プロ5戦目での世界タイトル奪取――。日本ボクシング界に、またひとつ新たな伝説が生まれようとしている。
「中京の怪物」こと田中恒成のプロキャリアは、ここまでわずかに4戦。しかし、そのうちの3試合が世界ランカーを相手にした濃密なキャリアである。5月30日(土)に予定されるWBO世界ミニマム級王座決定戦で新たな歴史を目撃することになるのか!?
■「倒すなら早いラウンド」―強打のメキシカンを迎え撃つ
近年、ボクシング界はまさしく群雄割拠の様相を呈している。内山高志(WBA世界スーパーフェザー級王者)や山中慎介(WBC世界バンタム級王者)が盤石の王朝を維持する一方で、昨年末には井上尚弥(WBO世界スーパーフライ級王者)が歴戦の名王者・オマール・ナルバエスを2ラウンドで沈め、世界中をあっと驚かせた。また、井岡一翔(WBA世界フライ級王者)も悲願の3階級制覇を成し遂げたばかり。
そうしたスター選手に続く存在として今、最も注目されるのが弱冠19歳の田中恒成だ。アマチュア時代からアジアユースで銀メダルを獲得するなど世界のトップシーンでしのぎを削ってきた逸材は2013年11月、現役高校生として迎えたプロデビュー戦で、いきなり世界6位の外国人選手を相手にダウンを奪う完勝を収めて脚光を浴びた。
続く2戦目も世界12位を相手取るハード路線で、早々とプロの水に慣れた田中は昨秋、4戦目で東洋太平洋王座を獲得。早くも世界へのウエイティングサークル入りを果たしたのだ。
陣営は、かねてから新記録となる「プロ5戦目」での戴冠を公言してきたが、そのチャンスがまもなく訪れる。今月30日、愛知県・パークアリーナ小牧で行なわれるWBO世界ミニマム級王座決定戦。同級1位のメキシカン、フリアン・イエドラスを迎える大舞台に備え、名古屋市内の所属ジムで静かに腕を撫す田中に話を聞いた。
「世界タイトルマッチを組んでもらうということ自体、大変なことだと思います。それがこうして地元でやれるというのは、本当にありがたいかぎりですね。調子自体は今、決して良くはないんですけど、それはいつものこと。減量が予定より遅れているのもいつものこと。つまり、概(おおむ)ね順調です」
パンチを被弾したことがないのが不安?
元来、試合に備えて大口を叩くタイプではない。リング上で見せるセンセーショナルなパフォーマンスに比べ、その口調は実におとなしく冷静だ。
「単純に考えて、試合の決着というのは4パターンしかありません。KO勝ち、KO負け、判定勝ち、判定負け。試合が決まってから、これらすべてのパターンを何度も想像しました。今のところ、後半のKO勝ちというのは想像がつかないですね。倒すなら序盤。自分のスピードが上回り、早いラウンドで一気に決められる可能性はあると思っています。そうなれば楽でいいんですけど(笑)。逆に序盤で決められない場合は、消耗戦になるだろうと覚悟しています」
負けパターンも想定しているあたりが謙虚だが、それは不安材料を洗い出す作業でもある。負ける展開、要因を徹底的にイメージし、それをひとつずつ潰していくことで勝利の可能性を高めていく。キャリアの少ない田中にとって、このプロセスは重要なのだろう。そして本人の弁にもあるように、その持ち味はスピードとキレ、そしてカウンターである。序盤、相手が田中の動きに戸惑うようなら早期決着も十分に考えられるはずだ。
では、田中と世界のベルトを争うイエドラスとは一体どのような選手なのか。過去の試合映像をチェックしてみると、なかなか荒々しいファイターのようだ。
「(イエドラスは)確かに荒っぽいですね。パンチを振り回してくるので、カウンターは合わせやすいかもしれないけど、タフネスも相当なもの。簡単に倒せるとは思っていません。どのくらいパンチが強いのかが、自分の中で一番のポイントです。予想をはるかに上回る強打者なら萎縮してしまうこともあるかもしれません。いかに伸び伸び戦えるかがひとつのカギですね」
もし、イエドラスの強打を警戒するあまり、ボクシングが縮こまってしまうようなことがあれば陣営のゲームプランに狂いが生じることは十分に考えられる。何しろ田中は、まだまともにパンチを被弾したことがない。強すぎるがゆえ、ここまでの4戦で耐久力が試されずにきたのだ。
「確かに、ここのところパンチをもらって効いた経験はほとんどありません。打たれた時にどうなるのか自分でも未知数です。長期戦も想定はしていますが、12ラウンドずっと足を使ってさばける相手ではないしょうから、序盤からボディを多めに打っておきたいですね」
試されざる耐久力は早熟だからこそ。しかし、あらゆるパターンを想定して準備をしていることが本番に生きるのではないか。プロ5戦目での戴冠は十分にあり得ると言っていいだろう。
新記録達成後、大晦日に統一戦!?
■スター選手が塗り替えてきた最短記録の歴史
それにしても、陣営が最短記録の樹立にこだわるのはなぜか。ひとつには、冒頭で述べたようにスターが繚乱する実情から、王者の中でもとりわけ価値のある存在を目指すべき、という考え方があるはずだ。所属する畑中ジムの畑中清詞会長は以前、「記録は狙えるときに狙わんと」と口にしていたが、田中という人材の出現は、まさしく“狙える”好機の到来というわけだ。
ちなみに世界王座の最短奪取記録でいえば、具志堅用高の「9戦目」に井岡弘樹がタイ記録で並んだのが1987年10月のこと。これを4年後に辰吉丈一郎が「8戦目」で更新。その後、2006年7月に名城信男が同じく「8戦目」タイで戴冠を果たすと、その後も2011年2月に井岡一翔が「7戦目」、翌2014年4月に井上尚弥が「6戦目」と記録は塗り替えられていく。いずれも記録だけでなく記憶にも色濃く残る名選手ばかりだ。
果たして、田中はこの系譜に名を連ねることができるのか。
「世間から見れば、僕はまだ19歳のガキかもしれません。でも、そんな自分なりにこれまでの人生のすべてを賭けた試合です。この試合がスタート地点とは考えていません。ずっと、この時のために努力してきました。その覚悟と気持ちが、試合を通して多くの人に伝わると嬉しいですね」
一方で、こうも言う。
「ここ数年、大晦日に大きな試合がたくさん行なわれるじゃないですか? 最近、“自分もあそこに参加したい”と思うようになってきました」
ミニマム級には、現IBF王者の高山勝成もいる。日本選手として初めて主要4団体のベルトをコンプリートしたベテランだが、田中が戴冠を果たした暁(あかつき)には「ぜひ統一戦を」と呼びかけている。これには田中本人も「やれるなら、是非やってみたい」と応え、畑中会長も「うちはまったく構わない。きっと話題になるはず」と前のめり。首尾よく新記録を達成した後も、田中は話題を提供し続ける存在になりそうだ。
試合の翌月には、20歳の誕生日を迎える。最高のバースデーを迎えられるといいねーーそう水を向けると、それまでのおとなしい口調が一転し「はい」と短くも力強い返事が返ってきた。この瞬間、はっきりと目に光を宿したことが印象深い。
若き怪物の一世一代の大勝負。注目である。
(取材・文・撮影/友清哲)