夏の甲子園・西東京大会。その話題をひとり占めにしたのが早実のスーパー1年生、清宮幸太郎選手。
入学からわずか3ヵ月で13本塁打を放つスラッガーぶりから“和製ベーブ・ルース”といわれ、高校野球100年のメモリアルな甲子園出場に貢献、大フィーバーを巻き起こしている。
「スイングスピードと飛距離は圧巻です。中学時代にはスイングのあまりの力強さに腰を疲労骨折したほど。このまま順調にいけば清原、松井クラス、いや、それ以上になるかもしれません」(スポーツ紙記者)
22日に行なわれた準々決勝には高校野球の地方予選としては異例の1万3000人の観衆、34社121人ものマスコミ関係者が神宮球場へ詰めかけた。これには東京都高野連も「混乱を防ぐため」として、異例の「清宮シフト」を決行。決勝戦ですら珍しい外野席の開放を早々と決めるなど対応に大わらわだった。
清宮クンの父・克幸氏(現ラグビー・ヤマハ発動機ジュビロ監督)はかつて早大ラグビー部主将を務め、母も慶大ゴルフ部主将というスポーツサラブレッド。すでに184㎝、97㎏という恵まれた体格はそのたまものだ。幼少時にはこんな逸話も…。
「生まれた時、彼の体重は3800gほどだったそうですが、6ヵ月検診時には体がぐんぐん大きくなっていて、医師が月齢をカン違いして9ヵ月検診を行なってしまったとか」(スポーツライター)
その後、清宮クンは両親の方針もあって、様々なスポーツを体験したという。
「4歳から始めたラグビーは体が大きく、年長組に交じってプレーすることもしばしば。それでも相手をぽんぽんと吹っ飛ばしていたとか。ただ、“ラグビーバカ”にしたくないとの両親の希望もあって、10歳までに水泳、テニス、陸上、スキー、相撲、野球なども体験。相撲ではわんぱく相撲港区大会で4連覇。
野球でも5歳でバッティングセンターのホームランボードに打球をぶち当て、小学1年生の時には時速130キロのマシンを打ち込んでいたそうです」(前出・スポーツライター)
プレー以外も超高校級
小6の時点ですでに身長が177㎝もあったため、こんな珍エピソードも。
「本人が『ランドセルを背負うともうコスプレですよ。通学で吉祥寺なんかを歩いているだけで、すれ違う人にジロジロ見られて恥ずかしくて仕方なかった(苦笑)』とぼやいていました」(中学時に取材した記者)
プレーもさることながら、その言動も堂々たるもので、打席に悠然と向かう姿や取材の受け答えもすでに超高校級。このあたりは幼少時から将来のプロデビューを見据えて父・克幸さんに授けられてきた帝王学の賜物(たまもの)とも。
「彼は中学生の時から『こう言ったら失礼ですけど』なんて言葉を使うほど大人びていましたね。父・克幸氏は幼い頃から『インタビューでは〝がんばります〟なんてありきたりのセリフは絶対に口にするな。他人と違うことをしゃべれ』などと、厳しく指導してきたそうです」(前出・記者)
西東京大会では、この春から並み居る先輩を押しのけ、早くも単独で記者会見が設けられている清宮クン。何度も言うが、これでもまだ1年生なんです。
(取材・文/本誌編集部)