しのみや・りゅうぞう 1976年生まれ、埼玉県出身。現在、水深115mの記録を持つプロフリーダイバー。2010年には自身がオーガナイザーとなり沖縄で世界選手権を開催した しのみや・りゅうぞう 1976年生まれ、埼玉県出身。現在、水深115mの記録を持つプロフリーダイバー。2010年には自身がオーガナイザーとなり沖縄で世界選手権を開催した

空気タンクを背負わずに、ひと息で海深く潜るフリーダイビング。このエクストリームスポーツで、水深115mという驚異的な記録を持つ日本人がいる。

篠宮龍三、37歳。大学生のときに映画『グラン・ブルー』(リュック・ベッソン監督)でこのスポーツと出会い、主人公のモデルとなった伝説のフリーダイバー、ジャック・マイヨールに魅せられてこの世界へ飛び込んだ。

2004年、勤めていた会社を辞めてプロ活動を開始し、08年にアジア人初の100mに到達。09年にはマイヨールの最高記録を超える107mを達成、そして10年にバハマで記録した115mが現在の自己ベストである。

プロ転向11年目を迎え、著書『素潜り世界一 人体の限界に挑む』(光文社新書)を上梓した篠宮に、グラン・ブルーの極限の世界について訊(き)いた――。

――自然を相手にするフリーダイビングは、天候や海況にも大きく影響を受ける、常に死と隣り合わせの危険なスポーツ。その中で115mのダイブに成功したときは、どのような心境でしたか?

篠宮 あのときは大会の最終日で、「全部出しきろう」という思いや「いけるな」っていう感覚があったんです。前日に108mの自己新を出したのですが、結構余裕があって110はいけるという感覚があったので、翌日は115にチャレンジしてみようと。いわゆる「ゾーン」と呼ばれる、完全に集中しきっている状態に入っていて、時間や距離などの感覚もなく無我夢中で一瞬の中にあったようなパフォーマンスでしたね。

映画『マトリックス』の中で、モーフィアスという登場人物が修行中の主人公ネオに「速く動こうと思うな。速いと知れ」と言うんですが、この言葉に近いものがありました。「成功したい」と思うことは「失敗するかもしれない」ことと表裏一体で、ちょっとでもバランスを崩すと「失敗するかも」が勝ってしまう。そうではなく、「成功している」ことを悟ってしまえばパーフェクト。やる前からそれを知っているという状態でした。

――常人には計り知れない領域ですね……。

篠宮 命にかかわるスポーツなので、成功したからいえることではありますが、「絶対大丈夫だ」という確信がありました。

――フリーダイビングには8つの種目があって、115mを記録したのは「コンスタント・ウィズ・フィン」という種目。足にフィンを付けて、自分で申告した深度まで潜っていき、水面まで還ってきたときに意識が正常に保たれていれば成功、記録が認定される。この種目の世界記録は現在、なんと128m! 110m超を記録しているダイバーは世界でもわずか7人で、トップコンテンダーのひとりではありますが、世界記録との13mという数字の差が持つ意味とは?

篠宮 大袈裟に聞こえるかもしれませんが、100mを超えてからのプラス1mというのは、生きて還れるかどうかを左右する領域になってくるんです。これ以上行っていいのかどうか……その判断を誤ってムリして突っ込んでしまうと、目標まで到達して戻ってこられたとしても水面でブラックアウト(酸欠による失神)してしまうことがある。

そうすると、次の試合でこれがフラッシュバックして恐怖感に苛(さいな)まれる。僕もプロに転向した頃はブラックアウトを繰り返す大スランプに陥ったことがあります。目標まで到達しなくても無事に還ってくるほうが大事。攻めるか退くかの判断は、動物的な直感になってきますね。

――忍耐や根性が通用しない……というか逆に死の危険にさらされるわけですね。

篠宮 直感が黄色信号を示しているのに「まだいけるっしょ!」みたいな欲が勝ってしまうと判断を誤るので、長い目で見たらちょっと臆病な人のほうが成功するかもしれない。

鼓膜が破れたら命取り……

 イルカのようにしなやかな泳ぎで、海深くへと潜っていく(撮影/石田皓平) イルカのようにしなやかな泳ぎで、海深くへと潜っていく(撮影/石田皓平)

――100mを超える海の危険というと、水圧ですか?

