メジャーからカムバック、古巣ではなく出身地・高知の独立リーグを選んだ藤川球児

独立リーグの高知ファイティングドッグスに入団、3年ぶりに日本のマウンドに立った藤川球児

先発して4回を投げ、5安打2奪三振1失点。直球は最速146キロをマークした。スタンドには05年の球団発足以来最高となる3千人近くの観客が集まったという。現場で見ていたセ・リーグ某球団の関係者はこう語る。

「阪神時代に比べたら、やや球のキレに乏しいかな。でも本人にしてみれば、まだ試運転という状態でしょう。これから数回投げる間に右肘の故障の完治や球威復活をアピールするつもりだろうから」

アピールする相手は、もちろんNPBの各チームだ。メジャーリーグのレンジャーズを解雇され、日本復帰を考えたのは5月。当時、藤川の元に非公式に打診してきたのは楽天、DeNA、そして阪神だったといわれている。

「楽天とDeNAは、金額なのか、それ以外の条件なのかわかりませんが、契約がまとまらなかった。一方、古巣の阪神はどうやら金銭的な条件提示にも至らなかったようです」(在阪TV局関係者)

周辺情報を総合すると、藤川が阪神サイドに聞いたのは一点。「今後どうチームづくりをして、戦っていこうと考えているのか。ビジョンを聞かせてほしい」ーーこれだけだったという。

「ところが、交渉の窓口だった幹部は明確に返事ができなかった。今年の最後まで和田監督でいけるのか、それすらシーズンの展開次第で変わってしまう状況でしたからね。ただ、若手の育成などについて具体性のある返事がなかったことで藤川は落胆したといいます」(テレビ局関係者)

“モノ申す藤川”に球団も手を焼いていた?

一応、中村勝広GMは「積極的に交渉したが、残念な結果になった」と、ファン向けに交渉努力をアピールしていたが、実際のところ、阪神側もそれほど本気ではなかったようだ。

「親会社の阪急阪神ホールディングスは藤川の復帰を待望していましたが、球団は及び腰だった。彼は功労者ですが、同時に“モノ申す選手”でもあり、文句があれば球団に対してもハッキリ言うタイプ。以前の在籍時は球団も手を焼いていただけに、力の衰えた今、無理をしてまで獲(と)りにはいきたくないというのが本音だったようです」(前出・TV局関係者)

しかし藤川は、これで引退する気もなかった。そこで、まずは独立リーグとはいえ、故郷・高知のチームに籍を置き、実戦登板を重ねる中で体や投球フォームを“日本仕様”に戻そうと考えたのだろう。

「日本からメジャーに渡った投手には肘や肩の故障が目立ちますが、一番の原因はアメリカと日本のマウンドの違いだといわれています。傾斜や硬さが合わず、フォームを崩して負担がかかってしまうわけです。

藤川としても、アメリカで不本意な結果に終わった理由は、あのマウンドにあったと考えているかもしれない。独立リーグでもいいから、まずは日本のマウンドで投げられる体にチューンアップして、本来のキレや伸びをアピールしたいという気持ちでしょう」(前出・セ某球団関係者)

藤川もこの7月で35歳。劇的な復活を見せない限り、NPB球団はそう簡単に食指を動かさないかもしれない。それでもファンとしてはやっぱりもう一度、甲子園で「ピッチャー、藤川球児」のコールを聞きたいという声は多いはず。また、たとえタテジマではなく相手チームのユニフォームでも、あの満員のスタンドを背にして投じる“魂のストレート”をまた見てみたい――そう思っているプロ野球ファンは少なくないはずだ。

そんな藤川の本音は? 7月13日発売の『週刊プレイボーイ』30号では独占告白インタビューを掲載! メジャーを断念した理由、メディア報道への不信から阪神ではなく独立リーグを選んだ経緯まで赤裸々に明かしているのでお読みください!

(取材・文/本誌野球班、撮影/五十嵐和博)