「乱闘も観客を喜ばせるショーだと考えていた」と語る“エモやん”こと江本孟紀氏

今ではほとんど見られなくなったプロ野球の乱闘ーー。

時には流血沙汰に及んだ昭和の名バトルを振り返りつつ、かつて野村克也氏に“南海の三悪人”と呼ばれた“エモやん”こと野球解説者の江本孟紀氏が一刀両断!

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―最近はプロ野球の乱闘ってなくなりましたね?

江本 今は仲良しグループですよ。試合前の練習で敵チームの知り合いに挨拶に行く選手が多いですし、乱闘が起きる空気がありません。そういう時代なんでしょうね。

―昔は違ったのですか?

江本 球団間の競争が激しかったからね。球場に入ったらもう戦いです。昔の先輩にだって会釈程度で、口を利くなんてもってのほか。特に大阪は“お江戸”が嫌いだったから、甲子園の巨人戦なんか向こうがベンチに入った途端、阪神側からヤジが飛んでいました。

―乱闘で印象に残る人は?

江本 一番はロッテの監督だった頃の金田正一さん。平和台球場でロッテと太平洋(現西武)が乱闘になって、みんな引き揚げたらマウンドで全身傷だらけのカネやんが倒れていた。味方にもあの人を恨んでいる選手がいて、この時とばかりにスパイクでビシバシ蹴りを入れたらしいです。

―当時の平和台球場は、観客もすごかったらしいですね。

江本 三塁側ベンチにいると、その屋根に一升ビンと大漁旗を持った地元客が何人も足をぶらぶらさせて、飲みながら下にちょっかい出してくるんですよ。ケンカになった時に向こうが割ったビンの破片が当時、王さんの一本足打法をまねていた片平晋作に当たって流血したり(笑)。

「張本(勲)さんは別の意味で怖かった」

―江本さんご自身が乱闘に巻き込まれた経験は?

江本 南海に移籍したばかりのロッテ戦で、試合開始早々にバッターに当てた時、ロッテの監督だった大沢啓二さんがすっ飛んできて「小僧、この野郎!」ってケンカになりました。

そしたら、兼任監督でキャッチャーだったノムさん(野村克也)が「おまえら、ケンカしにきたんちゃうぞ!」って後ろからきて収まりましたね。でもノムさんは普段の乱闘では出てきたことはなかったですよ。

別の意味で怖いのは張本(勲)さん。あの人は乱闘の演出家で、自分から行かずに周りをけしかける。騒ぎが終わる頃合いになって、TVがCMに入る前に「やめんか!」と出てきて存在感を見せつけるんですよ。

―そんな計算が…(笑)。

江本 乱闘を演出していたのよ。巨人にライトという怒りっぽいサウスポーがいて、中村勝広(現阪神GM)の頭近くに2球ほど投げたんで、ベンチにいたオレが「あの野郎!」とマウンドに飛び出した。そしたらチームメイトでブルペンにいたはずの古沢憲司がなぜかオレより早く駆け込んできて、ふたりでライトとやり合いになったんです。

翌日の新聞に「江本と古沢、こい!」というライトの言葉が書いてあったので、試合前に古沢と乗り込んでいったら「OH! 昨日ハドウモ?」って。なんだよ!みたいな(笑)。

―拍子抜けですね。

江本 メリハリですよ。乱闘もお客を喜ばせるためのショーと考えていたということです。互いに加減もわかっているし、本当の殺し合いなんかしません。

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■江本孟紀(えもと・たけのり)1947年生まれ、高知県出身。愛称は“エモやん”。法政大から熊谷組を経て1971年に東映に入団後、南海、阪神とチームを渡り歩き、先発から抑えまで活躍。引退後は政治家、タレント、評論家など多方面で活動、プロ野球関連の著書も数多い

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(取材・文/キビタキビオ 撮影/五十嵐和博)