篠宮 水圧は陸上の10倍以上です。潜水時間も重要で、目標深度が深ければ深いほど潜っている時間は長くなります。海が荒れていれば、流れに抵抗しながら泳ぐので、時間が普段より5~10%長くかかり酸欠状態も長くなる。あとは耳抜きのタイミングですね。

――鼓膜の保護ですか。

篠宮 口の中に溜めた空気を使って何度かに分けて耳抜きをするんですが、僕は115の場合、95の地点で最後の耳抜きをする。20m手前ですね。90くらいでやってしまうと、一番深いところで鼓膜が水圧に耐えきれずにバリッと破れてしまうんですよ。

そうなると、鼓膜の内側にある三半規管に冷たい水が流れ込んでしまい、そこが平衡感覚を司(つかさど)っていますから、急にわけがわからなくなって目眩(めまい)を起こしちゃう。ほとんど光も届かない暗い海で上も下もわからなくなって、本当に危ない状態になる。だから、絶対にムリして鼓膜を破ってはいけないんです。

――想像するだけで恐ろしいですが、実際破ったことは?

篠宮 僕はないです。95mで最後の耳抜きをする練習を何度も重ねて本番に臨んでいますから。耳抜きはすごく繊細な楽器をチューニングするようなイメージ。太鼓の皮やギターの弦のように、テンションをかけ過ぎると壊れてしまう。

――耳抜きをするとき、具体的にはどこを動かしているんでしょう。

篠宮 唾液を飲み込むときに動く小さな筋肉で、耳管(じかん)を開いて内耳から鼓膜に向かって空気を送り込むんです。すごく繊細な筋肉なんですが、左右同じタイミングで同じ量の空気を送らないといけないから、顔も左右の均整がとれていないといけない。若い頃にケンカして鼻が曲がっている人とかは耳抜きが苦手ですよね。だから、フリーダイバーにはモデルのような整った顔をしている人が多いんですよ。

――へえ~。日本の女子選手にも美女が多いですもんね。でもそんな水圧の中で、鼓膜が耐えられるギリギリを見極めて最後の耳抜きをするのは痛くないんですか?

篠宮 痛いですけど、そこは我慢(笑)。耳抜きのタイミングは「これ以上ムリだ、破れる」と感じる二歩くらい手前ですね。まず、鼓膜が音を拾えなくなって「キュルキュルキュル……キィィィィィ」という音がしてきて、その後に「フィシュゥゥゥゥゥ」という音がする。イヤな音ですよ(苦笑)。ここまできたらもう赤信号なので、95mより手前でも必ず抜きます。でも、リラックスしていないとできない。「やべぇ、きたきたきた!」って固くなるとできないです。

道具を棄てて侍の境地に?

 練習の拠点としている沖縄の海では、クジラと遭遇することも(撮影/長江藍) 練習の拠点としている沖縄の海では、クジラと遭遇することも(撮影/長江藍)

――繊細……というか、かなりマニアック(笑)。最近は、「コンスタント・ノー・フィン」というフィンを付けない種目にも力を入れているとか。

篠宮 ノー・フィンはずっとサボってきた種目でしたが、それに力を入れることで得るものがあればウィズ・フィンにも生かせると思うし。平泳ぎで潜っていくんですけど、とにかくスピードが出ない。小学校の頃からカエルキックが苦手で平泳ぎだけはできなかったんですけど、今一生懸命やっています(笑)。

