プロ5戦目で日本最速の世界チャンピオンとなった田中恒成に独占直撃!

日本最速! 5月30日、プロ5戦目で世界チャンピオンとなった“中京の怪物”田中恒成(畑中)。

デビューからわずか1年半でWBO世界ミニマム級王者の座に就き、今月15日に20歳になったばかりのボクサーが見据える未来とは? 田中は言うーー。

「未来のことはわからない。ただ、誰よりも愛されるボクサーになりたい」

 * * *

―試合翌日の会見で「まだチャンピオンになった実感がない」と語っていました。そろそろ実感は湧きましたか?

田中 まだよくわからないですね。実感もまだないです。これからもないのかなって思います。矛盾するんですけど、達成感と虚無感が同時に去来しているというか。

―その思いを、もう少し解説してください。

田中 僕は世界チャンピオンを目標にずっとやってきたんで、もちろん達成感はあります。でも勝った瞬間は涙もなく、心の底から湧き上がるような感情もなく、自然とガッツポーズが出たわけでもなかったんです。なぜか、「ついに夢を叶えたんだ!」という気持ちは起きなくて。

世界チャンピオンになって数日経ち、「ここがゴールじゃないんだ」と気づいたというか。でも同時に、世界チャンピオンがボクシング人生のひとつの節目であることは間違いなくて。何かをやり遂げたような感覚も少しはあるんで、不思議な感覚なんです。

―なるほど。

田中 ここが新たなスタートなのかなって思いますね。だって、19歳で人生のゴールテープを切ってしまったなんて、客観的に見たらおかしいですよね(笑)。

―では、ボクシングを始めた経緯から教えてほしいんですが、最初は空手をやっていたんですよね?

田中 父親が辰吉(丈一郎)選手が好きだったんです。息子にボクシングをやらせたかったんでしょうね。でもジムが近所になかったんで、「空手やってみるか?」って。3歳の時、兄と一緒に始めたんです。

―空手は楽しかったですか?

田中 正直、楽しくはなかったですね(笑)。父に勧められ、「やる」とは言いましたけど、深くは考えず返事しただけで。覚悟も何もあったわけじゃないのに稽古が厳しくて。

―ボクシングに転向したのは?

田中 小5の時、近所にボクシングジムができたんで、「空手の練習の一環として、やってみたらどうや?」って父親に勧められたんです。テキトーに「ええよ」って返事して。でも、やっていくうちにハマりました。半年くらいは空手とボクシング両方やってたんですけど、ボクシング一本にしぼって。

―不思議な運命ですね。

田中 いや、父親の掌(てのひら)の上で踊らされてただけだと思います(笑)。元々はボクシングをやらせたかったはずなんで。

今のスタイルを確立させた出会い

―ボクシングのどこに魅了されたと思いますか?

田中 スピードとスリルですね。もちろん空手にもいい部分はいっぱいあるんです。でも僕はボクシングのステップの華麗さに惹かれて。すごい速さのパンチを寸前で避ける人を見て、すごいなって。真似して自分がやってみたら怖いんですよね。「僕もパンチをキレイに避けれるようになりたい」って思って。

だから高校に進学するまでは、とにかくパンチを避けることに全てをかけるようなスタイルで。ブロックなんかしないで、ガードもせずにとにかくカッコ良く避けるっていう完全な自己流でやってました。

―その頃、世界チャンピオンは夢でしたか?

田中 もちろん夢でしたけど、それは想像もつかないくらい雲の上の世界の話で。なりたいと漠然とは思ってましたけど、なれるとは思ってなかったですし、果てしない夢過ぎて簡単に口には出したくなかったですね。軽々しく言いたくなかったです。中学の大会では、よく負けてたんで。

―では、世界チャンピオンが本気の目標になったのは、いつですか?

田中 本気で「ならなきゃ」って思ったのは、東洋(※2014年10月)を獲ってからです。

―田中選手は、“考える”ということを大切にしているそうですね?

