらないときに手を挙げるのが一番オイシイんですよ。ロマゴンが誰かに負けた後では意味がないし、衰えてきた頃に名乗り出るのもカッコ悪い。ロマゴンが完璧なボクサーであるうちにやるからいいんです」

純粋にこれは、ファン垂涎(すいぜん)の好カードである。“激闘王”と呼ばれる八重樫は、持ち前のタフネスと強靱な精神力で、打ちつ打たれつの乱打戦を勝ちパターンのひとつとしながら、「音速」とまで形容されるずぬけたスピードと、アマ仕込みのテクニックを併せ持つ。さらに前回のV3戦では、メキシコのオディロン・サレタを終盤に右のカウンター一発で仕留めてみせ、パワーも証明したばかり。並み居る世界王者の中でも、間違いなく一流だろう。

ハードパンチャーに打ち合いで応戦?

しかし八重樫とて、勝利を確信してロマゴンを指名したわけではない。7月中旬に勝算を尋ねたときには、「2割もない。本当に、どうしようかなって感じです」と、浮かない表情でボヤいたものである。

歴戦の八重樫にそう言わしめるほど、相手は強い。滑らかな体さばきで相手との距離を詰め、軸のぶれない美しいフォームでパンチを放つ。正確に急所を射ぬくスピーディーなブローを上下に散らしながら、じわじわと獲物を弱らせていくそのスタイルには、まるでスキが見当たらない。当時無敵を誇ったライトフライ級時代の井岡一翔(かずと)とすら、ロマゴンとの対戦を回避したと伝えられるほどで、怪物は今、間違いなく絶頂期にある。

八重樫が対戦に名乗りを上げた際、ロマゴンは「対戦を受け入れてくれた勇気に感謝する」と、さも優等生的なコメントを発表したが、これは本心からの言葉だったはず。一方で、八重樫はこうも言う。

「(ロマゴンは)口では僕のことを『完璧なボクサー』だなんて持ち上げていますけど、これは確実にリップサービス。内心では僕のことを舐(な)めていると思います。ボディを打って足を止めて倒してやる、と簡単に考えているんじゃないですか? もっとも、舐めてくれたほうがこっちはありがたいですけどね」

実際、ロマゴンの必勝パターンは、ある程度決まっている。酷暑の期間をその対策にささげた八重樫も、相手の出方自体は読みやすいと語っている。それでも――。

「こちらの戦術はもう、ほぼ固まっています。それでも結局のところ、ゴングが鳴るまでどんな試合になるのかわかりません。相手はいつもどおりでも、僕のスタイルに対してどんな反応を見せるかは、蓋(ふた)を開けてみなければわかりませんから。あとは、そのときの“風”を感じながら臨機応変にやるしかありません」

では、八重樫が勝つとすれば、どのようなパターンが想定されるのか。デビュー当時からコンビを組む松本好二(こうじ)トレーナーは、「このパンチは当たるかも、というイメージはいくつかあります。しかし、誰もそれを成し遂げられなかったのがロマゴンという選手なんです」と警戒心を露(あらわ)にする。

この点について師弟の考えは一致しているようで、八重樫本人も「スピードには自信がありますが、変に捌(さば)こうとすればいつか捕まってしまうでしょう。打ち合う覚悟が必要です」と口にしている。虎穴に入らずんば虎児を得ず、というわけだ。

「ロマゴンのパンチは一撃で致命傷を負いかねない危険なものですが、まったく被弾しない展開はあり得ない。でも、打撃戦になるなら、それはこちらの土俵です。八重樫の最大の武器はハート。ロマゴンは強すぎるあまり、今まで“ギリギリの勝負”というのをあまり経験していませんから、あえて消耗戦に持ち込むのもいいでしょう」(松本トレーナー)

 松本好二トレーナー(右)との熱のこもったトレーニングを重ねながら、八重樫は着々と怪物退治への自信を深めている……! 松本好二トレーナー(右)との熱のこもったトレーニングを重ねながら、八重樫は着々と怪物退治への自信を深めている……!

