プロ野球のオフシーズン、今年のあれやこれやを振り返りながら、世のオヤジたちも若い部下世代に忘年会の席で熱く“古き佳き時代”の講釈をたれているのだろう。
80年代パ・リーグ。それは、全国放送もない世界の隅っこで男たちの意地とプライドが飛び交う、異様な熱気に支配された独特の世界だった。
“実力のパ”をうたうとおり、単純に“誰が一番強いのか?”を追い求めた意地の張り合いは、例えばロッテ・村田兆治が直球一本で南海・門田博光に挑み、迎える門田も村田の球を弾き返すためホンモノの鉄球を打ち込み血をしたたらせる。そんな鬼たちの世界だった。
ルックスも、パ・リーグの「パ」はパンチのパかと思うほどパンチパーマにあふれ、これにダブルのスーツ、金のネックレス&ロレックス、黒塗りベンツと、そのファッションは任侠の世界そのもの。
グラウンドはといえば、むき出しの感情のぶつかり合い。インコースを攻めて当たれば怒る。味方がやられれば“出入り”だとばかり乱闘が始まる。裏切られた巨人を日本シリーズで倒せば泣く(新人時代の清原、当時西武)。試合に勝ったらうれしくて朝まで酒を痛飲し、勝負に負けたら悔しくてブランデーに涙を浮かべる。
まるで、リアル“あぶさん”の如く二日酔いでホームランを打つ人間の凄味(すごみ)。銀座に飲みに行くため早く終わらそうと技術を凝らす妙味。そんな生身すぎる明快さと、勝負に対する狂気的なエゴが異様な熱気となっていたのである。
外野席で観客がキャッチポール?
だが、球場はガラガラ、テレビ中継はほぼゼローー。グラウンドでは前日の酒がほのかに残るパンチパーマの男たちが、己のプライドをかけて、むき出しの感情をぶつけ合うが…。
「試合中に客が何人いるのか指折り数えたら30人しかいなかった。発表は入場者3000人なのに…」
80年代のパ・リーグの選手であれば皆、一度や二度は経験があるこんな自虐ネタ。現在のように観客数の実数発表がない時代のパ・リーグでは、ひと目見て“無観客試合”と思える客入りでも、平然と水増し発表する“白いボールのファンタジー”があった。
スタンドでは流しそうめんが行なわれ、「球場の売店で閑古鳥が焼き鳥として売られていた」とも噂される当時のパ・リーグ。
大阪球場では「ガラガラすぎて三塁側のスタンドから一塁側にいたビールの売り子を呼べた」、川崎競輪に隣接する川崎球場では「打鐘(じゃん)が鳴るたびにお客が競輪を見にスタンド上部に上っていた」「日曜日にロッテがビックリマンチョコを配布するも、配り終えたら誰もいなくなってしまった」との逸話も。
実際、川崎球場の外野席ではキャッチポールする学生たちすらいたほどだ。
このほか「阪急沿線のとある駅には試合日になると“ご自由にお取りください”と西宮球場のタダ券が放置されていた」「パ・リーグの球場は西武(球場)以外サ ンポールのニオイ」「当時は選手の野次ネタを仕入れるため、応援団員が選手を尾行していた」などなど、今では想像もつかない情緒的光景があったのだ。
今となっては懐かしい、嘘のような漫画のような世界だが、なぜか愛おしくも語り継ぎたい風景がそこにはある。
(取材・文/パシフィック・リーグ1980研究会)