今季、7年ぶりでF1世界選手権に復帰し「第4期F1活動」をスタートさせたホンダ。
かつて、そのホンダは天才ドライバー、アイルトン・セナとともに「無敵の強さ」を見せつけた。その第2期F1活動で、F1広報・渉外マネージャーを務めた野口義修(のぐち・よしのぶ)氏が、セナとの友情、欧州メディアとの攻防、F1というビジネスの内情を描いたのが『F1ビジネス戦記ホンダ「最強」時代の真実』。
ホンダF1栄光の時代の記憶を鮮やかに呼び起こし、ドライバーやエンジニアたちの厳しい競争の陰で、裏方としてF1を支えた「文系の闘い」に光を当てる一冊となっている。
―第2期ホンダF1の全盛期、マクラーレン・ホンダの活躍を懐かしく思い出しました。この本を書こうと思われたのは、やはりホンダのF1復帰がきっかけだったのでしょうか?
野口 そもそもはセナの没後20年を機会に何かやりたいと仲間たちと話し合っていたら、あるジャーナリストの方から「野口さんが書いたら?」とアドバイスされたのが始まりでした。それが2013年の2月のことです。その3ヵ月後にホンダがF1への復帰を発表したわけですが、当然、私は何も知らなかったので大変驚きました。
当初は自分なりにセナの軌跡について書くつもりだったのですが、途中から私がF1でやっていた「裏方の仕事」についても書き残しておいたほうがいいとアドバイスをもらい、一冊にまとめたのがこの本です。
―F1というとドライバーたちの戦いや最先端の技術競争ばかりに目がいきがちですが、チーム、ドライバーとの契約交渉や広報活動など「文系」の仕事がF1を足元で支えていることがよくわかりました。中でも野口さんとセナとの「友情」にも近い信頼関係は印象的です。
野口 普段はパドックで雑談するぐらいだけど、仕事上のことで彼が本当に困っている時には相談に来てくれましたね。
あれは89年のフランスGPの時だったかな、セナが僕のところに来て「実はフェラーリに移籍する仮契約にサインした」って言うんですよ。契約についてマクラーレンのロン・デニス代表との間で交渉がまとまらないから、一度、相談に乗ってくれないかってね。
セナの住むモナコの家に呼ばれ、ひと晩じっくり話をしてイギリスに戻り、ロン・デニスと契約の骨子を考え直しました。ホンダの仲間からは「セナとの契約に失敗したら、もう二度と日本の土は踏めないぞ!」と脅(おど)かされていましたから、それはプレッシャーでした(笑)。
セナは「人の心をつかむ天才」
―そうして間近で接したセナは、やはり特別なドライバーだと感じましたか?
野口 エンジニアたちが一様に声をそろえるのは、セナの持つ傑出した「開発力」です。マシンやエンジンの挙動を正確に感じ取り、それを的確な言葉でフィードバックする彼の能力はホンダのエンジニアたちにとって他に代え難い存在だったと思います。
また、セナは「人の心をつかむ天才」でもあったと思います。例えば、彼の一度会った人の顔と名前を覚える能力は驚異的でした。F1関係者はもちろんのこと、埼玉の和光研究所の秘書が転勤で青山の本社に来ていると、廊下でパッと見た瞬間にそのコの名前を言い当ててしまう。当時、ホンダ最高顧問だった河島喜好(きよし)さんにも、セナは会うなりハグしちゃう。
誰に対して、どのように接するべきなのか? どう人の心をつかみ、自分の味方にしてゆくのか…。そういう能力、あるいは人間としての魅力を持った人でしたから、引退後はブラジルの大統領にでもなるんじゃないかと思ったほどです(笑)。
―この本にも描かれているようにF1は厳しい世界で、契約交渉などでは海千山千のヨーロッパ人たちと真剣勝負が求められます。大変な思いをしたことも多いのでは?
野口 私がF1に関わった時はまだ30歳でしたから「大変」というより、ともかく無我夢中でしたね。契約交渉のため、ヨーロッパに「1泊3日の出張」なんていうのもザラでした。
そのうち「F1業務のためにイギリスに駐在しなさい」と言われました。当時、ホンダはイギリスで大人気のナイジェル・マンセルを擁するウイリアムズと契約解消をしたばかりだった。ホンダに対して世間の目が厳しい中で、イギリスに腰を据えてメディアの皆さんとお付き合いすることになりました(笑)。
今振り返ってみると、私はもともと海外営業部で実務担当だったので、ヨーロッパという契約社会で相手と正面からやり合うのには、少しは慣れていたかもしれませんね。向こうから何か言われても、契約の中身を暗唱できるぐらい覚えているから、こちらが言うべきことはきちんと主張できる。
そうしたやりとりを通じてしか対等なパートナーとして認められないのがF1という世界ですし、だからこそ、あのロン・デニスとも腹を割って話せる関係ができたのだと思います。
「新生マクラーレン・ホンダ」への思いは?
―また、当時のマクラーレンが「契約にはないことでもホンダのPRに積極的に協力してくれた」というのは象徴的ですね。
野口 車載カメラの映像に映る、ハンドルの真ん中にホンダのHマークをつけたのも「契約外」のサービスでしたし、世界各地のPRイベントにマクラーレンのマシンやドライバーを使うことにもロン・デニスは積極的に協力してくれました。
それも、普段の関わりを通じてホンダとマクラーレンがお互いに何を望んでいるのかを理解していたからだと思います。
シェルやたばこ会社のフィリップ モリス(マールボロ)のような国際企業がスポンサーだったマクラーレン・ホンダのマシンに『週刊少年ジャンプ』の漢字とカタカナのロゴをつけようとした時も、デニスは少し戸惑っていたけれど、最後はOKしてくれました(笑)。
―当時のマクラーレン・ホンダの活躍が華々しかっただけに、F1復帰を果たした「新生マクラーレン・ホンダ」の厳しい現状に複雑な気持ちになります。日本GPを前に、野口さんはどんな気持ちで今のホンダF1を見ていますか?
野口 うーん、私は実態を把握していないのでコメントできないですね。今やっている人たちは一生懸命だと思うんです、だから今は静かに応援するしかない。ここから、どういう戦略で巻き返しを図るか、見守りたいと思っています。
(インタビュー・文/川喜田 研 写真/岡倉禎志)
●野口義修(のぐち・よしのぶ) 1952年生まれ。元ホンダF1広報渉外マネージャー。76年ホンダ入社後、海外営業部、モーターレクリエーション推進本部、国内四輪営業本部などを歴任。83年から92年までF1業務を担当し、88年から92年のマクラーレン・ホンダ全盛期にイギリスに駐在してチーム運営に携わる。2012年に定年退職し、コンサルティング業務に従事する
■『F1ビジネス戦記ホンダ「最強」時代の真実』 (集英社新書 700円+税) アイルトン・セナ、アラン・プロストらのドライバーを擁し、1988年には16戦中15勝という圧倒的な強さを見せた栄光のマクラーレン・ホンダ。広報・渉外マネージャーとして全盛期の第2期ホンダF1活動を最前線で支えたひとりである著者が、エンジニアとはまた違った視点から見つめたF1ビジネスの知られざる内情と、今だから明かせるセナとの逸話などをまとめた一冊