恒例となった年末のボクシングビッグマッチ。今年は30日、31日の2日間で計8試合の世界戦が行なわれる。
さらに、30日はロンドン五輪ミドル級金メダリスト・村田諒太(帝拳)が、31日には3階級制覇を目指す井岡一翔(井岡)が参戦。目移りするほどの豪華カードが目白押しだが、それでも日本人選手以上に最注目すべきは間違いなくギジェルモ・リゴンドー(キューバ)だ。
シドニー、アテネで五輪2連覇を達成し“神の領域”と称され、2009年にプロ転向してからは14戦全勝(9KO)。現在、WBA・WBO世界スーパーバンタム級統一王者であり、ボクシングメディア最高の権威を誇る米国『リング・マガジン』が制定する“パウンド・フォー・パウンド(階級差を考慮せず、全選手を対象としたランキング)”では第8位。30日と31日、リングに上がる選手の中でランクインしているのはリゴンドーだけだ。
そんな”最強王者”と拳(こぶし)を交えるのが、WBO世界フェザー級10位、東洋太平洋同級王者・天笠尚(あまがさひさし・山上ジム)。大晦日の大トリを務める両者の一戦は、世紀のミスマッチか? それともーー。挑戦者・天笠尚にその胸の内を聞いた!
* * *
―リゴンドー戦を、『ドラゴンボール』でたとえるなら?
「うーん、クリリン対魔人ブウですね。もっと差があるかな。チャオズ対魔人ブウくらい。それくらい差はあります」
―当初は、リゴンドーの対戦相手として別の選手が交渉を進めていたものの諸事情で不成立。急きょ、代役として白羽の矢が立ったそうですね。
「僕に声がかかったのは11月中旬くらいです。金平会長(協栄)から『リゴンドーとやらないか?』って言われて」
―その時の心境は?
「信じられないというか、聞き間違えかと思って。『えっ!? リゴンドーって、あのリゴンドーですか?』って聞き返しちゃいましたからね。もう神様みたいな存在なんで。『ほんとにリゴンドーが日本に来るの?』って半信半疑でした」
―対戦を承諾するのに戸惑いはなかったですか?
「ありましたよ。だってリゴンドーですよ。しかも、僕はフェザー級以外で試合をしたことがないんですけど、ひとつ下の階級なわけで。それに、10月15日に試合をしたばかりだったし、試合後、体調を崩したこともあって、1ヵ月ほぼ練習をしていない状態だったんで。さすがに即答はできませんでした」
―では、決断に至った経緯は…。
「3日間、迷い続けて、試合をするか僕自身は五分五分くらいに思ってたんですけど、親やジムの会長に相談したら反対されて。いつも指導していただいている内田トレーナーに相談して決めようと思ったんですけど、会った瞬間、『チャンスだ!』って言われて。そのひと言で気持ちは決まりましたね。『やってやるよ!』って。迷ってる場合じゃない。神様と試合ができる、2度と来ないチャンスなんだって」
―準備期間は短く、さらに未知の階級、なにより相手はリゴンドーです。それでも戦おうと?
「リゴンドーと戦える選手が、世界で何人いるかってことですよね。世界チャンピオンになったとしても難しいんで。すごい名誉なことだと思うんです。それに、ボクシングって突き詰めれば、強いヤツと戦うってのが本質だと思うんで。世界最強の称号を持っている選手と戦えるのは光栄ですよね。シンデレラストーリーですよ。僕、運は強いんです。それにボクシングを始めたころの気持ちを思い出したんで、戦おうって」
辛いことから逃げる自分を変えたかった
―ボクシングを始めた頃の気持ちですか?
「僕、勝ちたいとか、チャンピオンになりたいとかってボクシングを始めたわけじゃなくて(笑)」
―じゃあ、なんのために?
「中学でサッカーをやってて、高校でも続けようと思ってたんですけど、周りに流され遊んじゃったんですよ。サッカーやりたいと思いながら。なんか上手く学校にも馴染めない部分もあって、そのうち不登校になって。人として弱かったんです。やりたいことに向かって、意思を持って進めなかった」
―そして、ボクシングに出会った?
「はい。不登校の子が行く寮施設に半年行って、その後、地元に戻るとまた遊んじゃうだろうな…だったら、新しい環境でやり直してみたいなって思って、東京の高校に転校することにして。姉が東京でひとり暮らししてたんで、そこに居候させてもらったんです。
そのアパートのそばにあったのが山上ジムで。格闘技は好きだったし、ボクシングやってみたいなって。畑山(隆則)選手の動きが奇麗で、カッコいいなって思ってたし。中3の夏休みに無料体験みたいなスクールにも行ったことがあったんで」
―それが、ボクシングを始めたきっかけなんですね。
「でも、その時は1週間くらいで続かなかったんですよね(笑)。きつかったんで」
―一度、やめてるんですか?