田中 そうですね。練習メニューも自分で考えますし、毎ラウンド、毎ラウンド、課題を設けて練習をしてます。ボクシングをしている時は、常に頭をフル回転させてますね。

―そのスタイルを確立したのはいつですか?

田中 高校時代のボクシング部の顧問、石原(英康)先生との出会いが大きいです。

―石原先生は現役時代、東洋太平洋王者まで上り詰め、世界戦も2度戦った経歴を持っています。その石原先生に考えることの大切さを教わったと。

田中 反対ですね。教わらなかったというか。

―どういうことですか?

田中 部のスタイルがあったんですけど、僕のスタイルとは上手く噛み合ない部分があったんです。先生に「おまえは、もう好きにやっていいよ」って言われて。

―見放された?

田中 ある意味、野放し状態でした。だから自分で考え、練習メニューを自分で組んで練習して。それに対して先生が「こうやってるけど、こうしてみたらどうだ?」って、僕が考えたことは一切否定せずに、プラスしてアイデア、アクセントを与えてくれたんです。考えることの土台を作ってくれたのは石原先生です。

僕を世界チャンピオンにしてください

―では、高校では4冠を達成していますが、プロ転向を決めたのはいつですか?

田中 プロになって世界チャンピオンを目指すか、アマでオリンピックを目指すか…正直、迷いました。でも初期衝動じゃないですけど、「ボクシング」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、小さい頃にTVで見た世界戦だったんです。漠然とではでしたけど、ずっと夢見てきた世界だったんで、高校2年の冬にプロを目指そうと決断して。心の奥底では、最初からプロに決まってたんだと思います。

―畑中(清詞)会長にはどうやってプロ転向の意志を伝えたんですか?

田中 それも高2年の冬、2月3日ですね。父親と僕と3人で食事する場を設けていただいて。僕と父が先に着いたんで、紙に「僕を世界チャンピオンにしてください」って書いて、店員さんに渡したんです。会長が来たらグラスにその紙を入れて運んでもらって。会長がその紙を読んだ時に「よろしくお願いします」って頭を下げました。

―粋な演出ですね。

田中 父に「そうしろ」って言われたんです(笑)。それに、このエピソードも最近、会長が話してたのを聞いて、そう言えばそんなこともあったなって思い出して(笑)。

―では、デビュー戦の相手を決める時点から「強いヤツとやりたい」と会長に言い続けたのはなぜですか?

田中 アマチュアと違い、プロはお客さんがお金を払って試合を見に来てくれるようになりますよね。僕はそのリングに立つわけです。だから例えば、日本タイトルのための前哨戦とか、練習でしてきたことを試すための試合とか、経験を積むための試合とか、そういう自分中心なマッチメイク、“何かのための試合”をするのがイヤだったんです。

お客さんが僕を見に来てくださるなら、僕は何かのための試合ではなくギリギリの相手との真剣勝負、「この試合のためだけの試合」をするべきだって。自分にできる精一杯というか、自分もお客さんも満足できる試合、毎試合全てがギリギリの相手と勝負をしたいって思いがあったんです。

まあただ、デビュー戦の相手が世界ランカーに決まった時は、内心ビビりましたけどね。会長、それはちょっとやりすぎじゃないって(笑)。

―「5戦で世界を獲る」という会長のプランについてはどう思っていましたか?

