敗れて尚、感動を与え評価を高めた八重樫。吹っ切れた笑顔で次なるステージへ始動!

9月5日、世紀の一戦で代々木第2体育館を熱狂に包んだボクサーが、これからも戦い続ける理由とは――。

先週9月29日、日本ボクシングコミッションは、前WBCフライ級王者の八重樫東を日本ライトフライ級2位にランクインさせた。再起を期し、ミニマム、フライ級に続く世界3階級制覇を目指すこととなった八重樫に、あのローマン・ゴンサレス戦について、そしてボクシングについてを聞いた。

―試合から11日後、10月16日には早くも練習を再開したそうですね。

八重樫 たいしたケガもなく、普通に動ける状態だったんで。これから少しずつ体調を上げていこうかなと。

―試合中、右耳の鼓膜が破れたと報道されていましたが?

八重樫 破れてるんですけど、まぁ、そのうち治るかなと(笑)。

―では、王者ではなくなった今の心境は?

八重樫 ベルトはなくなったんでしょうけど、これといって何か変わったわけでもなく。なんだろう、喪失感みたいなものは特に。どのタイミングで落ち込んでいいのかわからなくなって。なんか、2年前もこういうことあったなって。

―それは、2012年6月、井岡一翔とのWBA・WBC王座統一戦のことですか?

八重樫 はい。結局、思ったのは、また振り出しに戻っただけなんだって。そういう感じが強いのかな。

―そもそも、何人ものチャンピオンが対戦を逃げたといわれるローマン・ゴンサレスの挑戦を受けたことに、多くのファンは驚いたんですが。

八重樫 恐怖心も当然ありました。でも、ロマゴン戦は、ギャンブルでいったら大穴じゃないですか。当然、リスクが高いからリターンは高いんだろうし。そういうのを楽しめる性格なんで。プライベートだと一切ギャンブルはやらないんですけどね(笑)。

―なるほど。

八重樫 それに、あのクラスの選手とやれるタイトルマッチって、そうそう転がってないんで。例えば、内山先輩(内山高志/WBA世界スーパーフェザー級王者)は、ビッグネームと試合をやりたくてもなかなかできない。上位ランカーをバンバン倒していってるのに。歯痒いと思うんです。やりたいのにできないって。僕は、「やりたい」と言えばできる環境下にあった。うちのボス(大橋ジム会長・大橋秀行)、チャレンジャー精神が強いので。だったら、やらないわけにはいかないでしょ。

―敗れてなお、後悔はないと。

八重樫 ないですね。ホント、ラッキーです。ロマゴンと戦える階級、同じ時代に生まれたってのは。

ロマゴン戦は怖かった、でもそれも楽しさ

―あらためて試合を振り返って、リングイン直前、どんなことを考えていましたか?

八重樫 んー、あの時は……。入場曲がサビに入りかけてたんで、リングインした時にサビが終わってたらカッコ悪いなとか一瞬考えてて(笑)。

―意外と冷静なんですね。

八重樫 はい。リングに上がると観客席の顔もよく見えるんで。「あそこにあの人が、あそこにあの人が座ってるな」って、結構わかりますね。

―トレーナーと、足を使うのか打ち合うのか、「リングに立って、向かい合ってから決めよう」と思っていたそうですが、1R終了後、八重樫選手が「足は使い切れない」と打ち合いを決断したとか。プレッシャーが想像以上だった?

八重樫 想定内ではあったんです。でも、ここは反省点なんですけど、自分の中で「足を使いきれない」っていう先入観みたいなものが強くて。それで打ち合いを挑んじゃったのかなって。あと、変な話なんですけど、打ち合いたくなっちゃった自分がいたんですよね。タラレバなんで、言っちゃいけないんですけど、よくよく考えてみると、もうちょっと足をつかってもよかったのかなって。あんな試合しといて、今更それはないんですけど(笑)。自分自身を抑えきれなかったというか。なんか試合中、すごく楽しかったですよね。

―楽しかった?

