56歳となった今もトレーニングは続けているというヒクソン。現役復帰を期待する声もあるが…

エメリヤーエンコ・ヒョードルの復帰戦や桜庭和志vs青木真也の新旧日本人エース対決で話題を呼ぶ年末の格闘技イベント「RIZIN」にヒクソン・グレイシーの息子クロンが参戦、山本美憂の息子アーセンと対戦する。

クロンの代理人として来日したヒクソンを、話題のノンフィクション『真説・長州力 1951-2015』の著者・田崎健太が直撃!!

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筆者が彼に話を聞くのは2回目である。

前回は、1998年に行なわれた「PRIDE.4」で高田延彦との再戦の直前のことだった。

「あの時は、フルミネンセが2部だったという話をしたね」

ぼくがポルトガル語で話しかけると、ヒクソンはむっとした顔でぼくをにらんだ。

「フルミネンセがリオ州選手権で落ちたって?」

「いや、リオ州選手権じゃないよ。リオでは悪い成績ではなかった」

慌てて言い直したぼくに、彼はにこりと笑った。

フルミネンセはブラジルのリオデジャネイロにある、ヒクソンが贔屓(ひいき)にするサッカークラブである。98年、ブラジル“全国選手権”で2部に降格していた。その話をすると普段、表情を変えないヒクソンが感情を露(あらわ)にしたものだ。

格闘技に関しては求道的な話しぶりだが、相変わらずサッカーの話題になるとカリオカ(リオっ子)の表情になるのだ。

「山本アーセンの試合映像は見る必要ない」

息子のクロン(左)は寝技の世界で頂点を極め、昨年12月に日本で総合格闘技デビューを果たした (c)REAL FIGHT CHAMPIONSHIP

―今回、あなたは年末の「RIZIN」で山本アーセンと対戦するクロン・グレイシーの代理として来日しました。あなたの息子、クロンがアーセンと対戦することになった経緯を教えてもらえますか?

ヒクソン グレイシーファミリーと山本ファミリー、歴史と伝統のある家族同士の対決という構図を描きたいという要望がプロモーター側からあったんだ。

―山本ファミリーのことは知っていた?

ヒクソン KID(徳郁)のことは知っていた。しかし、山本ファミリーがレスリングの名門一家で、世界チャンピオンを輩出してきたことは最近知った。

―アーセンの試合映像は見ましたか?

ヒクソン (大きく首を振って)いや、まだ見ていない。

―あなたは非常に慎重な性格だ。なのに、どんな選手なのか知らずに息子の対戦相手に選んだんですか?

ヒクソン MMA(総合格闘技)とレスリングは根本的に違う。彼(アーセン)にMMAの戦績があれば、もちろん映像を見ただろうが、今回、彼はデビュー戦だ。空手であろうが、柔道だろうが、違う競技は見る必要はない。

―クロンはここまでMMAと距離を置いて、打撃のないグラップリングに注力してきたという印象があります。それはクロンの意思ですか?

ヒクソン もちろん、彼の判断だ。クロンにとってMMAは最優先するべき競技ではなかった。われわれ一家にはグラップリングのバックグラウンドがある。彼もその一員としてグラップリングで強さを証明しなければならなかった。一昨年、ADCC(アブダビコンバット)ですべて一本勝ちし優勝した。クロンの中では、もはやグラップリングの世界で強さを証明する必要がないと判断したのだろう。

「若い頃は“感情的なファイター”だった」

―そこでMMAのリングに上がった。昨年12月に日本でデビューし、アーセン戦は2戦目になる。グラップリングの技術は世界最高レベルとしても打撃のほうはまだまだ?

ヒクソン 彼はMMAに関してはまだ初心者かもしれないが、毎日、トップファイターたちと激しいトレーニングをしているので、打撃に関してももちろん進歩しているよ。

―あなたの意見では格闘家のピークは何歳ぐらい?

ヒクソン 32、33歳だね。きちんとトレーニングしていれば肉体的に若い選手に劣ることはなく、今まで培った経験があり冷静になれる。戦いの中で、さまざまな作戦を組み合わせることができるんだ。

―27歳のクロンは、あと5年ほどで世界最強になれる?

ヒクソン ナンバーワンになれるかどうかというよりも、彼はそこしか見ていない。そうなるだろう。

―あなたがクロンの年頃の時はどんな格闘家だった?

ヒクソン (少し考えて)その当時はブラジルにいたし、今とは環境がすべて違っていた。私の頃は、ビーチやらいろんな所で戦っていた。プロというよりも、もっと“感情的なファイター”だった。戦ってもお金が入るわけもなかった。自分のプライドのために戦っていた。

―27歳のヒクソンは、ヤバい目をしてリオのビーチを歩いていたんですね(笑)。

ヒクソン いや、当時の環境に合わせていただけだよ。物事を解決するために仕方がなく戦っていた。自分の名誉と尊厳をかけてね。

■「幻の長州戦」を語る記事全文は、発売中の『週刊プレイボーイ』49号でお読みいただけます

■ヒクソン・グレイシー1959年生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ州出身。“400戦無敗の男”の触れ込みで初来日し、94年、95年の「VALE TUDO JAPAN OPEN」を連破。その後、PRIDEで97年、98年と高田延彦に連勝し、2000年には船木誠勝に勝利。これが事実上のラストマッチになった

■田崎健太1968年生まれ、京都市出身。著書に『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)など多数。綿密な取材を基にプロレスラー長州力の半生を描いた『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)が大好評発売中

(撮影/長尾 迪)