F1に復帰したホンダにとって初めての日本GPは、トップチームとの圧倒的な差を見せられる結果に

フェルナンド・アロンソは11位、ジェイソン・バトンは16位――。F1に復帰したホンダにとって初めての日本GPは、トップチームとの圧倒的な差を見せられる結果に終わった。

昨年の日本GPで初めて、ホンダの新井康久F1プロジェクト総責任者の会見に立ち会って以来、約1年にわたってホンダF1を取材してきて感じたのは、新生マクラーレン・ホンダとして戦う今回の「ホンダ第4期F1活動」が、「技術」と「広報」というふたつのまったく異なる面で、かなり深刻な問題を抱えているということだった。

「技術面」の問題については今さら言うまでもないだろう。ホンダは今回のF1復帰に際して、メルセデス、フェラーリ、ルノーの3社から1年遅れての参戦を選択。

今になって「後発」のハンディキャップを主張し始めているが、そもそも1年遅れの参戦は「1.6リッターターボエンジン+運動エネルギー回生+熱エネルギー回生」という、超複雑なF1用パワーユニット(以下、PU)の開発時間を最大限に確保するためだった。

昨シーズン、他のメーカーが直面したPUの課題や、最強のPUであるメルセデスの情報も、ホンダはマクラーレンを通じて間接的に得られていたはずなのに、そのホンダがこんなPUしかつくれなかったというのは、自分たちの力を過信していたか、F1のレベルを舐(な)めていたとしか思えない。

それゆえ、技術面について少々残酷な言い方をすれば、「ただ単に実力がなかっただけ」で、正直それ以上でもそれ以下でもないのだ。

だが、誤解を恐れずに言えば、そんなコトは大した問題じゃない。それだけ、今のPUには複雑で高度な技術が求められるのであって、それが「高い壁」であるからこそ、ホンダはF1への挑戦を決断したのではなかったか?

だから、「自分たちは慢心していたけれど、実力のなさを痛感した。それでもいつかこの壁を越えてみせたいと思っているので応援してほしい」と謙虚に、そして素直に言えば、鈴鹿の、そして日本中の心優しいホンダファンたちは、その“無償の愛”で受け止めてくれるに違いない。

そして、そうしたファンの存在を可能にしているのが、創業者、故・本田宗一郎氏をはじめとしたホンダの先人たちが2輪、4輪でのレースを通じて築き上げてきた「財産」だということを、今回の第4期ホンダF1活動に関わる人たちは、あらためて胸に刻んでおくべきだと思う。

「広報」の問題もまた相当に罪深い

一方、「広報」の問題もまた相当に罪深い。PUのパフォーマンスや信頼性の不足とは別に、この1年、第4期ホンダF1活動の評判を大きく貶(おとし)めたのがホンダのメディア対応や情報発信の致命的なマズさだ。

まだ実走テストすら始まっていなかった昨年の日本GPの段階で、新井氏が「開幕戦から優勝争いをする自信がある」と豪語するあたりは、もしかすると「慢心」のひと言で片づくのかもしれない。

だがその後、開幕前のテストでトラブルが連続し、悲惨な状況に直面してもなお、「問題ない」「原因は判明し、対策もできている」と強弁。開幕後も具体的な根拠が感じられない楽観的な見通しや、自信過剰とも思えるコメントを繰り返したのは、まるで“大本営発表”のようだった。

それが、ホンダを愛する純粋なファンたちの気持ちを幾度となく振り回し、同時にホンダというブランドのイメージや信頼を大きく傷つける結果となったのは疑いようもない。

誤解しないでほしいのだが、別に新井氏ひとりの責任を追及しているワケじゃない。年間数百億の予算を投じて行なわれるホンダのF1活動がそれを支えるファンの存在や世間の注目を集める以上、当然、企業として情報の発信は欠かせない。

そしてそこには、ファンや社会に対する最大限のリスペクトや、情報を伝えるメディアとの一定の信頼関係が必要だ。

もし、第4期ホンダF1がファンやメディアに対して、もっと謙虚で誠実な情報発信を心がけていれば、この大苦戦も少しは別の見え方がしたのではないか? そして、どこまでも優しくて寛容なホンダファンたちの心をもっと大切にするコトができたのではないかと、それが本当に残念でならないのだ。

繰り返すが、熱心で心優しいホンダファンたちは、ホンダがこれまで積み重ねてきた努力が生み出した貴重な財産だ。だからこそ、ホンダはその財産を大切に扱う義務があると思う。

(取材・文/川喜田 研 写真/池之平昌信)

■週刊プレイボーイ42号(10月5日発売)「F1日本GP現地ルポ ホンダはいつまでもファンに甘えんじゃねぇ!」より