「はい。そのままモヤモヤしながら高3になって。好きなことをするなら年齢的にもラストチャンスだな。もう一回だけボクシングやってみよっかなって。弱い自分、辛いことから逃げちゃう自分を変えたかったんです。それが、ボクシングをもう一度始めた動機で。山上ジムの門をもう一度、叩いたんです」
おまえは将来、逃げずにリゴンドーと戦えたぞ
―ジムが、一度やめた選手なのに快く受け入れてくれたんですね。
「会長、僕のこと忘れてました(笑)」
―今度は、辛くてもやめようとは思わなかった?
「何回もやめようと思いましたよ。思ったんですけど、ここでやめたら、逃げ出したら前と一緒だって。何回かあったんです、先輩にスパーリングでボコボコにされたりしてやめそうになったことが」
―それでもやめなかったのはなぜ?
「当時の自分なりには頑張ったのかな。あとは、会長の影響も大きいです。僕を褒(ほ)めてくれて。『おまえ、いいよ! 強くなるよ!!』って。たぶん、誰にでも言ってたんでしょうけど(笑)。期待をかけてもらうって、それまでそんなになかったんで嬉しくなっちゃって。褒められて、いい気になっちゃったんだと思うんです。
それでどうにか続けて、プロテスト受けてみよう、1回試合をしてみようって、気づけば今日まで続けてきたんです。だから、最初は自分との戦いだったんです。弱い自分に勝ちたいって」
―他の誰かじゃない、自分に勝つためにボクシングを始めたんですね。
「はい。だからリゴンドー戦、僕は変われたかを試される試合だと思ってて。リゴンドーと戦う、こんな怖いことないですよ。どんだけ想定しても、実際にリングに立ったら想定も想像を超えてくる強さだと思うんです。そこでビビって下がったら、それこそボロ雑巾みたいにやられる。
弱気にならないで踏みとどまって、相打ち覚悟でパンチを出そうと思ってます。手を出さないと勝てる可能性はゼロなんで。だから恐怖に、自分の弱さに勝てるか試される試合なんです」
―自分との戦いでもある、と。
「もちろん、勝ちにいきますよ。負けるにしても1発、意地でも食らわせてやりたい。ただで負けたくないんで。骨の一本でもじゃないですけど、それくらいの意地は見せたいです。たぶん、リゴンドーは格下だと思ってアグレッシブにくると思うんです。ナメてくれて、倒そうとバンバン打って来てくれた方がチャンスはある。相打ち覚悟で一発入れます。
だって絶対、僕の人生のハイライトですからね。これから、どんなことが起きたって、この試合が確実に僕が生きる時間の中でNo.1の出来事になる。だから、悔いだけは残したくない。練習でやってきたことは出す。そこだけに集中します。試合が終わった時、逃げてばかりいたあの頃の自分に胸張って言ってやりたいっていうか。『おまえは将来、逃げずにリゴンドーと戦えたぞ。だから、逃げるな』って」
1秒で、1発で世界が変えられるのがボクシング
―なるほど。
「普通、生きてて、『ここが人生最大の勝負だ!』ってわかることって、そんなにないと思うんです。僕には、勝負の日がくっきりわかる。幸せなことですよね」
―確かに、そうかもしれないですね。
「だから、勝っても負けても、インパクトのある試合をします。チケットを買って会場に来てくださるお客さんが『来てよかった』『見てよかった』って思える試合を。あとは、負けても勝ってもKOです。僕が判定じゃ勝ち目がないのは当然だし、日本にリゴンドーが来る以上、負けるならKOで負けます。それは、みなさんにお約束します。大晦日のゴールデンタイムという最高の舞台、最高の相手なんで、インパクトのある試合は絶対にします。」
―何か秘策は用意しますか?
「内田トレーナーに『カーンって鳴ったら奇襲かけていいですか?』って聞いたんです。そしたら、『それじゃ、5秒でボコボコにされて終わっちゃうよ』って言われたんで、奇襲はしません(笑)。どんだけ可能性は低くても、勝つための試合運びをします。
ボクシングって絶対がないんで。僕の10月の試合もそうでした。11Rまで完全に負けてて、12RラウンドにKOで勝ったんです。もちろん相手は魔人ブウなんで、勝てる可能性はかなり低いのはわかってます。でも1秒で、1発で世界が変えられるのがボクシングだと思ってるんで」
―戦いっぷり期待しています。最後に、大晦日の入場曲は恒例の“あまちゃん”のテーマですか?
「そうしようと思ってたんですけど、テレビ局に頼まれた曲があるんで、それでいきます。今なら、妖怪ウォッチの『ようかい体操第一』がいいかなと思ってたんですけどね(笑)」
(取材・文/水野光博 撮影/利根川幸秀)
●天笠尚(あまがさ・ひさし) 1985年10月18日生まれ。群馬県太田市出身。山上ジム所属。OPBF東洋太平洋フェザー級王者。34戦28勝(19KO)4敗2分け。変則の一発屋
※明日は、1年ぶりの防衛戦”KOダイナマイト”内山高志インタビューを掲載予定!