2015年は50歳のシーズン。史上最年長勝利記録へ向けて始動した中日ドラゴンズの山本昌投手

「50歳だからってハンデをもらえるわけじゃないし、今年もまた18歳のコと勝負しなきゃいけないかもしれない」

2015年、32年目のシーズンを迎える大ベテランはそう言って笑った。昨季、一度は引退を覚悟しながら徳俵(だわら)ぎりぎりで踏ん張った男が、知られざる挑戦と葛藤を語ったーー後編。

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去年、さらなる進化を目指して、山本昌はカットボールを覚えようとした。球数を減らすために、打者の芯を外す球種が欲しかったのだ。しかし横へ滑らせようとする新球は、山本昌にとっては禁断の果実だった。

「どうしてもボール球を使ったりファウルを打たせたりして、こねくり回しながら投げてるんで、5回、6回あたりで100球が近づいてきてしまうんです。でもそ れだと、1イニング足りない。だから早めに勝負できる球が欲しかった。シンカーとかスクリューが頭にあるバッターが振りにきたところをカットで逆に曲げれ ば、詰まらせて打ち取れると考えたんです」

しかし、もう少し曲げたいという意識が、知らず知らずのうちに山本昌のフォームを狂わせてしまった。左腕が遠回りし、左手首が寝て、左ヒジが下がる。

「4月の頭に、あれっ、真っすぐがおかしいなって…スピードガンの表示は変わらないんですけど、自分のイメージとズレ始めた。キャッチボールも、届くはずの ボールが届かない。これはヤバい兆候だって、すぐにわかりました。スライダー系のボールはどうしてもヒジが下がって、腕を真っすぐに振れなくなる。

ファームでもメッタ打ちを食らって、これはダメだとカットボールは5月半ばに捨てたんです。それでも、なかなか元に戻らない。このままダメになっちゃうのかなと落ち込みました。良くなる兆しが見えてくるまで1ヵ月半、ピッチングに表れたのは3ヵ月後でした。

これじゃ、遅いよ、オレ、何やってんだって…落合(博満)GMからは50歳までやれと言っていただきましたけど、僕は初登板の直前、カミさんに『今回、ダメだったら引退するから、覚悟しておいてくれ』と伝えたほどでした」

引退するっ て言わなきゃダメだよな

そんな山本昌が今年、50歳のシーズンを現役で迎えることができるのは、その初登板で挙げた1勝があったからだ。

9月5日、ナゴヤドーム。山本昌は、秋の香りが漂い始めたこの日の阪神戦で、ようやくシーズン初先発を果たした。

「あの日は勝てなかったら辞めるつもりでした。自分の中でも勝てる確率は10%もなかった。こんなんで使ってもらえるのかという状態でしたし、周りも『アイツはもう終わった』という目で見ていたと思いますよ。ただ、やっぱり往生際が悪いんですよね…夏場になってもファームにいると、そろそろ引退かなぁとか考 えるじゃないですか。

あと100日しかユニフォームを着られないんだな、小学3年生からずっとユニフォームを着て頑張ってきたんだから、最後の100日くらいは手を抜かずに頑張ろうって…それが8月も終わりに近づいてきて、チームも引退試合の準備とかあるでしょうし、そろそろ(引退するっ て)言わなきゃダメだよなって思ってたら、ギリギリのタイミングで『来週、一軍で投げるぞ』って言われたんです。もう、徳俵を割る寸前でした」

山本昌はその徳俵で踏ん張った。攻め入ってくる“引退”の二文字を押し返したのである。この大事なゲームで5回を投げ切り、阪神に1点も与えなかったのだ。 ポイントとなったのは初回と3回、いずれも得点圏にランナーを置いて迎えた、4番のマウロ・ゴメスに対するピッチングだった。

まずは初回、ツーアウト3塁。ツーナッシングと追い込んでから、山本昌はインサイドいっぱい、134キロの真っすぐを投げ込んだ。ゴメスは手を出すことができず、見逃し三振。