八重樫 もちろん怖かったです。でも、その怖さもボクシングの楽しさ、魅力のひとつなのかなって。危険なパンチが交差していくわけで。ギリギリのリスクと向き合っていく感じっていうのは、やってる人間だから感じることかもしれないですけど、競技者として、たまらないものがあると思うんです。「すごいな、コイツ」って。でも、お互いパンチを打ちながら、ひたすら僕だけ被弾してるんで、それだけの差はあったってことですね。技術力の差が。そこは、差として受け止めなければいけない。

―では、3Rのダウンは?

八重樫 あれは、やっちゃったって感じですね。ある程度、見えてたんで、ダメージはなくて。あそこでポイントは離されたんで、もう判定は度外視しようって決めました。

―倒すしかない、と。

八重樫 基本、カウンターを狙って、「一発刺し違えれば」って気持ちだったんで。被弾してもいいから、強いパンチを打ち込めれば勝てるチャンスはある。相手が攻勢になれば攻勢になるほどチャンスは増えるんで。自分がどんだけ打たれても、どんな体勢でも打たれたら“打ち返すんだ!”って決めてましたね。上手くいかなかったんですけどね(笑)。

最低限の約束、一生懸命は果たした

―鼓膜が破れたのが、6Rとのことですが。

八重樫 戦っている感覚としては、違和感なかったんですけどね。でも、ビデオを見たら6R以降、フラフラしてる場面が多くなったんです。あれって多分、ダメージでふらついてるって感じじゃなかったんで、鼓膜の影響かなって。ロマゴンのパンチで破られたんで、完全に自分のせいなんですけどね。反省点はたくさん出てくるし、収穫の多い試合だったなって。

―そして、9R2分24秒、TKOで敗れました……。

八重樫 会長が試合を止めたんで、セコンドの判断に従います。ただ、意識が途切れるまでやりたかったなって。感覚的にはもっとできたかなって。もちろん、試合がひっくり返るかどうかは別として。12R戦える準備はしてきたんで。そこまでいかないのは、自分が弱かったっていうだけの話ですよね。

―試合中、試合後、鳴り止まない会場の大歓声は届いていましたか?

八重樫 ありがたかったですね。ありがとうございます。あの大っきな声援が力になりました。客観的に見たら、圧倒的な試合だったと思うんで、会場があんな感じになるとは思わなかったんですけどね。

―観客は、勝敗以上の何かを、あの試合で見たということだと思います。

八重樫 だと嬉しいです。試合後、僕のブログに「試合を見て勇気が出た!」「涙が出た!」ってメッセージを本当にたくさんいただいたんですよ。

―日本中に勇気や希望を伝えた試合だったと思います。

八重樫 ただ、僕自身は、見ている人に「勇気や希望を」なんてことを考えて試合をしてるわけじゃ決してなくて……。もっと小さい事というか、最低限の約束というか。

―約束ですか?

八重樫 お客さんが見ているのは、僕が打たれても耐えてるとか、打ち返してるとか、それこそ技術とかじゃなくて一生懸命さだと思うんですね。一生懸命な姿って、どんな競技でも感動するじゃないですか。負けても応援してくださるのは、そこを見てくれてるのかなって。

だから、「八重樫の試合をまた見たい」と言ってくださる人がいるなら、そこに失礼がないように僕は一生懸命戦う。一生懸命やるということに関しては、絶対に裏切らないという約束をしてるというか。これからも、そういう期待やひとつひとつの気持ちに答えられるファイトをしていきたいと思うんです。できるなら、一発で倒して、“やったー!”のほうが全然いいですけど(笑)。

―勝敗よりも大切なものがあると。

八重樫 いい試合はしても勝てなければ、結局、「いつになったら勝ってくれるんだ!」ってなるんで、それだけじゃダメなんで。善戦マンと呼ばれたら、お仕事にならない。勝ちたいですし、勝たなければいけない。それが最優先です。それに、八重樫家は5人家族なんで稼がなければいけないんで(笑)。

家族もいるんで壊れる前に引退は…

―やはり、家族のために戦うという面が大きいですか?

