1970年代に「週刊マーガレット」に連載されるや圧倒的支持を受け、アニメ化でも人気爆発、中高生を中心にテニスブームを巻き起こした伝説の漫画『エースをねらえ!』。
スポ根漫画の金字塔というだけでなく、胸熱くする学園ロマンであり、後半は青春期の魂の成長を描いた珠玉の哲学書ともいえる内容で同世代のバイブルとなった。最近では、元プロテニスプレイヤー・松岡修造氏が座右の書として挙げていることでも知られている。
今回、錦織圭選手の日本人史上初、全米オープン準優勝という快挙にいまだ感動の余韻(よいん)冷めやらぬ中、この方にこそ話を聞かねば!と作者の山本鈴美香(すみか)先生を直撃。
普段、体調面が不安なこともあり、ほとんど表舞台に顔を出さないというものの「このお話だけは受けねば」と快諾していただき、山梨・甲州市のお宅を訪問した!
―まずは、今回の錦織選手の活躍について率直な感想をいただけますか。
山本 本当に感動してかたまりました。錦織選手のような強い選手に恵まれて、ビッグ4の中のトップを立派に倒して。何十年ぶりとか日本人初とかって、昔だったらいくら漫画でもそれは夢を見すぎよねっていう(笑)、非現実的でちょっとひどいんじゃない?と言われるような。私でも夢のようと思わせる素晴らしい活躍でした。
―お会いしてすぐ、まさに錦織選手があんな素晴らしい活躍をしたので「私も頑張らなきゃ」とインタビューも受けられたとおっしゃいましたが?
山本 彼があの4回戦と準々決勝ですか、4時間19分、4時間15分という試合の時、私は熱でうんうん言ってたもんですから。話を聞いただけで、「あぁすごい!」と思いながら「こんなことじゃいけない。早く気力ではね飛ばさなきゃ」と。それでようやく決勝をライブで観て。手術したばかりで出場も危ぶまれていた選手がよくここまでビックリするようなことをできたなと。相手もみんなトップ10の選手じゃないですか?
―特に、準決勝ではランキング1位のジョコビッチ選手でした。
山本 あの準決勝も、お恥ずかしながら録画で観て、本当にライブで見てたら泣けてたと思うんですよ。そもそも、マイケル・チャンさんがコーチとしてついてることにびっくりしてまして。あの方は私の中では選手としての印象が生々しいんですね。
―史上最年少で全仏を制し、現役時代はランキング2位まで上りつめました。
山本 自分が応援してる選手の対戦相手がチャン選手だっていうと、まずイヤだなと反射的に思うタイプの方で。目つきが怖いし、動物にたとえますとライオンやヒョウもありますけど、失礼ですが私の中では毒蛇的な怖さだったんです。そんな方が錦織選手のチームにコーチとして入ってくれたって聞いた時にはもう乾杯ですよ(笑)。
そんな、敵にすると怖いけど味方にすれば頼もしいって絵に描いたような方が、試合の合間にコーチの顔が映るじゃないですか? それを見ていて、もちろん錦織選手も本当に素晴らしかったんですけど、チャンさんの表情に私は本当に泣けたというか。あの恐ろしい彼がこんな顔をするように!?って。
チャンコーチの表情のほうが痛すぎた
―それは岡ひろみを見守った宗方仁コーチの視線を見られていたような?
