2003年11月、プロとしてリングに立つことのできる17歳の誕生日を迎えた直後、亀田興毅(こうき)は記者会見を開き、こう言った。

「ようやくプロになれた。夢はフライ(級)からフェザー(級)までの世界5階級制覇」

その会見から12年後、5階級には及ばなかったが、世界3階級制覇という記録を残し、興毅はリングを降りた。

リング外の派手なパフォーマンスから、ファンとアンチが明確に分かれる選手だった。それでも、生涯成績35戦33勝2敗、さらに日本人初の3階級制覇という記録にはケチのつけようがない。

では、世界6階級制覇のマニー・パッキャオ(フィリピン)や世界5階級制覇のフロイド・メイウェザー(アメリカ)などは別格として、興毅の3階級制覇は、過去現在合わせて世界で約30人いる複数階級制覇ボクサーたちの記録と同等の価値はあるのか? そもそも亀田興毅というボクサーは、本当はどのくらいの強さだったのか?

複数の日本ランカーを抱える、あるボクシングジムの会長は「日本王者程度の強さだったのでは」と語る。

「昔と違い、今は階級が細分化され、タイトル認定団体も増え、WBAなどはスーパー王者、正規王者、暫定王者など、ひとつの階級に複数の王者が存在します。特に軽量級はアメリカやヨーロッパで人気が低く、層が薄いこともあり、日本王者を複数回防衛できるレベルの選手なら、タイミング次第で世界王者になれる可能性は十分あるんです」(ボクシングジム会長)

しかし、誰でも世界戦を組めるわけではない。

「そこはジムの経済的事情なども関係しますから。亀田三兄弟はテレビ局のバックアップもあり、ボクシングだけに集中できる環境が用意され、マッチメイクでわがままを通すこともできました。もっとも、不公平にも感じますが、彼らの最盛期のように、毎試合高視聴率を取れる選手はそうそういない。なので、人気込みでの実力と考えると、一概にずるいとも言えません」(ボクシングジム会長)

3本のチャンピオンベルトを検証すると?

一方、「対戦相手の質が、強さを不透明にした」と指摘するのはスポーツ紙デスク。

「プロになって戦った日本人選手は35歳で下り坂だった内藤大助と、失礼な言い方になってしまいますが、突出した力を持ったチャンピオンというわけではない河野公平のふたりだけ。また、世界タイトルを獲得した3戦中2戦が王座決定戦。内藤戦以外は、現役の世界王者を下してベルトを手に入れたわけではない。しかも、1本目のベルトはダウンを喫したにもかかわらず疑惑の判定勝ちで手に入れ、3本目のベルトは、一度は引退したかつての強豪を引っ張り出して手にしたもの」

実際、興毅のマッチメイクについて、ファンは「次こそは強豪と戦うはず」と何度も期待しては裏切られた。

「山中慎介(現WBC世界バンタム級王者)との統一戦をにおわせたり、『(世界5階級王者のノニト・)ドネア(フィリピン)と戦いたい』と大口を叩くも、ビッグネームとの対戦は一度もありませんでした。王者が乱立する昨今、複数階級制覇よりも、『誰とやったか。いつやったか』が問われているので、興毅が評価されないのは当然です」(スポーツ紙デスク)

●専門家が語る亀田興毅の「正しい評価」については、発売中の『週刊プレイボーイ』45号でお読みください。

(取材・文/水野光博)