「選手とサポーターが一体となって実績を語り継ぎ、意識を変革することができれば、日本のサッカーは確実に強くなります」と語る矢野氏

アルベルト・ザッケローニ前日本代表監督の通訳を務めた矢野大輔氏が、チームの4年間の歩みを綴(つづ)った『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』。ザックジャパンの主力選手が中心となる現代表がアジア杯に挑む今、大きな話題を呼んでいる。

―監督と選手のリアルな会話から戦術や選手起用の裏側まで、ザックジャパンへの理解と共感が深まる内容でした。

矢野 日本代表はブラジルW杯で「世界を驚かせる」という目標を掲げて戦いました。結果は出ませんでしたが、あの3試合だけで4年間のすべてが否定されるわけではない。選手も監督もすごい覚悟で戦ったということを伝えたかったんです。

―ザックさんは典型的なイタリア人のイメージとは少し違う人のように見えますが、15年間イタリアで暮らした矢野さんから見て、どんな印象ですか?

矢野 明るい、時間を守らない、女性が好き、というイメージどおりのイタリア人は確かに多いですが、一方で革職人やテーラーなどに優秀な人物が多いように、物静かでストイックな職人気質の人もひと握りいます。ザックさんはそちら側ですね。

―ザックさんが戦術や選手起用について、中心選手に意見を求める場面が何度も出てきます。

矢野 自分の考えを強く打ち出し、完璧に植えつけていく監督もいますが、ザックさんは柔軟なタイプ。自身にプロ選手経験がなく、手探りで監督のあり方を学んできたことと関係があると思います。しかし、「最後に決めるのは監督である私だ」とは常々おっしゃっていました。

―長谷部、本田、遠藤とは、特に議論する機会が多かったようですね。

矢野 それぞれパーソナリティはまったく違いますが、3人は周囲からリスペクトを集めるチームの核でした。彼らと対話を深めることで、チーム全体にコンセプトを広める役割も期待していたはずです。

ザックに様々な意見を求められた

―本田は自身のプレーやキャリアについても監督に相談をしていたそうですね。

矢野 彼は「どうすれば自分は上のレベルに進めるか」という意識が人一倍強い。積極的に対話を求める姿勢は欧米人に近いですね。

―長谷部や遠藤については?

矢野 「彼のようなキャプテンはマルディーニ以外に知らない」と言うほど、ザックさんは長谷部を信頼していました。非常に気が利くタイプで、チームに問題が起きそうなとき、いち早く察知して対応できる人間ですね。

一方、遠藤は「明日の試合に出られるか?」と聞かれて、「明日にならないとわからない」と答えるようなマイペースなタイプ(笑)。どんな試合でもまったく動じず「彼にボールを預ければ落ち着く」という信頼も集めていました。

―内田も遠藤と同じようにマイペースなタイプですか?

矢野 戦術理解度や洞察力が高く、監督が求めるプレーや戦術を誰よりも早く形にできる選手です。また、チームがナーバスな雰囲気のときに、あえて少し軽い発言をしたり、落ち込んだ選手がいたら「監督から声をかけてあげて」と僕に伝えてきたりと、ピッチを離れても周囲が見えていますね。

―そうやって選手と監督の間に入るのも通訳の仕事ですが、やはり選手としてのプレー経験は役に立ちましたか?

矢野 サッカーの通訳には当然、サッカーの知識が必要ですし、選手経験があれば細かなニュアンスもくみ取れます。サッカーには「距離感」のような曖昧(あいまい)な言葉も多いですが、「その距離がこの状況では何mか」といったことも通訳は把握する必要があります。

基本的には、意図をくんで訳すことを大事にしました。監督が怒っているときも、信頼を伝えるためにあえてそうしている場合もあるので、そのニュアンスが伝わるように。

―矢野さんもザックさんから、チームについて様々な意見を求められたそうですね。

矢野 「こういうときに日本人はどう感じるのか」という質問が最初は多かったですね。スタッフに意見を求めることで信頼感を伝え、誇りを持って仕事をしてもらうことも意識していたはず。選手だけでなく、スタッフのモチベーションを上げるのもうまい監督なんです。

意図的に歴史をつくることも大事

―W杯の結果について、ザックさんとはどんな話を?

矢野 やはり日本代表は、大舞台で実力どおりのプレーが出せないということ。改善するにはアウェーで強豪国との試合を重ね、場数を踏む必要があります。それと、意図的に歴史をつくることも大事だと思います。

―意図的に、というのは?

矢野 例えば、ザックジャパンはアウェーでフランス代表やベルギー代表に勝利しましたが、そういった実績を下の世代に語り継ぐことが大切です。「日本代表はアウェーでも強豪国と五分で戦える」という意識が広まれば、日本のサッカーは確実に強くなる。その意識の変革は、選手とサポーターが一体となってこそ達成できると思います。

―現代表についても聞かせてください。最初の数試合で新しい選手が多く起用された後、ザックジャパンの主力メンバーが結局、復帰しました。その点を批判する声もありますが。

矢野 アジア杯まで6試合あったわけですから、様々な選手を試してから徐々に現実を見たチームづくりをしていくのは自然なことです。ザックジャパンも長谷部、遠藤、本田という岡田ジャパンの主軸を引き継いでいますからね。

―アジア杯への期待は?

矢野 現代表にとって最初の大きな大会。もちろん敗退してもリカバーは可能ですが、4年に一度の大事な大会ですから、いい結果を残してほしいですね。応援しています。

―ザックさんは、通訳から大監督になった現チェルシーのモウリーニョ氏を引き合いに出し、「大輔もいつか監督に」と話していたそうですが、今後のご自身の目標は?

矢野 ザックさんのノウハウを間近で学べたことは大きな経験。監督を目指すかどうかはわかりませんが、その財産を今後のキャリアに生かしたいですね。

●矢野大輔(やの・だいすけ)1980年生まれ、東京都出身。セリエAでプレーするという夢を抱いて15歳でイタリアへ渡り、トリノの下部組織でプレー。22歳でトリノのスポーツマネジメント会社に就職。デル・ピエロをはじめとするトップアスリートのマネジメントや企業商談通訳、コーディネート業に従事する。2006年から08年には、トリノに所属した大黒将志の通訳を務める。2010年9月、ザッケローニ日本代表監督の就任に伴いチーム通訳に。ブラジルW杯終了後、監督の退任とともに代表を離れた

■『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』 文藝春秋 1500円+税2010年の通訳就任から、昨年のザックジャパン解散まで実に1397日間、19冊に上る大学ノートに綴られた日本代表4年間の記録。誰よりも日本の可能性を信じたザッケローニ監督が「世界を驚かせる」ためにトライしてきたことの真意や、本田、長谷部、遠藤ら中心選手との熱い対話の数々、そして通訳・矢野氏との深い絆が初めて明かされる。日本サッカー界に多くの教訓と示唆を与える貴重な資料