“ボクシングの殿堂”ラスベガスのMGMグランドに乗り込み世界王座防衛を果たした西岡利晃氏

最強王者・リゴンドーに果敢に挑む天笠尚のWBO世界スーパーフライ級王座挑戦や、内山高志のWBA世界スーパーフェザー級王座防衛戦など今年の年末はボクシングのビッグマッチが目白押しだ。

そこで、今また黄金期を迎えつつあると盛り上がる日本ボクシング界、その歴史を築いてきたレジェンドボクサーたちの証言を連続インタビューで送るシリーズ――。

最終回は、日本人ボクサーとして初めて、本場ラスベガスでメインを飾ったことも記憶に新しい西岡利晃

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「ジム内に響き渡るくらい、ブッチーン!ってものすごい音が鳴ったんです。立っていられなくてそのままロープにつかまったんですけど、“これはやってしまったな”とすぐに察して血の気が引きましたね」

左脚のアキレス腱断裂。西岡氏は“その瞬間”をそう振り返る。難攻不落を誇ったタイの英雄ウィラポン・ナコンルアンプロモーションを、再戦ですんでのところまで追い詰め(結果はドロー)、3度目の正直を目指して準備をしていた2001年暮れのことだった。

「スタミナさえつければ次は勝てる。そう思って、いつも以上に走り込みました。左脚のふくらはぎがパンパンに張っているのは自覚していましたが、そのうち治るだろうと走り込みを続けていたんです。

アキレス腱断裂後、早く練習に戻りたくて焦っていたので、せっかく治り始めた頃に“そろそろ大丈夫かな?”と軽く体を動かしてみたら、また同じ箇所をやってしまって…。さすがに、もうボクシングは続けられないかもしれないと不安になりました」

リング復帰は叶(かな)ったものの、2年近いブランクを余儀なくされた。しかも、左脚をかばう動作が染みつき、そのボクシングには深刻な狂いが生じていたという。

「左脚に体重をかけないクセがついているから、全体のバランスが崩れているんです。スパーリング開始当初は誰とやってもボコボコにされていました」

「敵地でKOした瞬間、客席が静まり返った」

そして復帰戦でセットされたウィラポンとの再々戦は、またしてもドロー。さらに4度目の挑戦(04年3月6日)にこぎ着けるが、今度は明白な判定負けを喫する。西岡は終わったーーおそらく誰もがそう感じたことだろう。

「ジムからは引退勧告も受けました。でも、絶対に世界チャンピオンになると心に決めていたので、またチャンスが来ると信じてトレーニングを続けていました」

5度目の世界挑戦が叶ったのは、実に4年半後の08年9月。階級をひとつ上げ、スーパーバンタム級での王座決定戦。これに勝利し、悲願のベルトを手にした西岡氏の姿は、誰の目にも感動的だった。

しかし、これはハッピーエンドではなく、本当の西岡伝説の幕開きだった。

初防衛戦に快勝し、2度目の防衛戦は、世界的な強豪として知られるジョニー・ゴンサレスに決まった。しかも、開催地は敵地メキシコだ。

「敵地であることはさほど気になりませんでした。ただ純粋に、強い強いといわれているゴンサレスとやれるのが楽しみでしょうがなかったですね。会場は当然ゴンサレスの応援一色でしたけど、どうせ言葉はわからないので、すべて自分への歓声だと思うようにしていました(笑)」

2ラウンド、ゴンサレスの右で尻もちをついてしまった西岡氏だが、むしろこれで「目が覚めた」と、続く3ラウンドに左ストレートでゴンサレスを吹っ飛ばし一撃で勝負を決める。

「最後の左は練習していたものではなく、試合中に考え出したパンチ。KOした瞬間、客席が静まり返ったのを覚えています」

地元の英雄を一発でKOしたこの左ストレートを、メキシコのメディアは“モンスターレフト”と表現して讃えた。以降、これが新たなニックネームとして定着する。

その後も磐石(ばんじゃく)の強さで防衛回数を伸ばしていく。メキシコでの一戦以来、世界での評価も急上昇し、V7戦はボクシングの本場・アメリカで行なわれることに。ラスベガスでメインを張った日本人ボクサーは、後にも先にも西岡氏だけである。

「戦わずに引退して後悔したくなかった」

2011年10月1日、相手はラファエル・マルケス(メキシコ)。本場で名を売るスター選手のひとりだ。試合は実力が拮抗(きっこう)した緊迫感たっぷりの展開。しかし、パンチの精度とディフェンス勘に勝る西岡氏がやがて抜け出し、明確な判定で難敵を退ける。

「大きなパンチをもらうことこそなかったですけど、マルケスは異様なほどジャブが伸びてくるやりにくい選手でした。ラスベガスは昔から数々のトップ選手が戦ってきた場所ですから、ここで勝てたことは本当に嬉しかった。達成感もあったし、引退か続けるか悩みました」

日本ボクシング界に新たな歴史を刻んだこの時、すでに35歳。確かに、有終の美とするのにふさわしい一戦ではあった。しかし、新たな標的をとらえる。世界のトップと評価される、ノニト・ドネア(フィリピン)だ。

「ボクシングを続けたかったというより、当時、全階級を通じて最も高く評価されていたドネアが同じ階級にいるから、男としてぜひ戦ってみたかった。難しいマッチメイクになるのは承知していましたが、やらないまま引退して、後に後悔するのは避けたかったんです」

ドネア戦はマルケス戦から丸1年後の2012年10月13日にセットされ、場所はアメリカ・カリフォルニア州。この試合は事実上、4本のベルト(WBO、IBF、WBCダイヤモンド、リングマガジン)がかけられた。

「ドネアの左フックを警戒し、右のガードがおろそかにならないよう注意していました。しかし、2ラウンドにアッパーを右目に食らってから、ずっとドネアがふたりに見えていました。一体どっちを殴ったらいいのかな、という感じで(苦笑)。

7ラウンドくらいにようやく回復してきましたが、ポイントで負けているのはわかっていたので、攻めて出ました」

しかし、ドネアの牙城(がじょう)は高く、9ラウンドTKO負けで西岡氏は長いキャリアを終える。

「ラスベガスで勝ったまま引退しても、心はずっとくすぶったままだったでしょう。ドネアとあれほど大きな舞台で戦えて、ボクシングをやりきることができました。大満足のボクシング人生だったと思います」

■西岡利晃(にしおか・としあき)1976年生まれ、兵庫県出身。早くから世界を期待されながら、バンタム級時代はアキレス腱断裂など苦境に見舞われる。スーパーバンタム級で資質を開花させ、WBC世界王座を7度防衛。海外でも高い評価を獲得した。「西岡利晃GYM」兵庫県西宮市津門稲荷町5-10 フレクサンス北今津2F 電話0798-36-4126 【http://nishiokagym.com/】

(取材・文/友清 哲 撮影/岡村智明)