10月23日、今年もプロ野球ドラフト“”運命の1日”に一喜一憂、悲喜こもごも…新しいドラマの誕生に沸いた。そんな国民的行事の歴史は長く、数々のエピソードを生んでいるーー。
野茂英雄に並ぶ最多タイ8球団競合の末、ロッテ入団を蹴った1990年の小池秀郎(ひでお)(亜細亜大)。7球団競合の末、交渉権を獲得した近鉄への入団を拒否した95年の福留(ふくどめ)孝介(PL学園)…。これらはドラフト史に残り続ける“事件”だろう。
また、88年に当時の目玉とされた志村亮(慶応大)は9球団が指名の意向を表明したが、「野球での目標はやり尽くした」と不動産会社への就職を表明。巨人との密約説も流れだが、結局どの球団も指名を回避し“幻のドラフト1位”として歴史に刻まれる。指名どころか「プロ拒否」という新しいパターンで衝撃を与えた。
拒否組の大物は、やはり江川卓。73年に阪急、77年にはクラウンの1位指名を入団拒否。「空白の一日」などと呼ばれた大騒動を経て、阪神へのエース・小林繁トレードという仰天の結末で念願だった巨人入りを果たした。
また、89年には上宮(うえのみや)高の元木大介がダイエーの1位指名を拒否し、やはり浪人生活を経て翌年のドラフトで巨人入り。06年に日本ハム、08年にはロッテの指名を拒否した長野(ちょうの)久義(日本大→ホンダ)は、3度目の正直で臨んだ09年のドラフトで巨人に1位指名されて初志貫徹を果たした。
最近では11年の菅野智之も日本ハムの1位指名を拒否して母校の東海大で練習を続け、翌年巨人入り。こうしてみると、拒否理由の多くが巨人志望であるところに時代を超えたブランド人気が伝わってくる。
そのなかで巨人を拒否した珍しい例が05年の福井優也(済美[さいび]高)だ。高校生ドラフトの4位指名を拒否し、1浪して早稲田大へ進学。10年のドラフトで広島に1位指名されて入団した。
もっとも、拒否される側の球団も負けていない。長野、菅野を強行指名しながら拒否された日本ハムは、メジャー行きを表明していた大谷翔平(花巻東高)も強気に指名。2度の失敗を糧(かて)にした綿密なプレゼンテーションと、投打“二刀流”での育成を提案するウルトラCで入団につなげた。
一方で、オリックスは98年の新垣渚(あらがき・なぎさ・沖縄水産高)、00年の内海(うつみ)哲也(敦賀気比[つるがけひ]高)が共に1位指名を入団拒否。新垣の交渉をめぐってはイチローを発掘した三輪田勝利(みわた・かつとし)スカウトが自殺するという悲しい出来事も起きている。
果たして、今年はこれからどんな予期せぬドラマが待ち受けているのだろうーー。
(取材/キビタキビオ 谷上史朗 取材協力/寺崎 敦)
■週刊プレイボーイ44号(10月20日発売)「総力特集13P! プロ野球ドラフト会議 伝説の瞬間」より(本誌では、江川問題からKKコンビの明暗ほか一挙紹介!)