――そうか、垂直に平泳ぎをするんですね。まさに素潜りだ。

篠宮 これはフリーダイビングの究極の形だと思うんですよ。道具を使わず自分の手足だけで泳いで還ってくる。お金を出せばより性能のいいフィンは買えますが、ノー・フィンはそういうものではないので。剣術で喩(たと)えれば柳生新陰流の「無刀取り」ですよ。最終的に刀を棄(す)てていかに勝つかという。僕も中世の侍に生まれていたら、刀をどんどん小さくしていって最後は武器を持たない達人を目指しているかも……。

――一体、何を目指しているんですか(笑)。

篠宮 フフフ……自分と海の命のやりとりではないですけど、そういう境地に至ってみたいなというのもありますね。フィンを付けていれば強い推進力を得られるので、多少海況が荒れていても大丈夫だったりするんですけど、ノー・フィンの場合、身ひとつなのでめちゃくちゃキツイんです。だから、危機管理能力も高くなってきますし。道具を外せば外すほど、フィジカルやメンタルの感覚が鋭敏になってくる。これは新しい発見でしたね。今までやってなかった分、伸びしろもあるし楽しいですよ。

もっとメジャーにしていくために!

 マイナースポーツのトップアスリートとして、フリーダイビングの普及や広報活動にも奮闘 マイナースポーツのトップアスリートとして、フリーダイビングの普及や広報活動にも奮闘

――とても奥深くて神秘的な側面もあるスポーツだと思いますが、まだまだ認知度の低いマイナースポーツだし、水中なので「見せ方」が難しい面も。水深100mともなると、光が届かないから映像にも残しにくい。

篠宮 だから、この世界をいかに言葉で伝えていくかが重要だし、興味を持ってもらえる仕組み作りも大事です。僕は、大会をやる際にMCやDJをつけて盛り上げようとアイデアを出してきたんですが、「選手の集中のジャマになる」とか言われてなかなか日本では難しい……。ほかのエクストリームスポーツを見ると、決して突飛なことではないんですけどね。

――海外ではどうなんですか?

篠宮 バハマの大会ではやっていますよ。ビーチから15mほどのところにブルーホールという200mの穴があって、そこが競技場になっているんです。ふたりのMCが掛け合い実況をして、それをインターネットラジオで世界中に配信しています。魚群探知機を設置することで、MCも選手が今どこにいるかがわかり詳細な実況ができる。たとえば「今、龍三が100mのボトムでタッチダウン(折り返し)、さぁ無事に戻ってこられるでしょうか!」とかね。

――想像力がかきたてられます。でも、やはり一部始終を映像で撮ることは難しい?

篠宮 技術的には可能で、それは今後の目標です。選手が垂直に潜っていくためのガイドロープがあるのですが、もう一本ロープを垂らしてカメラを何台か設置しスイッチングして選手を追いかけていけば撮れます。それにMCをプラスして、生中継で世界に配信したいですね。

――それは見てみたい!

篠宮 あとは、4人同時に潜るとかね。今はひとりずつ潜っているので、朝早くから昼過ぎまで大会をやっているんですよ。でも、ハッキリいってこんな地味なスポーツを何時間も飽きずに見ていられませんよね(笑)。4人同時に潜れば時間短縮になるし、予選、準決勝、決勝みたいなわかりやすい見せ方もできる。反面、リスクも高まるし、選手の安全を確保するサポートダイバーも4倍必要になるから人的コストもかかる。でも、僕らはフリーダイビングをもっと世間に知ってもらいたいので、面白い試みはどんどんやっていきたいですね!

――篠宮さんの最終目標は?

篠宮 やはり、コンスタント・ウィズ・フィンでの世界新記録ですね。11月にバハマで行なわれる大会に参戦します。日本にいい報告を持って帰れるように頑張りますよ!

『素潜り世界一 人体の限界に挑む』(光文社新書) グラン・ブルーの世界やフリーダイビング界の現状、そして自らの半生と今後を綴った奮闘記

(取材・文/週プレNEWS編集部 撮影/ヤナガワゴーッ!)