八重樫 自分自身のためでもあるんですけど、やっぱり家族のためというのは大きいですね。

―「子供たちがいつかガンバらなければ、乗り越えなければならないものに出会った時、『そういえばお父ちゃん頑張ってたな』って思えるような後ろ姿を見せたい」と、以前語っていました。

八重樫 ボクサーっていうのは、わかりやすい職業ですからね。ラッキーだなって思うんです。デスクワークをめちゃくちゃ頑張ってるお父さんって、大勢いるわけで。家族を守るため、養うために。お父さんの苦労って、誰でも一緒じゃないですか。でも、子供が小さいと、それがなかなか伝わらない部分ってあると思うんです。だから僕は、幸運な仕事だなと。目で見てわかる、勝ち負けもはっきりしてる、そういう仕事なんで。

―3人のお子さんは、八重樫選手の背中を見て育っていると。

八重樫 見せてるけど、全然頑張らないんですよ。どうなってるんですかねえ(笑)。この前、夏休み最終日なのに、宿題を最後までやってなくて。「誰の背中を見てたんだ」って言いたくなりました(笑)。しかも、どうにか終わらせたのに翌日、家に忘れていって提出できなくて。自分で自分の努力をダメにしてんじゃんって。

―ハハハハハ。お子さんは、今回の試合について何か?

八重樫 「どうだった?」とも聞いてないんで、長男からは何も言ってきませんね。けど、試合が終わった直後、泣いてたらしいんで、何か感じてる部分はあったかもしれないですね。優しい子なんで。真ん中は3歳なんで「お父ちゃん、負けちゃったんでしょ~」って笑ってました(笑)。

―では、今後の予定でわかっていることがあれば、教えてください。

八重樫 ライトフライ級で世界ランク(WBC・第3位)にも入ったんで、再起戦がどういう試合になるかはまだわからないですが、まずは決まった試合をこなしていくだけですね。

―31歳という年齢は気になりますか?

八重樫 うーん、それこそ、「八重樫、もうやめた方がいいよ、壊れてるよ」ってなったら、家族もいるんで壊れる前にって思いは片隅にはあります。自分の反応が落ちたなって、少しでも思う瞬間がきたら、その時は引退しようって思ってるんで。それが自分でわかんなくなるのは怖いですね。ただ、まだ衰えは全然感じないんで。また見たいと言ってくれる人がいるなら、やれるなって。

―まだ強くなれる?

八重樫 まだ、大丈夫じゃないですか!? 34歳の内山高志がいるんで。あの人の背中を見てると、まだ僕もいけんじゃないかなって。

“強さは優しさ”は間違ってない

―漠然とした質問ですけど、八重樫選手にとってボクシングって何ですか?

八重樫 ボクシング……なんなんだろう。上手く言えないですけど、今の僕の気持ちとしては、“残せるもの”ですね。大橋ジムの後輩にも残せるものはあるだろうし、僕は岩手県出身で、母親が小さい頃に住んでいたのが震災で被災した大船渡市なんですけど。岩手や東北の人に伝えられるメッセージでもあるし、残せる何かでもあるし。自分の子供にも、妻にも、両親にもボクシングで何かを残せたらいいなと思うんで。

それこそ、この前の試合を観た人の心にも、良い記憶にしろ悪い記憶にしろ、少なからず何かを残せたかなと思うんで。だから、ボクシングは僕にとって人の心に残せる何かなんじゃないのかなって。さっきはまだ31歳って言いましたけど、とはいえ、先行きはそれほど長くないんで、ひとつでも、少しでも何かを残して、ひとつひとつの試合を本当に一生懸命やっていきたいなって思ってます。そんな試合をたくさんやっていって、残せるものをひとつでも多く残し引退していきたいですね。

―よく言われると思いますが、本当に謙虚ですよね?

