前人未到の32年間の現役生活についにピリオドを打ち、今年から野球評論家として活動する山本昌(まさ)氏。
早くも各メディアに引っ張りだこの“50歳のルーキー”を江夏豊氏が直撃! 改めて、長~い現役生活をじっくりとふり返ってもらった。
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江夏 まずは32年間、お疲れさん。ずいぶん忙しくしているみたいだね。
昌 ありがとうございます。ありがたいことにいろいろと呼んでいただいて。
江夏 忙しいから寂しさが紛(まぎ)れるんだよ。自分もそうだったけど、現役を終えて1年目は「もうボールを投げない」っていう物足りなさ、寂しさがやっぱりあるよな。
昌 ナゴヤドームのロッカーを整理しに行って、ガラーンとしているのを見た時、「ああ、本当に終わったんだ」と。もっとやりたかったという思いもありますし、今でも朝起きると、つい肩を回してみたりします。でも、よく考えたら50歳までやれたのは“大往生”ですよね。
江夏 そうか、50か!
昌 そんなにびっくりしないでください(笑)。
江夏 32年、50歳っていうのは、口で言うほど簡単じゃないよ。でも、あなたはプロ入り前の高校時代、甲子園には行ってないんだよね。
昌 行けなかったですね。
江夏 俺も大阪の地区予選で負けたから、同じだな。高校時代には「プロに入りたい」という希望はあった?
昌 夢はありましたけど、実力的に入れるとは思っていませんでしたね。神奈川県ベスト8が最高で、特に評判になったわけでもなく。たまたま「左で背が高くてストライクが入る。面白いから獲ってみよう」というのが中日だったみたいです。
江夏 神奈川に住んでいて、大洋(現・横浜DeNA)や巨人ではなく名古屋の中日に指名されて、どうだった?
昌 僕は巨人ファンだったんですが、おやじが中日ファンで。自分としては大学へ進むつもりだったんですが、中日に指名されて喜ぶおやじの顔を見て、これは入らなきゃしょうがないなと。プロの世界で何年かやってダメなら、大学に入り直して学校の先生になるつもりでした。
江夏 いざプロに入って、周りを見てどう感じた?
昌 自主トレで小松辰雄さんのキャッチボールを見て、「ヤバイところに来たな」と。2月のキャンプでは小松さん、鈴木孝政さん、牛島和彦さん、郭源治(かく・げんじ)さんといったエース級がブルペンで投げるのを見て、「やっぱり来ちゃいけないところに来た」と(笑)。
野手の遊びを見て覚えた“伝家の宝刀”
江夏 スピードが違った?
昌 伸びもスピードも、見たことがないボールでした。しかも、キャッチャーが構えた所にバチバチくる。それで、グラウンドのほうを見ても、名前も知らないような二軍の選手がサク越えをボンボン打っていまして…。
江夏 飛距離、スピード、このへんがアマチュアとは大きく違う。まずはその違いを感じないとダメなんだよな。「プロはすごい」という驚きと、「それに近づこう」という欲が出てこないと。
昌 でも、実は1年目のキャンプが終わった時、コーチに「サイドスローにしろ」と言われたんです。
江夏 ほお~。
昌 18歳で一応、自分としては本格派のつもりが、いきなりサイドスローと言われて。それを断ったら、ちょっと干されてしまいました(苦笑)。だから、へたをすれば僕は1年目でクビになっていたかもしれなかったんです。結局、スカウトに申し訳ないからもう少し見ようという話になったようですが。
江夏 その頃のあなたは真っすぐが主体?
昌 高校では真っすぐとカーブが基本でした。
江夏 あなたの武器であるスクリューボールを覚えたのはプロ5年目、野球留学でアメリカに行った時だよね?
昌 ある時、監督室に呼ばれて、星野仙一監督に「おまえ、今年はアメリカに行っとれ」と。当時は、自分は戦力じゃないんだ、なんて冷たい人なんだろう…と思いました(笑)。
江夏 くっくっく(笑)。
昌 それで、ドジャースの1Aに配属されたんですが、ある日、キャッチボール中の内野手が変化球の投げ合いをしていたんですよ。
江夏 ふざけて?
昌 ふざけてなんですが、すごい変化をしてたんです。当時、現地で面倒を見ていただいていたアイク生原(いくはら)さんという方から「新しい球種を覚えろ」と言われていたので、その内野手に「どう投げてるの?」と聞きました。僕はなかなか新しい変化球を覚えられなかったんですが、野手が投げられるボールなら自分もいけるだろうと(笑)。実際、その握り通りに投げたら、少し曲がったんです。
立浪選手の半分の年俸から一気に飛躍!
江夏 それがスクリューか。どういう変化をした?
昌 シュートが落ちるようなボールですね。早速、試合で使ったら空振りが取れたので自信になって、またどんどん練習しました。
江夏 握りだけじゃなく、腕の振りも変えたわけ?
昌 はい。スクリューは上から投げなきゃいけないので、腕の振りがタテになって、真っすぐのスピードもかなり上がったんですね。まさに一石二鳥という感じでした。
江夏 それを日本に持ち帰って、実際に試してみた時はどうだった?
昌 当てるのがうまい日本のバッターに使えるかどうか、自信はなかったんですが、まず二軍では通用しました。それで、すぐ一軍に上げてもらって、その年の初登板となるリリーフでプロ初勝利がついたんです。結局、その年は5勝したんですが、元々クビ寸前だったことを思えば、奇跡のようでした。
江夏 奇跡というより、日頃から考えていたことが、たまたま他人のキャッチボールを見てハマったんだな。
昌 僕の5年目の年俸は当時、高卒ルーキーだった立浪(和義)の半分しかなかったんですが、この年のオフに追いつきました。そこで自分の気持ちが「一軍に行きたい」から「一軍で勝ちたい、稼ぎたい」に変わったんですね。ですから、僕は6年目から本当の意味でプロ野球選手になったんだと思います。
■この続きは、明日配信予定の後編に掲載!
●山本昌(やまもと・まさ) 本名・山本昌広(やまもとまさひろ)。1965年8月11日生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。日大藤沢高校から84年、ドラフト5位で中日に入団。プロ未勝利のまま迎えた5年目の88年、アメリカへ野球留学。現地で覚えたスクリューボールを武器に1Aベロビーチ・ドジャースで活躍し、シーズン途中で中日に呼び戻されると無傷の5連勝。翌年から主力先発投手として長年活躍する。最多勝3回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、沢村賞1回、ベストナイン2回。50歳、プロ32 年目の2015年限りでついに引退し、今後は野球評論家として活動。通算219勝165敗。
※山本昌が保持する主な最年長記録 出場・登板・先発 →50歳1カ月、奪三振 →49歳25日、勝利→49歳25日、完投・完封→45歳24日、ノーヒットノーラン→41歳1ヵ月、23年連続勝利(工藤公康、三浦大輔と並ぶタイ記録) ●江夏豊(えなつ・ゆたか) 1948年生まれ。阪神、南海、広島、日本ハム、西武で活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などの記録を持つ大投手。日本における抑え投手のパイオニアでもある。通算206勝158敗193セーブ
(構成/高橋安幸、撮影/五十嵐和博)