かつてテレビ東京の人気番組『TVチャンピオン』などで大食いブームを巻き起こしたフードファイターの小林尊(たける)。
現在はニューヨークに拠点を移し、これまでホットドッグ69本、タコス130個、ピザ62枚などの世界記録を打ち立てている。
様々なコマーシャルやイベントにも引っ張りだこで、2013年には自身のドキュメンタリー映画『HUNGRY』が公開されるなど今やアメリカで最も有名な日本人のひとりである。
4月某日、テレビ番組出演のため一時帰国していた人類最強の大食い王者に、カフェでサンドイッチをかじりながら話を聞いた。
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—小林さんが2000年に初出場・初優勝したテレビ東京の大食い選手権は今も続く長寿企画で、今年3月の放送ではアイドルのもえのあずきさんが優勝しました。小林さんの目に、日本のフードファイト事情はどのように映っていますか?
小林 番組の中での目指す方向性が変わっているような気がします。日本のフードファイトは第一世代〜第三世代に分けられると思う。
第一世代は僕が出る以前、赤阪尊子さん、新井和響さん、岸義行さんといった年配の方が多かったんです。番組の見せ方としては、たくさん食べる「フリーク」みたいに面白おかしく演出していました。大食いウォッチャーだったコラムニストのナンシー関さんは「誰が勝っても羨ましくない。それが大食いの魅力だ」というようなことを書いている。
しかし、大学生だった僕が優勝したことで、ナンシーさんは「赤阪を見ているともう壊れている。しかし小林は健康に見える。新しい時代がくるんじゃないか」と予見しているんです。そしてジャイアント白田ら若い選手が次々に出てきました。
—小林さんの出現で、「自分にもできる」という若い人たちが続いてきたわけですね。
小林 スタジオにも若い女性たちが観にくるようになって番組の雰囲気がガラッと変わりました。2001年にはTBSで『フードバトルクラブ』という番組が始まり、フリークよりも、真剣に戦う「スポーツ」としてカッコよく見せたほうが売れるという時代になっていったんです。
—それが第二世代だと。
小林 しかし02年に、早食いをマネした子供が死んでしまうという痛ましい事故がありテレビ東京、TBSとも自粛を余儀なくされ、冬の時代になりまして。
何年か経ってテレビ東京は再開しましたけど、その時に番組が打ち出したのが「健全な大食い」「早食い禁止」「食べ物に感謝」。競争しているというより、おいしいからこれだけ食べられるんだよ、ということを謳(うた)ったわけです。これが第三世代で、ギャル曽根たちが出てきます。
あの時代の大食い番組を振り返って…
—それで、どう変わっていったんです?
小林 勝負よりもキャラクターで売っていくスタイルが受けるようになりました。たとえば、途中でもう勝てないと思ったら勝負を諦めてメイクを直したりとか…ゼロコンマ1秒、わずか1グラムを争う限界の競争をしている中であり得ないことをやるわけですよ。
もちろん、あらゆるスポーツにはエンターテインメント性も必要ですが、競争性が薄まってしまったように感じます。
—そもそも、大食いは健康的なものとは思えないですが…。
小林 でも、これらの謳(うた)い文句がなければ番組は再開できなかったと考えると、その意義は大きいと思います。本質はなんら変わってないのにこういう建前がないと今の世の中には受け入れられませんから。
—世の中、なんだか狭量になってますもんね。食べ物を粗末に扱っているみたいな批判もありますよね?
小林 アメリカでも「アフリカでは飢餓に苦しむ人たちがいるんだよ」と言う人もいます。でも、僕らが競技をやめたところで、その食料をアフリカの人たちが食べられるわけではない。食べ物はあるところにはあって、ないところにはない。それは法制度や経済のシステムの問題ですよね。
といっても、批判する人たちの気持ちもよくわかりますし、僕は「食べること」を仕事にしているからこそ、常に食べ物に対する感謝の気持ちを持っています。普段の食事はゆっくり味わって食べていますよ。
—ところで、このインタビューはサンドイッチを食べながらやってますが、こんなんで足りますか?(笑)
小林 はい、結構十分で(微笑)。実は普段はそんなに食べないんですよ。
—小林さんは、大食いを最初から「スポーツとして見せたい」という意識があったんですか?