山本 ええ、あそこにコーチとしてよりも錦織選手の年の離れたお兄さんのような、あるいは父親の雰囲気も混じったお兄さんみたいな雰囲気を感じまして。準決勝の時は、サングラスをかけてたので目の表情は見えなかったですし、声までは聞こえないですけど。ポイントを取って拳を振り上げたりする中で、勝った後、両脇の方たちは立ってわーって拍手して、それが当然のリアクションなのにチャンさんは座って眉間に皺寄せて、上唇を噛むんです。あの時、彼は泣いてたんじゃないかと。その表情で私も思いっきりもらい泣きしてましたね。
―その歴史的勝利でそのまま決勝もいけるかと期待されましたが。
山本 チリッチ選手が大波に乗ってて、まともな試合にならなかった印象ですね。人間というよりは肩に気まぐれなテニスの妖精が乗っかっちゃってる感じで(笑)。いくら一生懸命やっても違う存在を相手にしてるような。あれは可哀想というか、負けたからって恥でもなんでもない。でも、錦織選手のシューズのキュッキュっていう音の厳しかったですこと。本当に鋭くこちらの心臓に響いてきました。
―チリッチが一生に一度?のスゴいゾーンに入った瞬間に当たってしまいましたね。
山本 逆に、そこでどれだけ地獄を見たか、修羅場をくぐってきたかがこれから問われるんじゃないですか。もうモロに錦織選手としては地獄を見た。それもひとつの勲章だっていう。それで良かったなって思うのが、彼に嫌な表情がひとつも出なかったんですよね。あんな理不尽な戦いといえるほどだったのに、負けてくさった表情とか1回も出なかった。
―天国と地獄を見て、またステップアップになればという。
山本 いいところは十分出てましたし。対照的にチャンコーチがほんと痛い表情しっぱなしでしたよね。錦織選手が毅然として、へたれた顔とかマイナスの精神状態を見せない風なのに、彼のほうが「圭つらいだろう。悔しいだろうな」って。コーチとしてよりもそういう見方をしてるように思う表情ばかりだったんです。それで、どれだけすさまじくて錦織選手に痛い試合かがわかるっていう。
最後に錦織選手がインタビューを受けて、頑張ってきたけど勝てなくてトロフィーとれなくて、チームにもありがとうとか言ってる時も、映ってる表情が「いいんだよ。圭よくやった、立派だった」って泣きそうな顔をしてるのが、あのマイケル・チャンだった人かって思うくらい。それだけの打ち込み方をしてくれて真剣になってくれてることに本当に感動しました。
さらに地獄を見て修羅場を経験し…
―やはり、コーチとの信頼という意味でも『エースをねらえ!』の世界がそこに。
山本 相手方にライバルだったボリス・ベッカーコーチがついていたり、あれも人生だなと思いましてね。激しいスポーツですから選手生命も早く寿命がきます。だけどその後にコーチ人生も待っていて、選手と一緒に共に戦い、相手コーチとも戦って。TVの解説者の方曰く「チャン選手とベッカー選手の戦いがまだ続いてるんだ」と。今回ほど私も強くそういうドラマを感じたことはなかったですね。
―そのドラマはまだまだ続いていくわけで。漫画同様、道はこれからです。
山本 例えば今回、あの妖精が錦織選手の肩に乗って大波がきちゃってたら逆に心配ってくらいでしたので。山梨には武田信玄のお膝元で『甲陽軍鑑』という有名な書物があるんですけど、その中に“十の勝ちというのは危ない”んだと。“五分の勝ちが最上”というのがあるんですね。
ですから、チリッチ選手に難癖つけるのではないですけど、あれは怖いんです。前人未踏の日本人にすれば、ここまできただけで十分すごいのが、“10の勝ち”を絵に描いたようになっちゃうのは負け惜しみじゃなく怖かったわけで。地獄を見て、錦織選手が学んでくれるってことでも心配を残さなくてよかったです。
―宗方コーチを失った岡も、まさにどん底の地獄である“慟哭(どうこく)”を知り、周りに助けられ、より高みに向かいます。
山本 あれがあるから次はそこを抜けてどんな選手としてコートに現れてくれるのかっていう。結局、戦って戦って戦い続けていくわけですから。もっとすごい地獄を見て、修羅場くぐってないと勝てないんですよね。可哀想だけど地獄見て修羅場くぐって、地獄見て修羅場くぐってって上手にいかないと。
子供でも、育つ時はかわいそうで、本当に親が抱きかかえて歩きたいくらいなんですけど。でも本当にかわいければ上手に怪我させて大けがにならないような範囲で擦りむかせたりして。それと同じじゃないかって思うんですよ。
―そこでまた、錦織選手が成長と共にチャンコーチに巡りあったことは運命的ですね。
山本 本当にそうですよね。私はチャンコーチがって聞いただけで人生は小説よりも奇なりと思ったくらい。まだ私が描いてたとして、そういうストーリー展開は自分の中ではないですからね。錦織選手のコーチをやるために、あんな人生を歩んできてくれたんですかって。ありがとうございますと本当に言いたいくらい。
何度も繰り返しますけど、準決勝終わった時の上唇を嚼んだ時の涙をこらえているかのような表情というのは、本当にぞくっとしましたのでね。すごい絆だと。
松岡選手、伊達選手にも力をもらって
―そんな漫画以上のドラマを実際目にしようとは。作品中でも悲願だった光景に立ち会えることが本当に感慨深いです。
山本 私は、かなり寝たきり状態みたいになったりとかあったものですから。何からも離れてなきゃいけなくて、ブランクとしてその時期はあったんですけど。でも今回の錦織選手までに松岡修造さんの活躍もあって。ウィンブルドンでのベスト8(1995年)ですか。あれだってすごかったですよね?
