2010年5月、前任者の突然の退任を受け、「代行」として指揮官デビューし、チームを好転させた手腕が高く評価された東京ヤクルトスワローズ・小川淳司(じゅんじ)前監督。今季限りで退任するにあたり、江夏豊氏がその野球観と、ヤクルトファンなら誰もが気になる“あの問題”について真っ向から切り込んだ! プロ野球オフシーズンSPECIAL対談の前編。
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江夏 今季限りで監督を辞めて、あらためて今、どう?
小川 最後の2年間が最下位で、本当に悔しさしか残っていないんですが、何かホッとしている部分もあるような。
江夏 それだけ苦しかった?
小川 昨年はバレンティンがホームランを60本打って、小川泰弘が最多勝。今年もバッター陣は頑張りました(チーム打率、得点ともリーグトップ)。それでも最下位ですから「チームをまとめきれなかった」という責任を感じる毎日でした。
江夏 (高田繁元監督がシーズン途中で辞任した)2010年から足かけ5年だよな。
小川 はい。最初の年は監督代行という形で。
江夏 代行になった後、初めてあなたとじっくり話す機会があったよね。印象に残ったのは、采配ミスを素直に認める姿勢。「勝ったら選手のおかげ、負けたら監督の責任」という考え方にすごく好感を持った。その後、最大19もあった借金をどんどん減らしていったけど、どんな気持ちだった?
小川 とにかく「今のままじゃいけない」という気持ちでした。ただ、借金19なんて気の遠くなるような数字ですから「全部返す」なんていう思いはひとつもなかったんですよ。
監督は実績のあるカリスマ選手がなるものか?
江夏 それでも8月には10連勝もあり、最終的には借金を完済して貯金4、勝率5割を超えたわけだ。周りから見ていても「何かヤクルトは変わったな」という気はしていたよ。
小川 後々言われたのは、当時は信じられないような思い切った選手起用をしていたと。例えば、畠山和洋(はたけやま・かずひろ)という“打つだけの選手”にレフトを守らせてみたりですとか。
江夏 でも、それは急に思いついたことじゃなかったんだろ? あなたが二軍の指導者のときからずっと畠山を見ていて、できると判断したからこそ起用したと。
小川 はい。もともと彼は一塁か三塁しか守れない選手でしたが、入団当時からバッティングの技術はある程度、プロで通用するものがありました。そこで、一軍に上がるために外野も練習していたんですね。
江夏 彼にとって、それが大きなきっかけになった。選手にとって大事なのは、どんな形でもまずゲームに出ることだから。
小川 選手の特徴をどう出していくか、どう出場機会をつくるか、ということは二軍のときから常に考えていました。
江夏 そういうあなたが代行からそのまま監督になって、自分は素直によかったと思ったよ。
小川 代行をやっていたので特別な意識はなかったんですが、この自分が監督に…という気持ちはありました。僕は選手時代の実績があまりないので。
江夏 でも、あなたが歩んできた人生、野球人としては超エリートだよね。習志野(ならしの)高校では甲子園で優勝投手になり、中央大学時代には全日本の中軸を打ち、そして社会人の河合楽器。プロでは引退後にスカウト、二軍の指導者をやって、それから一軍のヘッドコーチ。残るは監督だけだったわけだから。
小川 しかし、一軍の監督というのは選手として実績があって、野村克也さんのようにカリスマ性が強くて、知名度も集客力も抜群の人がなるものだと思っていました。
監督になって生きてきた野村監督の教えとは?
江夏 でも、野村監督は「勝てば監督のおかげ、負けたら選手の責任」という人やで(笑)。
小川 いやいや(笑)。野村監督が1990年に初めてヤクルトに来られたとき、僕は選手で、春季キャンプでは毎日1時間から1時間半もミーティングだったんです。当時、ノートに書いたものを指導者になってから読み返してみると「やっぱりこうなんだな」と思うところが多くて勉強になりました。ただ、選手のときは……。
江夏 要するに、うっとうしいだけだよね(笑)。
小川 こんなこと言っちゃいけないんですけど(笑)、あまり真剣に考えなかったというか。
江夏 あの人の話は、人に教える立場になって初めてわかる内容も多いと思うけど、実は基本に重点を置いている。自分も現役時代に2年間一緒にやって、本当に勉強になったもの。
小川 僕は選手としてそこそこの経験だけはあったんですが、実績がない。つまり、自分でできなかったことがあるんです。そこは指導者になるときに勉強しなきゃダメだ、と思ったときにミーティングや本で読んだ野村さんの教えが生きました。
江夏 自分の場合、当時の野村監督は選手兼任だったんだけど、なんて意地が悪いキャッチャーだろうと(笑)。4番打者、監督としてはこっちも一歩譲るけど、バッテリーとしては対等。意地悪いことをやられたら、こっちもとことん向かっていって何度も言い合いしたよ。
小川 その江夏さんとのやりとりは全部、野村さんの本に出てます(笑)。
江夏 まあ、今となっては楽しい思い出だし、大きな財産になったよ。ところで、あの人は「長所を伸ばすよりも、短所を克服することがいい選手になるための道」というのが持論だよね。あなたはどう思う?
小川 僕は選手のとき、コーチの中西太(ふとし)さんから「長所を伸ばすことで短所が小さくなる」と教わりました。その後、野村監督に仕えたときには、まさに「短所を克服しなければ、プロでは生きていけない」と。
江夏 それぞれの持論だよね。
小川 僕はどちらも真実だと思います。長所を伸ばさなきゃいけない選手も、短所を克服しなきゃいけない選手もいる。
江夏 選手個々、みんな顔が違うように性格が違う、考え方も違う。それが個性だもんな。
小川 長所を消してしまうような短所なら当然、克服しなきゃいけない。反対に、短所が長所を潰(つぶ)さないのなら、どんどん長所を伸ばしていく。そう意識してきたつもりです。
●江夏豊 1948年生まれ。阪神、南海、広島、日本ハム、西武で活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などの記録を持つ伝説の名投手。日本球界における抑え投手のパイオニアでもある。通算成績は206勝158敗193セーブ
●小川淳司 1957年生まれ、千葉県出身。習志野高校3年時、夏の甲子園で優勝投手。中央大学進学後は外野手に転向し、日米大学野球で原辰徳、岡田彰布とともに日本代表の中軸を打つ。社会人の河合楽器では2年連続で都市対抗野球出場。81年、ドラフト4位でヤクルトに入団し、外野手として活躍。引退後はヤクルトでスカウト、二軍コーチ・監督、一軍ヘッドコーチを務め、2010年途中に監督代行に就任。翌11年から今季まで監督を務める
(構成/高橋安幸 撮影/五十嵐和博)
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