小林 それは戦っているうちにですね。フリークと言われる選手たちだってものすごく真剣に勝負していたし、その中で「これはスポーツだ」と感じられたんです。どんな勝負にも練習、テクニック、戦略や駆け引きは必要。フードファイトだって同じですから。
—TBSの『フードバトルクラブ』は、そんな小林さんの方向性に合致したわけですね。
小林 そうですね。最初に出させてもらった『TVチャンピオン』では、競争中にレポーターが声をかけてきたり、ラウンドのインターバル中にもスタッフが食べ物を差し出して「この人たち、まだ食べてる!」みたいな面白い画(え)を撮ろうとしたり…僕は出させてもらっている立場なのに生意気にも反発していました。
でも『フードバトルクラブ』はルールをシビアに設定するなどスポーツとしてやってくれるということだったので、ピタッとハマッたっていうのはありましたね。そういう大会のほうが集中できるし競技性が高くなったほうが燃えますしね。スタッフもイチから学んでいこうという姿勢があったし、選手との関係性もよかったです。あの番組がもっと続いていたら面白くなっていたと思いますけどね。
胃ではなく究極は脳みその勝負
—小林さんのアメリカ初進出はそれ以前の2001年。ネイサンズというホットドッグチェーン店が毎年7月4日の独立記念日に開催する早食い大会で、前年度のチャンピオンの2倍、50本という新記録を出して優勝しました。
小林 当時のアメリカはキャラの立つ選手も多くて、だいたいニックネームがついているんですよ。僕はタケル“ザ・ツナミ”コバヤシだし、シカゴ出身の選手は地元のピザの名前に因(ちな)んでパット“ディープディッシュ”バルトレッティだったり。試合前にはウワーッと大見得(おおみえ)きってパフォーマンスしたり客も盛り上がってましたね。
—アメリカのスポーツは競技性とエンターテインメント性の両立に長(た)けてますよね。突出したものを認める文化もあるし。
小林 偏見よりも、結果で評価するところが結構ありますよね。単純にNO.1大好きな国民性だから(笑)。「あんな食った!スゲー!」みたいな考え方がシンプルなんです。
—フードファイトに必要な要素はなんですか?
小林 ベースとしては胃のキャパシティ、後はいろいろあるけどスピード、テクニックとか作戦ですね。脳みその勝負だと思ってます。
—普段の胃の容量は?
小林 5、6㍑あります。普通の人の3、4倍ですね。試合に向けて胃を大きくしていくわけですけど、12㍑の水を90秒で飲むトレーニングをしています。
—90秒で12㍑!?
小林 それができればどの大会にも対応できるというひとつの目安ですね。胃の容量を十分に大きくした後は、体に負担をかけないように休みを入れながら食べるテクニックの研究をしています。
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ネイサンズのホットドッグ大会はスポーツ専門チャンネルESPNで放送されるなど最も権威ある大会で、小林は01年以降、6連覇を成し遂げ全米にその名を轟(とどろ)かせた。同時に、日本で再び『フードバトルクラブ』のような番組が復活するのを待っていたが、それは叶うことはなかった。
そして2010年、小林はニューヨークへ移住。ところがその直後、ネイサンズと袂(たもと)を分かつ。他の大会に出られないように独占契約を迫られたためだったーー。
価値は自分で上げていかないと!
ーどのような契約だったんですか?
小林 その年の大会から翌年の大会までの366日間、約400万円払うから独占契約を結べ、独占的にエージェントをやらせろ、というものでした。
ーエージェントの権利まで渡して、その対価が400万円は安いですね。
小林 ネイサンズはメジャーリーグ・イーティング(MLE)というリーグのひとつの大会なのですが、この運営会社が選手たちを曖昧(あいまい)な契約書で独占しようとするわけです。そのからくりとしては、ネイサンズの予選を勝った、じゃあ決勝出場の契約書を交わしましょうという時に、ネイサンズの大会じゃなくてMLEの契約書を出してきてサインしろと迫る。本当は別の契約じゃないといけないのに。今でもこうやって囲い込まれている選手がたくさんいます。
—自由な活動が許されないわけですね。小林さんはなぜその契約を蹴ることができたんですか?
小林 「ネイサンズ大会から離れたら、あんた仕事なくなるぞ」って脅されても、僕は言いなりにならずケンカできるだけの力があったということです。「プロ」といっても、MLEのチャンピオンでもおそらくその報酬はほとんど賞金で、20試合くらいやって400万円くらいにしかなっていない。2位以下の選手は交通費や旅費は自腹です。
僕はネイサンズを離脱しても自分の力で稼げる自信があった。お金だけじゃなくて、自分の価値は自分で上げていかないといけない。いろんな意味で、本当に「プロ」といえるのはアメリカでも僕しかいないと思う。それは自信をもって言えますよ。
本場アメリカといっても、まだまだスポーツとしては発展途上なので、選手の権利を守ったりしっかりした組織ができて、もっと業界が盛り上がっていけばいいなと思います。
—今、小林さんはどのような活動を?
小林 大会は年間4つか5つに抑えて、それとは別にひとりでイベントに出て世界記録に挑戦したりしています。今後も記録に挑戦していきたいですね。14年やってて試合に出なかった年は一回だけありますが、それ以外の年はずっと伸びてますから。
肉体的には全盛期は過ぎていて、食べるスピードは年々落ちています。でも胃の容量はまだ伸ばせる余地がありますし、食べ方を工夫することで記録はまだ伸びます。僕は体が小さいので、トレーニングのアイデアだったり総合力で勝ってきた。だから安定して勝ってこれたんです。記録に挑戦する自分はずっと大事にしていきたいと思っています。
■小林尊(こばやし・たける) 1978年生まれ。長野市出身。大学在学中の2000年、『TVチャンピオン』全国大食い選手権で優勝。01年からネイサンズのホットドッグ早食い大会で6連覇を達成。10年からニューヨークに拠点を移す。11年、ネイサンズの大会に対抗して、同日に自ら大会を主催。10分間に69本のホットドッグを食べ世界記録を更新した
(取材・文・撮影/中込勇気)