2010年5月、前任者の突然の退任を受け、「代行」として指揮官デビューし、チームを好転させた手腕が高く評価された東京ヤクルトスワローズ・小川淳司(じゅんじ)前監督。今季限りで退任するにあたり、江夏豊氏がその野球観と、ヤクルトファンなら誰もが気になる“あの問題”について真っ向から切り込んだ! プロ野球オフシーズンSPECIAL対談の後編。
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江夏 話を戻すと、正式に監督になった11年はギリギリで優勝を逃して2位、12年も3位でCS(クライマックスシリーズ)に進出。ところが、13年から急に勝てなくなった。その要因のひとつにはケガ人の多さもあったと思うけど、どうなんだろう。
小川 ヤクルトはよく「ケガ人が多い」といわれますが、単純に数が多いというより、手術するような程度の重いケガが多かったですね。
江夏 あれだけ故障者が出ると、監督としてはどんな心理なの?
小川 正直、またか…とは思いますよね。ある程度の期間、例えば1ヵ月、2ヵ月で復帰できるというメドが……。
江夏 計算が立てばいいけど。
小川 ええ。そうでないと、なかなかカバーしきれなくなってしまいますね。
昔だったら「軽い捻挫」も、今は「靭帯損傷」に……
江夏 それにしても、今は簡単に手術する時代だよね。医学は間違いなく発達しているけれど、本当にそれでいいの?という気持ちもある。
小川 保存療法で治れば、それが一番いいと思うんです。手術はあくまでも最終手段だと。
江夏 自分は、医療以前のトレーニング方法も見直す必要があると思う。ウエイトトレーニングもしかり、なんでもアメリカのまねをしすぎなんじゃないか。日本人の体力とアメリカ人の体力は違うんだから。
小川 野球の技術は、練習してもすぐに結果に表れるわけじゃありませんが、ウエイトは見た目の変化がわかりやすいので選手もモチベーションが上がると思うんです。すると、体が大きく強くなったと…。
江夏 錯覚するよな。
小川 ええ。ウエイトで筋力は強くなるけど、靱帯(じんたい)がついていかない、といった問題も時には生じるんじゃないかと。医学的な根拠はなく、単に自分の考えですが、トレーニング方法を見直すべきケースも確かにあるように思います。
江夏 でも、科学や医学がどんどん発達してくると、自分たちがやってきたことが果たして正しかったのかな、という気持ちも出てくるよね。
小川 今はトレーナーの人も、割とすぐに病院へ連れていきますね。そうすると、昔だったら「軽い捻挫(ねんざ)」くらいにしか言われなかったものが、今は「靱帯損傷」であるとか、たいてい診断名がつきます。選手としても「まあ大丈夫だ」と言われるのと、診断名を聞くのとでは大きな違いがありますよ。
2年連続最下位のリベンジを誓う!!
江夏 それはそうだよね。ところで、今度の役職は?
小川 シニアディレクター(SD)です。編成部門ですね。
江夏 先日、FAの大引(おおびき。前日本ハム)、成瀬(前ロッテ)の入団が決まったけど、あなたも交渉に関わった?
小川 そこは関係ないですね。来年1月1日からの契約です。
江夏 そんな、無責任なこと言うなよ(笑)。
小川 一応、契約ですので(笑)。
江夏 じゃあ、真中満(まなか・みつる)新監督にどんなことを期待する? 「もう俺は知らん」と?(笑)
小川 いえ、それならヤクルトには残っていません。2年連続最下位の悔しさを来年に生かし、チームが強くなるために真中監督をバックアップできればと。
江夏 今は20勝投手をひとり育てるよりも、10勝前後できる投手を3、4人そろえたほうが勝てる時代。要は選手の層がものをいう。そういう意味じゃ、あなたが自分の目で見て、いい選手をできるだけ現場に送り込んであげることが大事だと思う。大変な仕事だけど、頑張って。
小川 わかりました。今日はありがとうございました。
江夏 こちらこそ、ありがとう。
●江夏豊 1948年生まれ。阪神、南海、広島、日本ハム、西武で活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などの記録を持つ伝説の名投手。日本球界における抑え投手のパイオニアでもある。通算成績は206勝158敗193セーブ
●小川淳司 1957年生まれ、千葉県出身。習志野高校3年時、夏の甲子園で優勝投手。中央大学進学後は外野手に転向し、日米大学野球で原辰徳、岡田彰布とともに日本 代表の中軸を打つ。社会人の河合楽器では2年連続で都市対抗野球出場。81年、ドラフト4位でヤクルトに入団し、外野手として活躍。引退後はヤクルトでス カウト、二軍コーチ・監督、一軍ヘッドコーチを務め、2010年途中に監督代行に就任。翌11年から今季まで監督を務める
(構成/高橋安幸 撮影/五十嵐和博)