八重樫 そんなたいした人間じゃないんで(笑)。普通の人ですね。小さい頃から勉強ができたわけじゃないし、運動だって僕よりできる子がいた。だからなのか、一歩下がるクセがあるんですよ。前に出るのは怖くて。本当は引っ込み思案なんです。「東北人だね」ってよく言われます(笑)。2度チャンピオンになれたのもたまたまです。ラッキーで、ついてるんですよね。

僕、自分が強いとは思えない。だって、井上尚弥(大橋ジム・WBC世界ライトフライ級王者)の方が強いですよ(笑)。そういうのが身近にいるし、上には内山高志がいる。横にはロマゴンがいる。上にも下にも横にも強いヤツだらけ(笑)。そんなんで、「俺は強い!」なんて口が裂けても言えないです。ロマゴンに勝てたら、多少は言ってもいいかなって思ってたんですけどね(笑)。

―じゃあ、八重樫選手は“強さ”って、どう定義しますか?

八重樫 それ、この前も聞かれたんです。中学生に。僕と尚弥がフジテレビのイベントに呼んでいただいて、質問コーナーがあったんです。中学生に「どうすれば、強くなれますか?」って聞かれて。尚弥が先に答えたんですけど、あいつはマジメなんで、すごい丁寧に努力することの大切さとかを話したんです。もう言うことがなくなっちゃって、咄嗟(とっさ)に、僕は「強さは優しさです」って答えたんです。もう、勢いだけで(笑)。

―ハハハハハハ。

八重樫 でも、あながち間違ってないなと思って。「人に優しくできる人間が、本当に強い人なんだよ」って言ったんです。どんな苦しい時でも、人に優しく接してあげられたり、いつも笑ってる人が本当に強い人だって。常に優しい気持ちをブレずに持っていられるような人が、本当に強い人だと思うんです。腕っ節の強さもボクサーには必要なんでしょうけど、何が人の強さを計るもんだっていったら、やっぱり心の強さだと思うんで。

とにかくみんなに感謝、感謝です

―なるほど。では、最後の質問です。インタビュー中、“ラッキー”という言葉を何度も使っていましたが、幸運を運んできたものはなんだと思いますか?

八重樫 3人の子供たちですね。子供たちのおかげで、僕はチャンピオンにさせてもらって。それも2度も。ロマゴンと試合をできたのも、子供たちのおかげだと思ってて。子供たちに一番の感謝ですね。幸運を運んできてくれたんだなって。

―それは、お子さんがいるから頑張れたという意味ですか?

八重樫 存在そのものです。よく言うじゃないですか、子供はお母さんのお腹の中にいる時、生まれてから苦労しないように家族に幸運を運んでくれるって。それって、ホントにあるんだなって。子供たちがいなかったら僕はこんなについてる人生にならなかったた゜ろうなって思いますね。その都度、その都度、3人が僕に運を運んできてくれんだなって。

―運を運んでくれた3人の子供への感謝がすべて、と。

八重樫 あ、でも、感謝ってことでいえば、妻がいなければ子供たちもいないんで。妻にも感謝しなければだし、大前提として、試合をするチャンスをいつも作ってくれるボスにも感謝してもし切れないですし。それこそ、「八重樫の試合を見たい」と言ってくださる方達がいなければ、とっくに試合はできてないんで。だから僕は、僕に関わってくださる方、みんなに感謝しなきゃいけないですね。

衰えは感じていない、もっと強くなれる! 黙々とまた日々の鍛錬をこなす先に再び王座が!

(取材・文・撮影 水野光博)

●八重樫東(やえがし・あきら)1983年2月25日、岩手県生まれ。大橋ジム所属。24戦20勝(10KO)4負。2005年3月プロデビュー。2011年10月、WBA世界ミニマム級王者に。2012年4月、WBC同級王者・井岡一翔とのWBA・WBC団体王座統一戦に破れるも、2013年4月にWBC世界フライ級王者となり、飛び級での2階級制覇。