プロ野球の話題で酒の席も盛り上がる夏がやってきた。そこで、上司世代は知ってるが…という定番ネタを仕込んでいて損はない。
ただ成績がダメなだけなら戦力外として日本を去り記憶にも残らないが、悪い意味で球史に名を残し、今なおファンの話題となるような“筋金入り”の外国人選手たちをまずは振り返ってみよう!
●バリバリの現役メジャーが「神のお告げ」で超スピード退団 グリーンウェル(阪神)
阪神ファンの間で、いまだに酒の肴(さかな)となる1997年の“大損”選手。レッドソックスで活躍し、オールスターやワールドシリーズの出場経験もあるメジャーのスターで、阪神は当時としては破格の年俸3億6千万円で契約した。
だが、キャンプで背中を痛めて帰国してしまい開幕後も戻ってこない。再来日は4月末。5月3日のデビュー戦でいきなり決勝打を放った時は甲子園のファンも安堵して大声援を送った。
ところが、それからわずか8日後。11日の巨人戦で自打球を足に当て、骨折と判明すると「野球をやめろという神のお告げ」と、そのまま引退宣言、帰国してしまった。あまりにもぶっ飛んだ理由によるスピード退団に誰もが呆然。
高級マンションの壁をぶち抜いて広くした部屋など高額な年俸以外にも“無駄”は多数あり、この年5年連続Bクラスとなる5位に終わると「A級戦犯」扱いが確定した。
とはいえ、本人は「勝ち組」で、現在はフロリダにアミューズメント施設を建設して経営。2008年にはレッドソックスの球団殿堂入りを果たし、「自分はこのユニホームしか着たことがないことが誇りだ」と、阪神ファンを逆撫でするようなコメントを残している。
●プロ野球の黒歴史に名を残す超ワガママなデタラメ選手 ペピトーン(ヤクルト)
ヤクルトにとって、苦い教訓となった悪名高きトラブルメーカー。1973年、メジャー通算219本塁打の実績に引かれて6月に獲得したが、練習はしない、文句は多い、金をせびるといった悪行の数々。「ペピトーン・デー」のWヘッダーでは第2試合を欠場し、離婚調停のために無断帰国してしまった。
8月に復帰したが、アキレス腱痛を理由に9月帰国。結局、14試合に出ただけで本塁打は1本。2年契約なのに翌年になっても来日せず、球団は3月に契約を解除した。
●キレると大変! 紳士球団のクレイジーなサウスポー ライト(巨人)
純血主義から路線変更した巨人が、ジョンソンに続いて1976年シーズン途中に獲得した左腕投手。スクリューボールを駆使する技巧派だったが、エンゼルス時代に22勝した実力の持ち主で、同年8勝、翌77年は11勝を記録し、巨人の2年連続リーグ優勝に貢献した。
だが、問題は激高しやすい性格で、先発した試合で5回途中に降板を命じられると、帰り際にスタンドにボールを放り投げてしまい、ベンチ裏でも大暴れ。78年のシーズン途中に退団するまでに破壊した器物は数知れず、その暴れっぷりに本名のクライド・ライトが転じて“クレイジー・ライト”という異名がついたほどだった。
東尾修と大乱闘!
●ゴキブリ出現で、失意の退団となったメジャー選手 マネー(近鉄)
ブルワーズなどで10年以上も活躍したメジャーリーガー。36歳だった1983年で引退を決めたが、近鉄の粘り強い交渉で翌84年に日本行きを決めた。しかし、実際に来日すると交渉時の話とギャップがあることが判明。球団が用意した住居は外国人が暮らしやすい環境とはいえず、ゴキブリが出現するなどして、一緒に来日した家族が早々とホームシックになってしまった。
また、「日本野球=巨人戦」を思い描いていたマネー本人も、当時の近鉄の本拠地である藤井寺球場や日生球場のボロさ、観客の少なさにショックを受け、4月だけで8本塁打を打ちながら退団を決意。当初は本人もやる気があっただけに残念な結果となった。
●成績はレジェンド級なのに大麻所持で逮捕→解雇 デービス(近鉄)
大物助っ人のマネーが退団したことで、1984年のシーズン途中に近鉄が緊急獲得。すぐに日本の野球に適応し4番に定着する。常時3割超えの打率に加えて、85年には40本塁打を記録するなど確実性と長打力を兼ね備えた選手として活躍していた。
ところが、86年に東尾修(西武)から左腕に死球を受けると、厳しいインコース攻めに対する日頃からの恨みが爆発。逃げる東尾に殴りかかり、大乱闘を引き起こした。
そして、88年には大麻の不法所持で6月7日に逮捕される。翌日に球団はデービスを解雇。起訴猶予処分で釈放されたが、近鉄は不適格選手とすることを発表。もはや日本に居場所はなかった。
■トラブル助っ人はまだまだいる! この続きは明日配信予定!!
(文/キビタキビオ 谷上史朗)