昨年、大晦日。天笠尚(山上)は、WBA・WBO世界スーパーバンタム級統一王者、ギジェルモ・リゴンドー(キューバ)に挑み、大方の予想通り敗れ去った。試合直後、敗者の顔はまるでアメコミの宇宙人のように腫れ上がっていた。
完膚なきまでの敗北。しかし、“最強王者”との激闘から2週間後、天笠の表情は晴れ上がっていた――。
* * *
―リゴンドー戦、振り返ってください。
「やっぱり、勝ちたかったですね。勝てる可能性がどれだけ低くても『1%の可能性を信じて、奇跡的な試合をしよう』って臨んだ試合だったんで。奇跡的な試合にはなりましたけど、奇跡は起こせなかった。どうせなら、奇跡を起こしたかったですね」
―しかし、リゴンドーが1Rに2度ダウンを奪われたのは、天笠選手との試合が初めて。奇跡が起きる可能性も十分あったと思います。
「負けは負けですからね。奇跡的と奇跡ってのは圧倒的な違いで」
―それでも、一歩も引かない魂のこもった試合は、多くの人の心を震わせました。
「あのリゴンドーが日本に来てくれたんで。逃げなかったというのが、その対戦相手としての最低限の務めというか。最低限の任務は果たせたかなって。心が負けて引いちゃって、後悔するような試合、負け方だけはしたくなかったんで」
―そもそも対戦が決まったのが、試合の約1ヵ月前。階級もいつもよりひとつ下のスーパーバンタム級。異例づくしでした。
「大晦日の大トリ、しかも対戦相手はリゴンドー。こんな素晴らしい舞台を用意していただいてたんで、階級も世界戦も初めてのことだらけで緊張もしたんですけど、萎縮しちゃったら申し訳ない。全てを楽しもうって決めたんです。試合が終わるまでのことを全て楽しもうって。『これは祭だ!』って」
空間を支配されてる感じ
―では、一番緊張した瞬間は?
「公開練習で、(ビート)たけしさんがジムにいらっしゃったことですね。挨拶をさせていただいたら『汗、大丈夫ですか。風邪、引かないでくださいね』って気づかってくださって。今までのどんな試合より緊張しました(笑)」
―試合直前の控え室ではどんなことを考えました? 圧倒的不利を報じられていましたが、勝てば統一王者でした。
「正直、試合が決まってから終わるまで世界戦だって実感はなくて。リゴンドー相手に、“勝ったらベルト2本”って想像はできなかったっていうか。なんていうか、自分自身にそこまで期待できなかったんじゃないかなって。だから、ベルトどうこうじゃない。怪物退治というか、鬼退治みたいな気分でしたね」
―では、リング上で対峙したリゴンドーの印象は?
「もう構えを見た時点で、明らかに強いってわかりました。空間を支配されてる感じが一瞬でわかって。『あ、この距離はリゴンドーのテリトリーだ。ヤバイ』って。一発もパンチを打たれてない時点で『強い!』ってわかりましたね」
―戦前、戦闘力の差を“魔人ブウ対クリリン”と予想していましたが…。
「スカウターが爆発したっていうか、正直、試合が終わった今でも底が見えないっていうか、戦闘力は計れなかったですね。もっともっと奥があるんじゃないかって」
―なるほど。
「速いし、強いし、上手い。触らせてすらもらえない。試合前、『どれだけ強くても、同じ人間だ!』って思ってたんですけど、試合中、『これ、同じ人間なのか!?』って思いましたからね。ズルくないかって(笑)。格ゲーのスーパーハードモードっていうか、こっちは弱パンチしかないのに向こうは全部強パンチみたいな(笑)」
―しかし、試合では一歩も引きませんでした。
「身長は僕の方がかなり大きかったんで、作戦として『最初に距離をとって戦って、リゴンドーが嫌がったらそのまま距離を保って戦おう』って決めてたんです。でも、まったく嫌がってなかった(笑)。この展開なら、自分で距離を詰めるしかないなって。前へ行く覚悟を決めて」
勝ち切るイメージは持てなかった
―リゴンドーが想像以上だった部分はありますか?
「スタイルもスピードも想定内で。ただ、パンチ力だけが想定外でしたね。『えっ、こんなに』って。もう、金属のでっかいハンマーでしたね。打たれた瞬間、拳が何倍にも大きく感じて。硬い、重い、大きい。『まともにもらったらタダじゃすまない』って一瞬でわかるパンチで。今まで初めてでした、あんな種類のパンチは」
―しかし、7R終盤、右ストレートでダウンを奪いました。
「『まさか!』って喜びすぎたのが反省点です(笑)」
―ダウンを奪った瞬間、コーナーに駆け上がって、カウントが数秒止まりましたよね。あの数秒がなければ、もしかしたらあのラウンドで…。
「タラレバですけど、勝ってたかもしれないですね(笑)。なんか、自分に対しても、周囲にも“見返してやりたい”って気持ちが強かったんですよね。リゴンドーが相手なんで、『おまえのパンチなんか1発も当たらない』って声も耳に届いてて。
だから『どうだ、一発当たったぞ!』って。自分自身にも周りにも『どうだ!』って思いで。気づいたらロープに登ってました(笑)」
―まさか、ダウンを奪えるとは思っていなかった?
