当面の目標はやはりメジャーだという村田だが…。動きがあるのは12月のウインターミーティング後か?

2010年の秋、巨人を解雇されてトライアウトに参加した村田透は人生の活路をアメリカに求めた。

挑戦5年目の今年、ついにメジャーデビュー。3Aでは15勝で最多勝も獲得し、現在は阪神タイガースへの移籍も一部で報じられている。メジャーから日本球界への"逆輸入戦力"として戻ってくる可能性の出てきた「元ドラ1」が、通訳もいなければ身分の保証もない5年間の挑戦を振り返った。

■メジャーデビューでやっと見えた未来

「僕の特徴ですか? …特にないですね。ストレートが速いわけでもないし、ズバ抜けた変化球があるわけでもないし…」

世界最高峰のマウンドに立った男の言葉とはとても思えない。今季、アメリカ挑戦5年目にしてようやく手にした〝メジャーリーガー〟の称号にも淡々としている。

「まだ1試合だけなんで。本音を言えばもう少し投げたかったんですけど、ステップアップの場にはなったかな」

村田透とは万事、こういう男である。

今年6月の終わり、無名の日本人マイナーリーガーが突如、メジャーの先発マウンドに上がったというニュースが世間をにぎわせた。3回と3分の1を投げ、5失点(自責点3)で敗戦投手という、ほろ苦いデビューとなったが当の本人はあくまで前向きだ。

「今まであやふやだった、メジャーというものがイメージできました。先がやっと見えた感じですね。打たれはしましたけど、自分では思った以上にやれた印象です。自分のピッチングをすれば大丈夫だとは思いつつ、投げる前はどこか半信半疑な部分もあったんで。やっぱり頭をよぎるんですよ、いきなり5点とか10点とか取られる自分が。少々(コントロールを)間違っても大丈夫なところもあるとわかったのは収穫です」

あの時、村田という男をいきなり現れた新星のように感じた人も多いだろうが、彼がメジャーのマウンドに立ったことは、ある意味、なんの不思議もない。彼はかつて〝上原(浩治)2世〟と呼ばれ、ドラフト1位指名で巨人に入団した期待の星だったのだ。

「上原さんが雑草なら、僕はアリです」ーー入団時のこんなセリフの真意を尋ねると、村田は照れくさそうに笑った。

「なんなんでしょうね。意味は特にないです。『なんか言わなあかん』と思って、とりあえず頭に浮かんだのがアリだったんです(笑)」

しかし、その才能が巨人で開花することはなかった。プロ3年目の2010年、5月末にファームでの先発のチャンスで打ち込まれると、その後はシーズン終了まで一度も公式戦に投げることなく、自由契約を告げられた。

12球団合同トライアウトを受けた後、クリーブランド・インディアンスからマイナー契約の打診があり、村田は海を渡ることにした。2年目のオフに派遣されたアリゾナの教育リーグの風景が頭に浮かんだからだ。ベースボールとはこうも楽しいものか。それだけが印象に残っていた。

●ウインターリーグで変わった人生観、メジャーか日本カムバックか…インタビューの続きは『週刊プレイボーイ』48号でお読みいただけます。

●村田透(むらた・とおる) 1985年生まれ、大阪府出身。大阪体育大学浪商高校で2年春にセンバツ出場。大阪体育大学では3年時に全日本大学野球選手権MVP。2007年ドラフト1位で巨人に入団するも、一軍登板のないまま2010年に解雇され、インディアンスとマイナー契約を交わし渡米。今年6月、ついにメジャーデビューを果たす。今季3Aで最多勝(15勝)。身長183㎝、体重80㎏、右投げ左打ち

(取材・文/阿佐智 撮影/髙橋定敬)