自身も現役を続行しながら、11月にプロテストに合格した次男の寿以輝(じゅいき)に期待を寄せる辰吉

内山高志のWBA世界スーパーフェザー級王座防衛戦や、井上尚弥のWBO世界スーパーフライ級王座挑戦など今年の年末はボクシングのビッグマッチが目白押しだ。

今また黄金期を迎えつつあると盛り上がる日本ボクシング界、その歴史を築いてきたレジェンドボクサーたちの証言を発売中の『週刊プレイボーイ』52号では16ページにわたり掲載。その中から“浪速のジョー”辰吉丈一郎インタビューを公開!

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当時、最短での世界王座到達、眼疾により引退勧告、そこからの復活を果たしての劇的KOーー。辰吉のキャリアはファンにとって“伝説の宝庫”といえる。

岡山の不良少年が拳ひとつで成り上がり、数々のファイトで人々を熱狂させる辰吉丈一郎の半生は、あまりにもよくできたドラマである。

まずは、世界チャンピオンを志し、単身大阪へ出てきた時のことを振り返ってもらおう。

「15歳の時やからね。もう忘れたわ。でも入門したその日から怒られまくって、竹刀(しない)で25発も殴られたのを覚えてる。当時は目上の人に対する口のきき方なんて知らんから『土足で上がるな!』と言われりゃ『あんたもそれ土足ちゃうん?』と返して殴られて、『はよ腹筋やらんかい』と言われりゃ『あんたはできんのかい』と答えてまた殴られて。ほんま、ずっとそんな調子やったね」

男手ひとつで育ててくれた父親から我流の手ほどきを受けてはいたが、技術的には素人。竹刀で叩かれながら基礎をみっちりと叩き込まれた。

入門当初から素質が注目され、所属の大阪帝拳ジムは辰吉にまずアマチュアで実戦を積ませる方針を固める。ヘッドギアを着用するアマチュアボクシングにおいて、18勝すべてをKO勝利というのは怪物の証明である。

「最後の全日本選手権は決勝で負けたんやけど、ジムとしてはたぶん、初のオリンピック選手にさせようという目論見(もくろみ)があったと思う。でも俺は一日も早くプロになって、父ちゃんに普通の暮らしをさせてやりたかったから。岡山から出てきたのもそのためだし、早く名前を売って、大きな試合をして父ちゃんに楽させてやりたかった」 

ラバナレスはエグかった。そりゃ剥離にもなるて

そうした希望が通じたのか、辰吉は初黒星の後、プロに転向。デビュー戦から相手に敬遠され、やむを得ず外国人選手を招くことになったのは有名なエピソード。おのずと陣営は早い段階から世界戦略を練ることになる。

もっとも、当の本人は「最短記録とか、そんなん別に目指してなかった。記録は俺にとって意味のあるもんやない。自分の強さはやっていくうちについてくるものや」と素っ気ないが。

最初の世界タイトル獲得は、プロ8戦目。本人が望まずとも、それまでの圧倒的な試合っぷりからすれば、最短(当時)で挑戦に至るのは自然な流れだろう。

チャンピオンのグレグ・リチャードソンは、アマチュアで275戦、プロで33戦という重厚な経験値を持つアウトボクサー。キャリアで劣る辰吉のボクシングがどこまで通用するのかは、まったくの未知数だった。

ところが、ふたを開けてみれば、開始ゴング直後から辰吉が獰猛(どうもう)なまでにリチャードソンを追い回す展開が待っていた。最後は歴戦のベテランが戦意を喪失。リチャードソンが11ラウンド開始のゴングに応じないことを確認すると、レフェリーは試合終了を宣言したのである。

しかし、この試合で辰吉は左目の網膜裂孔を患った。そして1年のブランクを経て迎えた初防衛戦では、ビクトル・ラバナレスに敗れて王座陥落。翌年にラバナレスに雪辱してベルトを奪回するも、試合後に今度は網膜剥離(はくり)が発覚する―。

「ラバナレスはエグかった。一発で3度痛いねん。頭、拳、肘(ひじ)の3連発や。パンチもグローブの中に灰皿でも入っとるんちゃうかってくらい硬くて痛い。そりゃ剥離にもなるて」

辰吉の子というプレッシャーも贅沢や

網膜剥離=即引退が、当時の日本ボクシング界のルールだった。つまり、キャリアはここで終幕となるはずだった。

「でもね、ルールだから引退せいって言われても、はい、そうですかとは言えんでしょ。実際、海外では治療すれば現役を続けられるわけやん。今までルールに歯向かったヤツがおらんかっただけで、だったら日本もやれるようにしたらええやん、と」

結果、辰吉はハワイで復帰戦を敢行。同時に署名運動が全国で巻き起こり、ついにはコミッションから「もう一度負けたら引退」を条件に復帰が認められる。そうして実現した薬師寺保栄との激闘は、40%近い視聴率をはじき出すほど注目されたが、辰吉は判定で敗れてしまう。

それでも、辰吉はリングに帰ってくる。ルール改定により実現したダニエル・サラゴサへの2度の挑戦は、いずれも敗戦。戦歴に黒星が目立ち始める。続いての、16戦全勝の強豪王者シリモンコン・ナコントンパークビューへの挑戦が決まった際には、ファンの間で絶望的な予想が立ったものである。

ところが、この試合には予想外の展開が待っていた。得意の左ボディブローが冴(さ)えわたり、5ラウンドに右でダウンを奪う。そして激しい打撃戦の末、7ラウンドにボディでシリモンコンを仕留め、辰吉は3年ぶりにWBC王座への復帰を果たすのだ。

「相手は世界チャンピオンやから、そら強いに決まってる。怖いけど、自分が絶対勝つと信じてリングに上がるねん。覚悟を決めて打ち合った結果やね。最後のボディは練習どおり。あればっか練習しとったから、打ち合いの中で自然と出たんやと思う」

このベルトは2度の防衛に成功するが、ウィラポン・ナコンルアンプロモーションに6ラウンドKO負けで奪われてしまう。8ヵ月後の再戦にも敗れた辰吉は「ウィラポン? あの2試合については、ほんま何も記憶ないねん(キッパリ)」とのこと。

返す返すも浮き沈みの激しいキャリアだが、そこには勝敗を超えた圧倒的な魅力が満ちていた。今も現役を貫く辰吉は、毎日の走り込みとトレーニングを欠かすことはないという。

最後に、11月にプロテストに合格し、来春のデビューが待たれる次男・寿以輝(じゅいき)について語る。

「辰吉の子がボクシングやる。世界チャンピオンになる。当たり前。そのとてつもないプレッシャーに勝って戦わなならん。ある意味、贅沢(ぜいたく)ともいえるわけや」

■辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう)1970年生まれ、岡山県出身。中学卒業後、大阪帝拳ジムに入門し、アマチュアで19戦18勝(18KO・RSC)1敗の戦績を残す。WBC世界バンタム級王座を通算3度獲得。現在も引退せず日々トレーニングに取り組む

(取材・文/友清 哲 撮影/ヤナガワゴーッ!)

■週刊プレイボーイ52号(12月17日発売)「語り継がれる“あの一戦”の舞台裏を本人に直撃! ボクシング伝説の瞬間」より(本誌では、具志堅用高、鬼塚勝也、竹原慎二、畑山隆則、内藤大助、西岡利晃のインタビューも掲載!)