「実は、倒すイメージは不思議とあって。まさに、そのイメージ通りのパンチ過ぎて、自分でもビックリしちゃって。ただ、倒すイメージはあったけど、勝ち切るイメージは持てなかった。自分を信じきれなかったっていうか。
もし倒しても立ってくると思ってたんです。何をどう想像しても、倒すことは想像できても勝ち切ることまでは想像できなくて。だから、逆に言えば、想像できることは実現できるのかなって、今回の試合で思えたというか」
―なるほど。リゴンドーは8Rもダメージが残っていたように見えましたが?
「そうですね。でも上手かったんです。追いきれませんでした。パンチ力があって、カウンターも上手いんで、打たれてる時より、こっちが手を出す時の方が怖い。
『リゴンドーはリスクを冒さず、しょっぱい試合が多い』って言われてますけど、リスクを冒さないというより、対戦相手がリゴンドーのパンチ力にビビってリスクを冒せないってのが大きいんじゃないかなって、ボンヤリ思いましたね」
自分の顔がブウになってた?
―そして、10Rにはダウンを奪われました。
「ダメージが残るダウンじゃなかったんですけど、見えない角度からのパンチだったんで、上手くやられたなって」
―11R終了時点でセコンドが試合をストップした時は、どんなことを考えましたか?
「その前からレフリーも『そろそろかな』って気にしてたんで、ストップはしょうがないかなって思いましたね。僕自身はもちろんやりたかったですけど。勝っても負けてもKO決着ってのが望みでもあったんで。
リゴンドーは最終ラウンド、万が一のKO負け以外、負けようがないポイント差だったんで、リスクを冒さず流してたと思うんです。だったら、あそこで試合をストップさせれば、記録的には僕がKOで負けたことになる。それでよかったかなって…」
―左頬の腫れは、何ラウンドのパンチが原因だったんですか?
「たぶん、10Rです。打たれた瞬間、すぐに腫れ始めて。控え室で初めて自分の顔を見てビックリして。『こんな顔になってたんだ!』って。テレビを見てくださってた皆さん、すみませんって思いましたね。大晦日のお茶の間に見せていい顔じゃないでしょ!? 『放送コードにはひっかからなかったのか?』って心配で。
魔人ブウを倒しに行ったら、自分の顔がブウになったっていうね(笑)。でも、病院で検査を受けたら骨折じゃなくて打撲で。次の日には、もう腫れが引き始めて。結構すぐ元に戻ったんです。でもまだ、首とアゴに青アザが残ってます。今さらながら、やっぱりすごいパンチだったんだなって」
―“神様”とも呼ばれるリゴンドーは、改めてどんなボクサーでしたか?
「わがまま、気難しい…。いろいろ言われてますよね。実際はどうなんだろうって思ってたんですけど、最初から最後まで紳士でした。僕のこともすごいリスペクトしてくれて。試合開始直後、リゴンドーのパンチがローブロー気味に入ったんです。それをすごい謝ってくれて。
こんなこと言っちゃいけないんでしょうけど、試合前、僕はどんな汚いことしても勝つくらいの気持ちもあったんです。わざと足を踏むとか、クリンチ中も殴り続けるとか。でも、ローブローを謝ってるリゴンドーを見たら、こんな紳士なボクサーに汚いことはするのはやめようって思えて。たとえ負けようが、フェアに白黒つけようって」
―試合の映像は見ましたか?
「はい。なんかもう、悔しさしかなかったですね。見直したら、やっぱり完敗なんです。なんですけど、『こうしてたら』『こうやってたら』ってことばっか考えちゃって」
真っ白な灰になれたらよかった
―もし、「もう一度、リゴンドーと戦え」と言われたらどうしますか?
「もう1回やると思います。いや、何回だってやると思います。たとえ、どんだけ自分より強い相手といい試合をしたからって、負けた以上、100%満足ってないと思うんで。ああしてたら、こうしてたらって」
―なるほど。
「ただ、現実問題として、僕はこの先、リゴンドー以上の選手と戦う機会があるかっていったら限りなく可能性は低いと思うんです。正直、世界最高峰と戦ってしまった今、僕のモチベーションがどうなるか、自分でも不透明な部分ってあって…。
ジムワークを再開したときに、どう思うか。もしかしたら燃え尽きてしまったのか、それとも『ボクシングが好きだ』と思えるのか。これから先、どう思うか、自分自身でもわからない部分ってあって」
―『あしたのジョー』のラストシーンのようにはいかない、と。
「あの瞬間、真っ白な灰になれたらよかったんですけどね(笑)。間違いなく、僕の人生のハイライトだったんで。でも、人生は続く」
―そうですね。
「でも、同時にリゴンドー様々だなって思うというか。僕はただ試合に負けたボクサーでしかない。なのに、その相手がリゴンドーで注目されていただけ、試合後、ビックリするくらい『勇気をもらった』『感動した』ってファンレターをもらうんです。うれしいなって思いますし、同時に申し訳ないなって。どうせなら、奇跡を起こしたかったなって。
ドラゴンボールの登場人物なら、『あの試合を糧(かて)に戦い続けます! もっと強くなります!』って宣言するんでしょうけど、僕は正直、まだ今後について断言できないです。ただ、あの試合を見て『勇気をもらった』って言ってくださった人をガッカリさせるような生き方は、ボクサーにはなりたくないなって思います」
(取材・文/水野光博 撮影/利根川幸秀)
●天笠尚(あまがさ・ひさし) 1985年10月18日生まれ。群馬県太田市出身。山上ジム所属。OPBF東洋太平洋フェザー級王者。34戦28勝(19KO)4敗2分け。変則の一発屋