少年時代から城が好きで、これまで巡った城は100ヵ所以上だという藤波氏

年始の幕開きは、新日本三代目将軍の御成(おな)り~! これまで巡った城は100ヵ所以上、城を愛してやまない“炎の飛龍”藤波辰爾が抱く壮大な夢とは? 今年は浪漫を求めて城を巡りたくなる?

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お城を好きになったきっかけは、中学のときの修学旅行。初めて大阪城や二条城を見て、その豪快な景色に魅せられました。レスラーになってからは、全国各地を旅しますよね。試合会場の町にはだいたい当日のお昼すぎに着くので、会場入りするまでの2、3時間を使って近くの城をあちこち巡るのが僕の大切な行事となりました。

もう全国100ヵ所くらい巡ったかな。そのうちお城の謂(い)われとか築城の時期とかを調べるようになっていきました。大好きなお城は国宝級のもので、どれもモノトーンの美学が詰まっています。特に滋賀県の彦根城などは、お城も庭も全体のバランスがいいですね。

お城の中で一番好きな部分は石垣です。それも石を完全に整形して接合させた「切込接(きりこみはぎ)」より、自然の石を荒々しく積んだ「野面積(のづらづみ)」のほうが好きです。石垣は雨が降れば降るほどに内部が締まっていくんですが、そうした技術は現代の造園業にも生かされているらしいですね。

プロレスラーは血気盛んだし、戦国武将の姿と重ねて見ることもできますね。例えば、ジャイアント馬場さんの性格を考えると、いかにも徳川家康ふうでしょ。猪木さんは完全に織田信長タイプですよね。49歳で没した信長より全然長生きですけど(笑)。

僕は猪木さんに憧れてこの世界に入ったけど、周りからは馬場さん型とよく言われます。周りとの調和を大事に考えるほうなんですね。

新日本を守るためのお城を造りたかった

でも、僕にも野望がありましたよ。つまり、1990年代以降のドラゴンボンバーズや無我の結成ですね。あの頃、新日本を離れたレスラーが一国一城の主(あるじ)になろうとして、いろいろな団体が乱立してました。ライバルの全日本も元気で、新日本はいつも周りから集中砲火を浴びせられている感じだった。

僕は新日本を守るためのお城を造りたかった。いわば別働隊のような集団をつくって興行を活性化させて、戦法でいえば対抗勢力を前と後ろから挟み撃ちにしたかった。それがボンバーズや無我の狙いでした。でも一部の人から僕の城は敵方の城と見られたのは残念でしたね…。

99年には、新日本の三代目将軍(社長)になったけれど、猪木さんという家康がまだ生きていたからね(笑)、非常に座り心地のよくない将軍の座でしたね。

僕は性格的に孤独なタイプなのか、自分の世界に入りやすい。お城にいると、殿様の気分を楽しんでしまう。天守の窓から見える城下町の造りを一から考えるとか。ただ、戦国時代は殿様だって常に寝首を掻(か)かれる心配があるし、ゆっくり寝てられなかったはずです。僕が新日本の社長だったときもそうでしたよ。

それに比べたら現在の新日本はすっかり安定期、まるで元禄時代のように見えるね(笑)。僕自身は江戸時代よりも戦国時代のほうが肌に合うような気がしますけど。

僕の夢は、江戸城本丸の天守台を復活させること。スカイツリーより文化的にはずっと重要ですよ。そこでサミットを開くのもいいしね。天守台復活のプロジェクトを、ぜひとも自分が元気な内に開始したいですね!

 

61歳となった今も、ドラディッションなどのリングで現役を続けている

■藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)1953年生まれ、大分県出身。72年の旗揚げから2006年に退社するまで新日本を牽引した“炎の飛龍”。2012年にデビュー40周年を迎え、現在はドラディションなどで活躍中

(取材・文/長谷川博一 撮影/平工幸雄)

■『燃えろ!新日本プロレス』vol.57(2013年12月19日号)に掲載http://weekly.shueisha.co.jp/moero/main.html

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