―松岡選手は、ツアー遠征に『エースをねらえ!』を全巻持ち歩いていたそうですが、プレー中に「この一球は絶対無二の一球なり」(福田雅之助『庭球訓』)という作品中に出てくる一節を唱えていたことでも有名になりました。
山本 それは後から聞いたんですけど。その叫んでるシーンをたまたまニュース画像かなんかで、やはり感慨深く拝見しました。ことに触れてエース、エースっておっしゃってくれてましたよね。ご本人からも以前から夏と新年に毎年熱ーい葉書をいただき続けて。
―そんな交流まで!
山本 本当に芯からマグマのように熱い方で(笑)。何年か前には、たまたまひっくり返るような映像も拝見しましてね。あの方が宗方コーチに扮して襟を同じように立てたジャージ姿で、アイラインまで入れて。うわーーーって、あれは本当にびっくりしました(笑)。
―バラエティ番組での企画ですね。何をやっても本気で真剣な松岡さんらしい(笑)。でもそうして本当に夢が継承されて。
山本 それとやっぱり先頃からの伊達(公子)選手ね。すごいですよね? 復帰されたのは本当にインパクトありましたもんね。そうきますか?っていう。
―確かに、これまた漫画以上に驚かされました。
山本 また強いじゃないですか。1回戦だったら誰でもぶちのめしてしまうみたいなものがありますよ。そりゃトレーニングもメンタルもすごいんでしょうけど、いろいろあって今テニスをやりたいんだって燃えてる。燃えた者は理屈を越えてどれだけ強いのかっていう。ジャンプの葛西(紀明)選手もレジェンドと言われてますけど、気にせざるをえませんね。
―そういう元気やエネルギーを絶対的にみんなもらってる気はします。
山本 努力したから報われるものじゃないとか、もはや遅いってことはありますよ。でもそれを吹き飛ばしてこの年代でもありっていうのを鮮やかに世界中に見せつけたすごいパターンですよね。自分もこんなじゃいけない、もっと頑張らないとって。本当に熱出してる場合じゃないって思いますよ。
生き延びて感謝し尽くせない
―『エースをねらえ!』自身、ずっとそういう力をもらう作品でした。
山本 本当にありがたいです。こういう風に関わらせていただいて冥利につきますよね。作品を生みだされる方って皆さん一生懸命で喜ばれたいですし。良い結果が出て世間の評価が高いっていうのはもちろん素晴らしいことですけど。毎週毎週、本当に大きい段ボールに山と読者からのお手紙をいただいて。あれでどれほど、寿命が長くなったか。
途中で体を壊したもので、もう死にますよって言われましたのでね、お医者様に。あの支えなしにはとてもとても完成できなかったほどありがたかったですし。しかもいまだにっていうのは、頑張っても報われない場合もある中で、本当にずっと応援していただいた皆さんのおかげですね。
―それだけ心血を注がれて、まさに命がけで描かれてこそ…。
山本 もうありったけ。最後の1滴まで。ちょっと浪花節っぽいですけど、真剣にこの読者のためだったら死ねるっていう。燃えて死ねるってことだけで冥利に尽きるっていう。それですのに、連載をあと3週残して救急車で運ばれて。お医者様には引き留められるし。
この手前で死んじゃいけない、裏切れないと。申し訳が立たなさすぎて。ありとあらゆるものにすがり、なんとか応援をいただいて。とにかくこの最終話さえ描き終えれば、そこでばったり死ねばいいんだからって。もうひたすら本当にそれだけで。
―その地獄があって、ここまで残る不朽の名作に。そして夢が繋がれ現実となりました。
山本 その後、まともに生きられないと言われましたし。なんで今まで生きてきたんだろうって本当に思いましたけど。漫画の中で、向かっていく夢としても笑われるような設定が、今になって現実になるのも、それを生き延びて見られたのも本当にもうありとあらゆるものに感謝してもし尽くせないですね。
―これからもっとそういう元気をもらえると思います!
山本 とりあえず9月29日っていうのがあって。すぐにもうジャパンオープンなんだと思いまして。熱だしてちゃいけないと。
―錦織選手の活躍でエネルギーをもらうのはもちろん、逆に「圭、エースをねらえ!」って念を送らないとですね。
山本 もうそれはありったけのエールを。そのくらいしかできませんものね。できることは最後の1滴まで応援し倒します(笑)。
―長時間にわたり、お話を聞かせていただき本当にありがとうございました!
(取材・文/週プレNEWS編集部)