「日本は引退間際の選手が行くところだと思っていたよ」と笑うラミレス氏

もはや日本プロ野球に欠かせない存在となった外国人助っ人。毎年、多くの選手が前評判とともにわらわらと上陸して、当たりだ、ハズレだとファンを一喜一憂させる。

そんな中でも、ベネズエラ出身で2001年にパイレーツからヤクルトへ、08年巨人、12年DeNAと移り、通算2017安打、数々のタイトルを獲得。“ラミちゃん”と親しまれ、現在はBCリーグ群馬のシニアディレクターを務めるアレックス・ラミレス氏に聞いた。

―来日以前の「日本野球」に対する印象は?

ラミレス 正直、引退間際の選手が行くところだと思っていました。来てみたら、レベルの高さに驚きました。

―最初に苦労したのは?

ラミレス 同じ野球でも文化が違う。それと「自分は今、日本にいる」ことを受け入れるのが大変でした。

―具体的な方法としては?

ラミレス 「しょうがない」「わかりました」「頑張ります」の日本語をセットで覚えて自分に言い聞かせました。日本ではアメリカと違うことも多かったけど、「なんで?」と聞いたところでどうにもならない。でも、2年ほどで受け入れられるようになり、以降はラクになりました。

―成功の秘訣(ひけつ)ですね。

ラミレス ヤクルトでは、一番助けてもらった岩村さんを始め、宮本さん他、たくさんの人からアドバイスをもらいました。古田さんは「日本ではキャッチャーの配球も研究したほうがいい」と教えてくれた。家族のようなチームでしたね。

―その後、巨人とDeNAでプレーしました。

ラミレス 巨人はとてもプロフェッショナルなチームでした。DeNAは一緒にプレーした中で一番だと思う筒香(つつごう)選手を始め、梶谷選手など才能ある選手が多い。明るい未来があると思います。

監督になるための準備はできている

―二刀流の大谷投手(日本ハム)はどうですか?

ラミレス 今の日本人選手では断トツでNo.1。きっと、近い将来メジャーに行ってしまうので、日本のファンは今のうちに彼のプレーを楽しんでください(笑)。

―「アイ~ン」や「ゲッツ!」を始めたきっかけは?

ラミレス ヤクルト時代に度会博文(わたらい・ひろぶみ)さんから「やろう!」と言われて「アイ~ン」を始めました。最初は何が面白いのかさっぱりわからなかったけど、ファンが喜んでくれたので。「ゲッツ!」は、ダンディ坂野さんからDVDが送られてきて「やってほしい」とお願いされたんじゃなかったかな? 以降は、私にとってもNo.1パフォーマンスになりました。

―日本のファンの印象は?

ラミレス 勝敗に関係なく、楽しんで応援してくれます。敵チームのファンも声をかけてくれますし。日本のファンには本当に感謝しています。

―今後は、日本の球団で監督になることを希望されています。

ラミレス 監督になるための準備は、私の中ではできています。オファーがくれば、どの球団でもやりたいです。

―その時は選手兼任で?

ラミレス YES! 今ならまだできると思う。頑張りマス!

■ラミちゃんがさらに外国人選手の“成功する条件”を語ったインタビューは明日配信予定!

(取材・文/キビタキビオ 谷上史朗 取材協力/寺崎 敦 撮影/五十嵐和博)

■週刊プレイボーイ25号(6月8日発売)「プロ野球外国人助っ人 伝説の瞬間」より