「単に『オシムはすごい!』で終わらせず、今の日本で僕らが何をすべきかを考えてもらえたら嬉しい」と語る木村氏

遠くボスニアの深刻な民族対立は、ネトウヨ的な排外主義が広がる今の日本にとって、決して人ごとではない!

2007年に病に倒れ、志(こころざし)半ばでサッカー日本代表監督の座を退いたイビツァ・オシム。深い哲学とウイットに満ちた言葉は今なお健在で、日本メディアに登場する機会も多い。

そのオシムの祖国ボスニア・ヘルツェゴビナ(ボスニア)では、和平のためのデイトン合意から20年近くたった今も、深刻な民族対立が続いている。影響はサッカーの代表チームにも及び、ブラジルW杯予選への参加も危ぶまれる状況に…。そんなチームをひとつにまとめ、初のW杯出場に導いたのがサッカー「正常化委員会」の委員長を務めたオシムだった。

そんな彼の奮闘を長期取材で追ったノンフィクション『オシム終わりなき闘い』を上梓した木村元彦(きむら・ゆきひこ)に聞いた。

―本書の取材を始めた動機には、昨今のオシムが持たれがちな“日本サッカーのご意見番”というイメージへのもどかしさがあったそうですね。

木村 彼は帰国後、不自由な体にムチを打ちながらサッカー監督以上の激務ともいえる仕事をしていました。ボスニアのサッカーを救うことになる正常化委員会での仕事です。その彼の奮闘とボスニアの代表チームの姿を日本に伝えることには意味があると考えたのです。

―ボスニアは、95年の紛争終結後、ムスリムとクロアチア人主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人主体の「スルプスカ共和国」のふたつの構成体による連合国家となっていますね。今でも民族間の対立は根強いのでしょうか?

木村 わかりやすい例を挙げるなら学校教育の問題。各民族それぞれが自らの民族を正当化する歴史教科書で勉強をしています。なかには、同じ学校に通いながら民族ごとに入り口が異なり、違う教室で学ぶケースもある。そのため若い世代ほど他民族に敵意を持ちがちという悪循環に陥っています。

オシムは民族を超えた尊敬を集めている

―サッカー協会にも、対立の構図が残っていたのですか?

木村 ボスニアでは、3民族の代表が「輪番」制で国家元首を務める体制が敷かれているのですが、サッカー協会も同様の仕組みを導入していました。この輪番制は一見、公平な体制のように見えますが、実際は極右権力者の権力温存に利用されているのにすぎません。サッカー協会でも、根深い民族対立を前提に3民族の会長それぞれが自民族の権益とそこに連なる保身のみを考えて運営していたために腐敗が横行し、経理担当者の逮捕などの問題も起きていた。

―そしてFIFA(国際サッカー連盟)による「サッカー協会の会長一元化」勧告にも応じず、11年4月にはFIFA加盟資格を剥奪(はくだつ)される…と。

木村 W杯出場を目指すA代表はもとより、ユース年代も女子も審判も国際試合に参加できなくなるという“国からサッカーがなくなる”に等しい危機的な状況でした。そこでFIFAのブラッター会長、UEFA(欧州サッカー連盟)のプラティニ会長の両者が、オシムに対してその事態を是正する「正常化委員会」の立ち上げと、その委員長への就任を要請したのです。

―そのような大任に、なぜオシムが指名されたのですか?

木村 ひとつはオシムが、紛争の前もその最中も終結後も公正な生き方を貫いた人物だったからでしょう。しかも、彼は包囲されたサラエボに残した家族と一時生き別れになり、家族が死の危険にさらされた“紛争の当事者”でした。そして92年には、サラエボ侵攻に抗議する意味を込めユーゴスラビア代表(当時)監督を辞任している。

戦争への反対を行動として示しながらも、どの勢力にも加担しなかった彼の生き方はボスニアでは民族を超えた尊敬を集めているのです。

サッカーでの3民族の融和を達成

―オシムは就任依頼をほぼ即答で引き受けたそうですね。

木村 激務なのはもちろん、過去の名声を失い、自身の身辺が危険にさらされるリスクもあったと思います。それでもオシムがその役を引き受けたのは、国に残された唯一の希望であり自らの生きがいでもあるサッカーを失いたくない思いからだったのでしょう。

―そして、各民族の最高権力者である政治家に直談判をするという手段に出て「サッカー協会の会長一元化」についての了承を即座に取りつけた。

木村 FIFAの勧告を受けても是正されなかった状態が、オシムひとりの行動ですぐに動いたわけです。その結果、サッカーの分野のみですが3民族の融和は達成されました。

―その後、国際舞台への復帰を果たしたボスニア代表はブラジルW杯本大会にも出場。ムスリム中心のメンバー構成でしたが、クロアチア人、セルビア人にも代表チームを応援する動きがあったのですか?

木村 はい。ただ、個人個人にそのような融和ムードが生まれつつあるものの、民族というカテゴリーを持ち出し対立を煽(あ お)り、自らの権力を温存しようとする政治家の存在は今もネックになっています。最近の国政選挙でも、民族ごとの分裂傾向が見えていて楽観はできません。

―そのようなナショナリズムの危うさについて、本書ではレイシズムが台頭する昨今の日本にとっても、決して人ごとではないと指摘しています。

木村 もともとボスニアを含む旧ユーゴスラビアでは、民族の違いにかかわらず多くの人々が大きな対立もなく共存していました。そのような人々が互いに殺し合う事態に陥ることは、紛争の始まる10年前には誰も想像できなかった。日本でもネトウヨ的な排外主義者たちがここまで勢力を拡大するとは誰も思っていなかったでしょう。

ナショナリズムの危うさは日本も同じ

―確かに10年前には考えられなかったことです。

木村 旧ユーゴスラビアでも最初に民族対立を煽(あお)り始めたのは三流のメディアで「そんな動きは放っとけ」というムードだったそうです。でも、実際に紛争が起こってしまった。日本でもネトウヨや「在特会」に対して、似たようなムードで無視を続ける時期が長く続きました。差別や争いがある時に最もいけないのは、そのように高みに立って達観したフリをして行動しない、ニヒリスティック(虚無的)な態度だと思います。

―その意味で、オシムは巧みに言葉を扱う人物ですが、まず“行動”する人間ですよね。

木村 単に「オシムはすごい!」で終わらせず、今の日本で僕らが何をすべきかを考えてもらえたら嬉しいです。また、ボスニアは日本代表の新監督候補といわれるハリルホジッチの祖国でもある。そのサッカーシーンを理解する上でも手にとってもらいたいです。

(構成/古澤誠一郎 撮影/五十嵐和博)

●木村元彦(きむら・ゆきひこ)1962年生まれ、愛知県出身。ジャーナリスト。アジアや東欧の民族問題を中心に取材、執筆活動を行なう。ユーゴ三部作『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムの言葉』(いずれも集英社文庫)など著書多数

■『オシム終わりなき闘い』 NHK出版 1500円+税昨年、サッカーW杯初出場を成し遂げたボスニア・ヘルツェゴビナ。ムスリム、クロアチア人、セルビア人という3民族の深刻な対立によって、予選参加さえ危ぶまれていた代表チームをひとつにまとめたのは、かつて日本代表を率いたイビツァ・オシムだった。政治的な思惑も複雑に絡み合う、その困難なミッションに、果たして彼はどう立ち向かったのか? 奮闘を長期取材で追ったノンフィクション