田中 もちろん目指してはいましたけど、現実味が薄かったというか…。心のどこかで「たった5戦で」って思ってたと思います。4戦目で東洋を獲って、初めて明確に「やるしかない!」って思えたんで。正直、「まだ実力が足りてない」って常に思ってました。でも、そんな心境でリングには立てないんで、足りてないとしても足りていると思い込んでリングに上がる。試合前までに心を作るのが一番大変な作業でしたね。特にデビュー戦は。

―高校4冠の実績から“中京の怪物”と呼ばれ、期待も応援も初戦から大きかったですよね。

田中 期待されることは嬉しくもありましたけど、同時に怖かったですね。「また見たいな」と思ってもらえる試合ができるのか、「こんなもんか」と2度と見に来てもらえないのか。ファンの方の期待を裏切ってしまうんじゃないかって恐怖が常にありました。

―大きな期待が、大きな恐怖でもあったと。

田中 でも、隣り合わせで恐怖があるからこそ戦えるんだなとも思ったんですよね。恐怖があるからこそ練習も頑張れるし、立ち向かえるんで。恐怖はあって当然ですし、ないとイヤです。

「負けたくない」から「負けられない」へ

―では、恐怖に負けない心を支えたものはなんですか?

田中 試合中、後ろから聞こえてくる声援です。その声が聞こえるたびに「疲れた」「辛い」「苦しい」「もうやめたい」とか、そういう自分の感情を殺せるんです。「これだけの人が応援してくれて、こんなに声を出してくれる」と思うと頑張れる。苦しかろうが辛かろうが、自分の感情なんか抜きにして前に出ようって思えるんです。

―先月のパークアリーナ小牧(愛知)で行なわれた世界戦も、地元の大声援が背中を押したんですね。

田中 はい。押されすぎたおかげで、序盤に飛ばしすぎてしまって(笑)。世界戦ということでテンションが上がっていたこともあるでしょうし、知らず知らずのうちにプレッシャーも感じていたんでしょうね。正直、3ラウンド目くらいからもうバテバテで「ヤバイな」って思ってました。序盤のチャンスのたびに「ここで終わってくれ」ってホント願ってましたから。

―10ラウンド以降は初体験、未知の領域でしたよね?

田中 えらく(※中部地方の方言で「疲れる」「大変」などの意)なってきて、さすがに何も考えてられなかったですね。勝てたのは本当に声援のおかげだと思ってます。

―現在、大学2年生です。減量もなく、遊びたいだけ遊べる周囲の学生が少し羨ましかったりもしませんか?

田中 少しどころか、全然羨ましいです(笑)。でも僕にはボクシングしかないですし、それに、なんだろう…。これだけ応援してくれる人がいて、こんなに大きな夢を見させてもらって。もちろん、そこには減量、恐怖、練習がついてくるけど、こんな幸せを味わえるのはこの世界でしかあり得ない。辛かったこと全て、試合が終わったら忘れますからね。忘れちゃうから、また試合しちゃうんでしょうけど(笑)。

―では自己分析するなら、自分はどんな性格ですか?

田中 まあ、負けず嫌いだと思います。

―高校時代、3位に終わった大会で賞状をクシャクシャにして投げ捨て、石原先生が拾い上げシワを伸ばして手渡されると、再びクシャクシャにして投げ捨てたことがあるそうですね。若さゆえですか?

田中 たぶん、今でも同じことをしてしまうかなって思います(笑)。

―極度の負けず嫌いなんですね。

田中 ボクシングに関してだけですけどね。今も負けに対する怖さ、恐怖心は人一倍あると思います。負けるのは本当に怖くて。負けたら狂いそうになります。昔は特に「負けたくない」という思いだけでボクシングをやっていたような気がするんです。勝ちたいという思いより、負けたくないという思いが強かったんで。

極端に言ったら、試合をしなくてもいいくらい。試合をしなければ負けることはないんで。勝ちたい欲よりも、負けたくない欲の方が強かったんですよね。

―それは今もですか?

