私事で恐縮だけど、先月28日で70歳になった。あらためて自分の人生を振り返ると、サッカーに関わったことで、いろいろな経験をさせてもらった。70年といっても、あっという間だね。

初来日は1972年。当時の日本ではサッカーなんて全然人気がなかったし、まさかこの年まで日本でサッカーの仕事を続けているとは想像もできなかった。僕は長期的な計画を立てて何かに取り組むという性格じゃない。その時、その時、目の前にある面白そうな人や物事に関わっているうちに、気がつけば40年以上たっていた感じだ。

もともと日本に来た理由も、好きなサッカーでお金がもらえて、しかも仕事も言葉も覚えられるからという単純なもの。現役を引退したらブラジルに帰るものだと思っていた。

ところが、いろいろあって子供向けのサッカー教室のプロジェクトを担当することになった。当時は公園や空き地で、みんな野球をやっていた時代。誰もサッカーボールなんて蹴っていなかった。それがサッカー教室を開くと、子供たちが夢中でボールを蹴るようになる。そんな光景を見て、日本でもサッカーは必ず発展すると思った。実にやりがいのある仕事だったね。

そうこうしているうちにJリーグが誕生し、日本代表もW杯に出るようになった。今ではW杯も出場して当たり前という感じだ。40年前の状況を考えると、隔世の感があるよ。その間、普及や評論などの活動を通して、日本サッカーに関われたことはとても幸運だった。

まだまだ日本は世界に遅れている!

今後は、5年後の東京五輪まで頑張って、あとはのんびり…と言いたいところだけど、そうもいかない。何しろ、僕の師匠である賀川(かがわ)浩さん(90歳の現役サッカーライター。今年1月、ジャーナリストとして初のFIFA会長賞を受賞)が現役バリバリで頑張っているのだから。師匠の後を追いかけないとね。

今まで通り、もっと日本サッカーがよくなると思えば、遠慮なく発言させてもらう。残念ながら、サッカー評論をする人の大半は指導者としての現場復帰を意識しているから、誰からも嫌われないような無難な発言に終始している。だから、僕が本音で話すと「辛口」と言われるんだ。

また、スポーツ文化という大きなくくりで見ても、まだまだ日本は世界に比べて遅れているなと感じる面がある。例えば、部活の補欠問題。中学、高校の各3年間で1試合も出場できないまま引退する選手がたくさんいる。もったいないよ。僕にはそうした日本の“常識”がないからこそ言えることがたくさんあると思っている。

評論活動以外でも(06年からクラブ運営に携わるアイスホッケー)栃木日光アイスバックスの強化はもちろん、日本代表が五輪に出るために、一クラブとして何ができるということを考えていきたい。それからアンプティサッカー(主に上肢、下肢の切断障害を持つ選手がプレーするサッカー。セルジオ氏は13年から日本アンプティサッカー協会のスーパーバイザー)にもっと注目を集められればと思っている。近い将来、アンプティサッカーW杯を日本で開催するのが目標だ。

そうやって考えると、やりたいこと、やらなければいけないことはたくさんある。70歳になったからといって、のんびりしているヒマはないね。これからもよろしくお願いします。

(構成/渡辺達也)