“カープ女子”が涙目だ。
前評判の大きさに圧倒されたのか、広島カープは現在、巨人、阪神相手に6連勝をし、にわかに順位を5位(5月11日現在)に上げるも優勝争いにはほど遠い。
ところで、『週刊プレイボーイ』本誌にてプロ野球開幕前に行なった読者アンケートで、「今年の日本シリーズで期待する対戦カード」を聞いたところ、「巨人vsソフトバンク」といった定番カードが居並ぶなか、「広島東洋カープvs~」という回答がふたつもランキングに入った!
1位 読売ジャイアンツ vs 福岡ソフトバンクホークス 70名 2位 広島東洋カープ vs 福岡ソフトバンクホークス 55名 3位 阪神タイガーズ vs オリックス・バファローズ 37名 4位 阪神タイガース vs 福岡ソフトバンクホークス 31名 5位 広島東洋カープ vs オリックス・バファローズ 30名
広島カープの日本シリーズといえば、「赤ヘル」初優勝の1975年、そして初の日本一を達成する「江夏の21球」で有名な79年など、名勝負とされた伝説の試合が多い。
というワケで、58~70年まで広島カープで選手として活躍、75~85年には監督として、球団創設初優勝を含め、優勝4回、日本一3回の常勝赤ヘル軍団を率いた名将・古葉竹識(たけし)氏にインタビュー。当時を振り返りながら、今シーズンのチームへの期待を語ってもらった。
その前編となる今回は、「75年の広島カープ初優勝」にまつわるエピソードを中心にお届けする。
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広島カープの最強の時代を率いた名将は現在、東京国際大学の硬式野球チームで監督をしている。御年79歳となってもますますお元気で、第一声はこんなやりとりから――。
古葉 最近は、“カープ女子”っていう女性がいるんでしょ?
―おおっ、まずそこですか!
古葉 若い選手も増えて、女性ファンも増えているのは喜ばしいことだよね。最下位はなんとかしないと。もっと若いファンに喜んでもらえる試合をしてほしいなあ。
―今後の課題はどのあたりですかね?
古葉 黒田・前田の二枚看板投手は、セントラルリーグの中でもピカイチなんだけどなあ。ある程度は抑えられているから、あとは打線が奮起してくれるとねえ。やっぱり、キャンプ中に主力打者のエルドレッドを怪我で失ったのは大きいんだろうね。長打力を失っている今、やっぱりいろんな動きをしないといけないのかなと思う。
山本浩二、衣笠、高橋慶彦、江夏…、名監督が語る名選手!
―いろんな動きですか。古葉監督というと“機動力野球”のイメージです。
古葉 そうだねえ。僕らの頃は、山本浩二、衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)のふたりのロングヒッターがいたけど、彼らでもなんだかんだ言って通算250前後の盗塁をしているんだ。それくらい走ることを徹底させてきたね。ランナー一塁で出塁して、次のバッターが長打を打ったら必ずホームに帰ってくる。こういう姿勢が「赤ヘル打線」の基礎になったんじゃないかな。
―山本浩二さんは通算231盗塁、衣笠さんに至っては266盗塁で「盗塁王」も獲っているんですよね!
古葉 彼らも一塁から二塁はもちろん、二塁から三塁への盗塁も積極的にやっていたよ。相手ピッチャーの癖(くせ)を見抜けたら、走る。それはどの選手にも徹底させていた。それがプレッシャーになって、ピッチャーが失投をしてしまうこともあるわけだよ。
―高橋慶彦(よしひこ)さんなど、スイッチヒッターも多く輩出されています。
古葉 そのあと、山崎、正田と3人生まれた。彼らが三遊間にゴロを打てば、ほとんどヒットになったよ。ちなみに、慶彦は元々ピッチャーとして入団してきたんだ。
だけど、プロで通用するボールは投げてなかった。でも肩と足はあったから外野にしようとしたんだけど、山本浩二はじめスター選手が揃っていたんで、空いてるところはどこかと考えたらショートだったんだよ。
―なるほど。
古葉 でもゴロは取れないし、ピッチャーをやっていたから投げるモーションも大きい。それでも、彼は本当にいろいろ練習していた。それが実って、34試合連続ヒット(79年)という日本記録を築いてくれた。そんな慶彦の背中を見て、山崎、正田が続いた。正田も2度首位打者を獲得したからね。とにかく、みんなよく練習してくれた。
―カープといえば、12球団随一の練習の厳しさで有名ですね。
古葉 僕が監督になる前は、ルーツという監督だったんだけど、彼はとにかく“メジャー流”の練習というか、選手にお任せだった。僕は、日本の野球はそれではダメだと思って。
―他にはどんなことを考えていましたか?