田中 もちろん今も「負けたくない」って思います。ただ、微妙なニュアンスの違いなんですけど、今は「負けたくない」から「負けられない」になっているというか。世界戦は組むだけで大変です。本当にいろんな人たちのバックアップが必要で、多くの人に支えていただいている。素晴らしい試合内容で結果、負けたとしても「いい試合だった」と振り返られる試合を僕はいつかするのかもしれないですけど、今はまだその時じゃない。特に、この前の世界戦は絶対に負けられない試合でしたから。

内容が良くても負けていい試合なんてない

―では最後に、これからの目標を教えてください。

田中 正直、今後のことは具体的には決まっていなくて。次戦が統一戦か防衛戦か、階級を上げるのかもわかりません。でも近いうちに階級は上げますし、これからも強い選手とやっていきたいなって思いは変わらずあります。日本一応援してもらえるボクサーになることが夢でもあるんで。誰よりも愛されるボクサーになりたいです。

―なるほど。

田中 僕は、いちボクサーとしては強さだけを求めます。でもプロとしてお客さんを楽しませたいとも思います。欲張りですし、おこがましいですけど、このふたつをプロボクサーとして成立させたいんです。コアなボクシングファンにも、ライトなスポーツファンにも応援してもらえる選手になりたい。お客さんを呼べる選手になって、いつかナゴヤドームで試合をやってみたいですね。

―東京ドームではなく?

田中 ナゴヤドームがいいですね。地元でやりたいで(笑)。

―ラスベガスやマカオは目指しませんか?

田中 それも夢ではあります。でもミニマム級では難しいでしょうね。だからこそ階級も上げたいと思ってるんですけどね。最近、4年振りに身長が伸びたんです。ただ、海外でやりたい気持ちはあっても、まだ僕は胸を張って「やりたいです!」と言えるほど強いボクサーではない。もっともっと強くならないと。

―もちろん、もっともっと強くなれますよね?

田中 はい。頭の中、脳内の自分がドンドン先に進んでるんです。完成型はないし、目指しているスタイルがどういうものか言葉では説明はできないですけど、現時点で自分が納得している動きはまだ何ひとつないんで。

―つまり、まだまだ強くなれると。ワクワクしますね。

田中 ワクワクしますけど、もっと速く強くなりたいです。

―“中京の怪物”のニックネームは伊達(だて)ではないと。

田中 そのニックネーム、ちょっと違和感があるんですけどね。

―確かに、世界チャンピオンに“中京”というくくりは、もはや狭すぎるかもしれないですね。

田中 いや、そっちじゃなくて“怪物”の方に違和感があって。怪物ってのは、それこそローマン・ゴンサレスや井上(尚弥)選手のようなボクサーを指す言葉なんで。僕なんかまだ小動物ですよ。まだ“中京の子羊”で十分です(笑)。

―いやいやいや(笑)。

田中 僕は世界チャンピオンはひとつのゴールで、チャンピオンになれれば、何者かになれると思ってました。だから、もし世界チャンピオンになったら、次は勝敗を度外視した試合をやってみたいなって思ってたんです。世界の名だたる強豪と戦って、たとえ負けたとしても「いい試合だった」と言えるような試合を。

でも、実際に世界チャンピオンになったら、ここはゴールでもなければ、僕はまだ何者でもないことを知りました。雲の上だと思っていた世界には、まだ上があった。まだまだ先があった。だから、まだ負けられない。いつか軽量級にいる名だたる選手、“世界の怪物”と呼ばれる選手と試合ができるようになるまで、僕はもっともっと強くならなければいけないし、その日まではどんなに内容が良くても、負けていい試合なんて一試合もないんだなって思います。

(取材・文/水野光博 撮影/利根川幸秀)

田中 恒成(たなか・こうせい)1995年6月15日生まれ。岐阜県多治見市出身。SOUL BOX畑中ボクシングジム所属。5戦5勝(2KO)0敗。第16代WBO世界ミニマム級王者。中京大学経済学部在学中。小学5年からボクシングを始め、中京高校時代には高校4冠を達成。高校3年時にプロテスト合格し、今年5月に日本最速となるプロ5戦目での世界王座獲得に成功。兄の亮明は駒沢大学のボクシング部に所属。現在、国体を4連覇中でオリンピックを目指している