TPP(環太平洋パートナーシップ)協定の大筋合意の結果、サラブレッド(軽種馬)の輸入関税が撤廃されることが決まった。その内容は以下のふたつ。
●輸入後に国内レースに出走する外国産競走馬の関税(340万円)は16年目までに撤廃。 ●輸入後に競走馬を出産する繁殖牝馬の関税(340万円)は即時撤廃。
その影響が懸念されているのが、競走馬の国内生産で8割のシェアを握る北海道・日高地区。生産馬の取引価格の低下や良血馬不足による馬主離れで、同地区では牧場閉鎖が相次いでいる。関税撤廃(TPP)による外国産低価格馬の流入がこうした状況に追い討ちをかけかねないと危惧されているのだ。
その一方で、「影響はほとんどない」とばかりに余裕の構えを見せているのが競走馬生産の巨大組織、社台グループだ。社台ファームやノーザンファーム、追分ファームなどの大牧場とJRA所有の施設に引けをとらない複数のトレーニングセンターを持ち、日本競馬界で圧倒的な影響力を持っている。
日本競馬界は社台グループvs日高グループの対立構造にあったが、今や勝ち組(社台)と負け組(日高)にくっきり二極化しているのが現状だ。
だが、なぜ社台グループはTPPにビビッていないのか? 競走馬生産者A氏がこう話す。
「彼らが生産した馬が重賞レースの上位を独占する状況にあるためです。今年のクラシックでもオークス、日本ダービーと連続で社台グループの生産馬が1着から4着までを独占。皐月賞と日本ダービーの2冠を達成したのも社台グループのドゥラメンテでした」
自信の根拠は社台グループが所有する馬の圧倒的な強さにあるというわけだ。
「G1ホースを量産する血統のいい種牡馬(父馬)を牛耳っているのです。種牡馬別JRA通算勝利数ランキングで断トツトップの2749勝を挙げているサンデーサイレンスを筆頭にノーザンテースト、サクラバクシンオー、キングカメハメハ、ディープインパクト…と1千賞以上の種牡馬を多数抱えてきました。
その中でもサンデーサイレンスの血脈は今の競馬界で圧倒的な強さを誇示していて、“日本ダービーの全出走馬がサンデーの孫”なんていう珍現象も起きている。こうした“スーパー種馬”を囲い込み続けられるところが社台グループの強さの理由です」(競走馬生産者A氏)
競馬界に君臨する“帝国”の独り勝ち
そのサンデーサイレンスが出現した15年ほど前に日本競馬界の勢力図は一変した。
「15年ほど前にはマルガイ(外国産馬)ブームがあり、外国産馬さえ連れてくれば重賞が獲れるという状況にありました。しかし、サンデーサイレンス初年度産駒が現れて以降、外国産馬の勝ち数は急減。それを受けて生産者の反発もなくなったのか、JRAは国内生産者保護の目的で課していた外国産馬の出走制限を大幅に緩めていきました。
サンデーサイレンスが日本の競馬のレベルを飛躍的に向上させたのです。だから、サンデーの没後の今でも、実績のある種牡馬を多数抱え込んでいる社台グループにとってTPPなんて全然怖くないというわけです」(A氏)
日高地区が衰退する一方で、今も社台グループの売上げは右肩上がり。
「社台グループの施設では毎年7月にサラブレッドの競り市が開催されるのですが、その模様は壮絶。日本の大金持ちや中東の王族も参加して、ひと声掛かるたびにン百万、ン千万円単位で取引価格が上昇していくんです。今年7月の競り市では1億円以上の馬が10頭近くも飛び出し、落札合計額は150億円。売上記録を更新しました」(A氏)
ちなみに、日高地区でも毎年競り市が開かれるが、売上額は年に10億円台とひと桁も違う。さらに社台グループにとっては種牡馬の種付け料も莫大な資金源だ。
「一回の種付け料が高額な順からディープインパクト・2500万円、キングカメハメ、ハーツクライ・800万円、オルフェーブル・600万円…。社台グループは1年間に各200頭の種付けを行ないますから、今挙げた種牡馬だけでも年間90億円程度の売上げを出している計算になります。シンジケートを組んでいるため、すべてが収入というわけではないにしろ、競り市での莫大な売上げに加え、種付け料収入…。社台グループは、もはや競馬界に君臨する“帝国”なのです」(A氏)
こうして一強独占体制を強固なものとする社台グループに対し、日高地区の生産者は苦渋を舐(な)めることに…。
「質のいい繁殖牝馬を持つ日高地区のある生産者が、銀行から多額の借金をして社台グループに種牡馬の種付けをお願いしたそうです。でも、『今はスケジュール的に厳しい』などと断られ続けた挙句、やっと種付けさせてもらったのがサラブレッドの種付けシーズン(1月末~6月)の終盤も終盤、6月頃だったそうです。
馬は約335日で生まれますが、6月の種付けとなると出産が5月~6月と遅生まれになり、2月~3月生まれの馬と比べると、生育に遅れを取ってしまう。馬の年齢は人間の約6倍なので、4ヵ月の差は人間でいえば2歳差。3歳春に迎える日本ダービーでは、中学3年生が高校2年生を相手に戦わなければならないような不利な状態になってしまう。ダービー獲得はすべての生産者が抱く夢ですが、その生産者は早々に諦めざるをえなかったようです」(A氏)
社台一強では心を打つドラマは生まれない
さらにA氏が語気を強めてこう続ける。
「今、ファンの“競馬離れ”が叫ばれ、JRAの売上げもピーク時に比べれば大きく落ち込んでいますが、その一因が社台グループの独占状態にある、と指摘する向きもあります。『今の競馬は社台の社内運動会。そんなところにお金を費やしたくない』と…。
90年代に競馬ブームに火をつけたオグリキャップがスターホースたりえた理由は、決して良血ともいえない田舎の中小牧場出身の馬が中央へと這い上がり、血統のいいサラブレッドをバッタバッタとやっつけたからです。しかし、現在の社台一強の状況ではファンの心を打つ“逆転のドラマ”は生まれにくい」
もはや、先頭をぶっちぎる社台グループに日高地区が対抗するチャンスはないのか? 繁殖牝馬などの輸入を手がけるストックウェル・インターナショナルの竹内啓安氏がこう語る。
「社台グループはサンデーサイレンスの導入に成功して今の組織力を築き上げましたが、それ以前にも多くの種牡馬や繁殖牝馬を導入したり、経営努力を続けていました。日高地方は土地の良さと好景気に胡座(あぐら)をかいていたという時代もありまして、その差が今になって埋められないほどのものになってしまったという側面もあります。
ただ、今回のTPP大筋合意では、繁殖牝馬の関税(340万円)を即時撤廃することも決まりました。日高地方がこれを追い風にするためには、海外の繁殖牝馬を積極的に取り込むムーブメントを作ることが大事だと思います。日本の人気種牡馬にマッチする繁殖牝馬をアメリカから多く取り入れることができれば、社台グループとの格差を埋められるかもしれません。
TPP後、そうした努力が実り、サンデーサイレンスのような“奇跡の血の一滴”が日高に落ちると、日本の競馬界は盛り上がるはずです」
TPPで失地挽回の機会が! 競馬ファンが熱くなるドラマはそこから生まれるか?
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(取材・文/興山英雄)