古葉 野球というスポーツは、戦う相手がいる以上“自己満足”ではダメだと思うんだ。相手チームとの戦力比較をして、劣っている方が最終的にはシーズンを勝てなくなるわけ。
特に控え選手には、どこでも守れるユーティリティプレイヤーになってくれと言っていた。ピッチャーを除いた8人のレギュラーのうち、山本浩二、衣笠みたいに毎試合出られる選手が5~6人いるけど、彼らが怪我した時や他の選手の調子が悪い時、どこでも守れる選手になってほしかった。
―39歳の若さで監督になられたわけですが、そういう考えはどこで学んだんですか?
古葉 僕の現役時代が大きく影響していると思うな。プロ野球では「サードしか守れません」とか言って怪我をして守れなくなったら、すぐクビになってしまう。じゃあ、クビにならないにはどうすればいいか、と。どこでも守れれば、控えでも重宝してくれるんだよ。
広島カープ優勝のカギはオールスター!?
―古葉監督自身は、長嶋茂雄さんと首位打者を争うほどのバッティングが、あごが割れるほどのデッドボールを受けてから不振に陥ったとか。
古葉 デッドボールを受けて足を踏み出せなくなってしまって。「ヒットになるな」と思ったのが、ただのゴロになるケースが増えてね。せっかく、長嶋さんと首位打者争いして給料を上げてくれたのにどうしようと(笑)。で、なにか違う武器を探してみたら、盗塁だと。
―実際に、盗塁王を2回も獲られたわけです。
古葉 あの時代は、ピッチャーもモーションが大きくて走りやすかったんだよ。
―現役時代からプロ野球で生きていく術(すべ)を探り続けていたんですね。監督としては75年、シーズン途中からの就任でいきなり優勝を飾ります。この年も今シーズンのように、前半は苦戦されていました。
古葉 浮上のきっかけは、オールスターだったんだ。山本浩二と衣笠がふたりして二打席連続ホームランを打って、「後半戦のカープはすごいぞ」と新聞で書いてくれた。彼らが、「俺たちがチームを引っ張るんだ」という自覚を持ってくれてね。実際、ふたりはそんなに仲良くなかったんだけど(笑)。
―そして、広島カープ創立から26年目にして初優勝を飾ったわけです。優勝を決めた10月15日の巨人戦(後楽園球場)は、グラウンドに広島ファンがなだれ込み、古葉監督は大勢のファンに胴上げされたんですよね。この年、特に印象に残ったことはありますか?
古葉 とにかく、優勝パレードが印象的でね。すごい数の人が集まってくれたんだけど、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんの写真を僕らのほうに向けて、「監督おめでとう! じいちゃんも喜んでるけん!」って泣き叫ぶファンがいてね。僕も喜んでるのか悲しんでるのかわからないくらい、泣きながらパレードしたんだよ。
広島カープは、原爆で大変な思いをした人たちが「広島の希望になるチーム」をつくろうとした経緯があるわけ。その人たちがあんなにも喜んでくれたんだ。ほんとに感極まったよ。
―日本シリーズの対戦相手の阪急ブレーブスは、山田久志や山口高志など当時超一流のピッチャーを擁していたこともあり、広島カープは4敗2分と惨敗でした……。実は、この年の日本シリーズは、当時の「日本シリーズ最長試合記録(第4戦、4時間49分、時間制限あり)」が記録されています。
古葉 試合は長かったんだけど、一勝もできなかった。試合前から結束を図るために合宿をしたりしたんだけどね。優勝パレードで満足してしまったのかもしれないね(笑)。
*明日配信の後編では、古葉監督があの「江夏の21球」を語る!
●古葉竹識(こば・たけし) 1936年生まれ、熊本県出身。58年に広島カープへ入団。75年に監督就任。赤ヘル旋風を巻き起こし、球団初優勝を飾る。85年まで監督を務め、優勝4回、日本一3回を誇った。99年には野球殿堂入り。2008年からは、東京国際大学硬式野球部の監督として活躍中
(取材・文/週プレNEWS編集部)