ロマゴンに「気持ち悪い!」

カギは、ロマゴンをいかに慌てさせるか。修羅場を何度も経験してきた八重樫のアドバンテージが生きる土俵が、必ずある。

こうしたイメージを現実のものにすべく、八重樫はフィジカルトレーニングとジムワークを並行して行ない、肉体の耐久力アップに努めてきた。

「怖いのは、予想外のトラブルですね。リングには魔物がすんでいますから(笑)。でも、僕はこれまで、1ラウンドにダウンしたり、アゴが折れたり、両目が腫れて見えなくなったりと、数々のアクシデントを経験済み。今回も、何があってもいいように心構えをしておきますよ」

■怪物討伐の機会は同時代を生きる者の特権

さて、対する怪物はこの試合に備え、早くも8月18日に日本に上陸。これは通例より10日ほど早い来日で、「日本の気候に体を慣らしておきたかった」と、八重樫攻略に万全を期す。

なんでも、祖国では自室の壁に八重樫の写真を4枚も貼って、日々、士気を高めてきたという。それを伝えると八重樫は、「気持ち悪い!」と一笑に付してみせたが、油断のなさはやはり不気味だ。

「ロマゴンはどちらかといえば出来にムラのある選手ですが、これまでも重要な試合はきっちり仕上げています。調整をミスってくれれば楽なんですが(笑)、万全の状態のロマゴンを想定して準備していますよ」

今回のカードを決めた、八重樫が所属する大橋ジムの会長、大橋秀行氏(元ミニマム級世界王者)にも話を聞いた。

「ロマゴンほどの選手が、たまたま同時代、同階級に存在するというのは、ボクサーにとって非常に幸運なこと。引退してから“やっておけばよかった”では話になりません。このカードは、今この時代を戦っている八重樫に与えられた特権なんです。そして、勝てばとてつもないリターンが待っている。やらない手はないでしょう」

 “生きる伝説”として名をはせるゴンサレス。過去には新井田豊、高山勝成といった日本が誇る名王者もその軍門に下っている “生きる伝説”として名をはせるゴンサレス。過去には新井田豊、高山勝成といった日本が誇る名王者もその軍門に下っている

決戦直前、本人が語った予想勝率は?

確かに、現代のヘビー級王者がどれほど強くても、アリやタイソンとの腕比べは不可能。

かくいう大橋氏も、現役時代に「怪物」と称されるボクサーと拳を交えた経験を持つ。ファンの間では半ば伝説化している、リカルド・ロペスとの一戦(1990年)である。メキシコから呼び寄せた無敗の新鋭は、噂以上の逸材だった。

結果、大橋氏は5ラウンドTKO負けで虎の子のタイトルを失ってしまうのだが、ロペスは以降、そのベルトを22度も守り、無敗のままグローブを吊るすことになる。大橋-ロペス戦が、今なお“伝説の幕が開いた瞬間”としてファンの脳裏に刻まれる所以(ゆえん)である。これは敗者・大橋にとっても、大きな勲章のひとつと言えるだろう。

しかし、八重樫には負けて名を上げるより、やはり怪物討伐を期待したい。試合を2週間後に控えた日、筆者はあらためて、八重樫に勝算を聞いた。すると――。

4割くらいかな? 試合までにはもう少し上がるでしょう。(実業家の)斎藤一人(ひとり)さんの名言に、『困ったことは起こらない』というのがあるんですが、今まさにその心境です。周囲から見れば自分は今、大変な状況に置かれているのかもしれないけど、これほどやりがいのある仕事もない。ボクサーとして、とても幸せだと思います」

そう言ってにっこりほほえむ八重樫の表情から、今回の大一番を“ビッグチャンス”ととらえられるだけの準備が整いつつあるのだと直感した。

ローマン・ゴンサレスは未知の怪物ではなく、円熟期に差しかかろうとしているボクサーだ。その伝説にまだ見ぬ先があるのか。それとも、極東の地に怪物討伐の新たな伝説が生まれるのか。その瞬間に立ち会えるわれわれもまた、僥倖(ぎょうこう)というほかない。決戦は目前だ。

●八重樫東(やえがしあきら) 3年生まれ、岩手県出身。第20代WBA世界ミニマム級王座、第40代WBC世界フライ級王座の2階級を制覇。大橋ボクシングジム所属。戦績は23戦20勝(10KO)3敗

(取材・文/友清 哲 撮影/田村孝介)