「あれは3球勝負でした。ボールになってもいいというつもりで、でもストライクになってもいいというつもりもありつつ、中にだけ入らないように…今思えばまだボール1個分くらい、甘かったかなと思いますけどね。もう少し外へ投げてもストライクだったはずなんで…」

もしかしたら仙人になりつつあるのかな

2度目のゴメスとの対戦は3回。山本昌はフォアボールとヒットでツーアウト一、二塁と、再び得点圏にランナーを背負う。ここでバッターは、またも4番のゴメス。フルカウントになったところで、山本昌はキャッチャー、小田幸平の出すサインに首を振った。

「フルカウントになって、次の5番バッターがマートンでしょ。ゴメスを歩かせて満塁でマートンというのがイヤだったんですよ。だから、割とストライクが取りやすいインコースの真っすぐか、スクリューのサインが出ればいいなと思ったんです。

でも、首振っても幸平がサインを変えてくれなかった。僕が何度、首を振っても、アイツはカーブのサインを変えやがらない。ホンマにコイツは強情やなぁと思ってカーブを放ったら、打ち取れた。僕よりも幸平のほうが、ほーらってドヤ顔でガッツポーズしてましたよ(苦笑)」

そのときの山本昌のカーブは、高めに浮いた。しかし、浮きすぎたせいで逆に高めいっぱい、ボール気味のカーブになり、打ちに出たゴメスの体も一瞬、浮いてし まう。バットがボールの下をこすって、浅いセンターフライ。山本昌は持ち前の投球術を駆使して5回をゼロに抑え、浜崎真二(阪急)が持っていた48歳 10ヵ月での最年長勝利の記録を64年ぶりに更新したのである。

「よくそう言っていただくんですけど、自分、投球術ということに関してはホントに大したことないんです。今の自分に投球術なんて存在しない。そのときの気の持ちようでなんらかの意図がプラスに働くと、“術”のように見えるんですよ。

そもそも術なんて、マウンドの上で使えるはずがない。僕、仙人じゃないんで…ただ野球に関しては、もしかしたら仙人になりつつあるのかな。ヒゲを生やして、 杖持って、白い袈裟(けさ)をかけて、雲に乗って座ってる。野球年齢に置き換えて僕を変身させたら、もうそんな感じなんでしょうね、きっと(笑)」

手の届きそうなところに何かがある

2015年、山本家のお正月。趣味の域を越えたラジコンもカブトムシやクワガタも、レベル99まで上げなければ気が済まないドラクエも、すべて封印してお雑煮をつついていた…らしい(笑)。

「ウチのお雑煮は醤油ベースのだしを使って、四角い餅と、かしわと三つ葉。普通のお雑煮です。それよりも実は僕、お雑煮よりお汁粉が好きなんですよ。甘いもの が好きでね。でもお汁粉は太るから食べすぎは禁物なんですけど、まぁ、走れば体重は落ちるし、お汁粉だけはガマンできませんね(笑)」

いとも簡単に「走れば落ちる」と言うが、この年でそれだけ走れること自体が異次元なのだ。

「僕にはまだ、野球の神様から託された使命があるのかなって思ってるんです。野球の神様には、いつも上のほうからのぞかれている気がする。野球の神様って、おじいさんじゃない。女性的な…でも、女神でもないんだな。如来様みたいな感じ(笑)。切れ長の目の、優しい如来様。

僕、野球の神様にはこれまでいろんなところで助けてもらってきました。だって、40歳を超えてからは200勝という目標がありましたし、その後も勝ち星の球団記録があったり、最年長勝利の日本記録があったり、今年はジェイミー・モイヤー(元ロッキーズ)の最年長勝利の世界記録がある。

辞めようかなって思うと、できそうなところ、手の届きそうなところに何かがあるんです。そうやって野球の神様が偶然に次ぐ偶然を呼んでくれないと、とても50歳までなんて野球、できませんからね」

●山本昌1965年8月11日生まれ、49歳。本名・山本昌広。31年の現役生活で通算219勝165敗5S。身長186cm、体重87kg。オフは大好きなラジコンもクワガタも封印して来季に備える

(取材・文/石田雄太 撮影/髙橋定敬)

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