『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』という刺激的なタイトルーー。さらに帯には、ブラッター前FIFA会長の顔写真に「全員悪人!」の文字が躍る。
これまで俳優・勝新太郎やプロレスラー・長州力の評伝などを発表してきたノンフィクション作家・田崎健太氏の最新刊は、汚職事件に揺れるFIFAと日本の大手広告代理店・電通の関わりを追ったものだ。いかにして電通は巨大サッカービジネスにコミットしてきたのか? そしてFIFAは腐敗体質から脱却できるのか? 各方面で反響を呼んでいる本作の著者を直撃!
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―本の中でも「電通とFIFAのことを調べていると言うと、メディアの人間は示し合わせたように『えっ、大丈夫なの』と顔をしかめた」と書いているように、本書のタイトルは刺激的です。版元である出版社的には問題なかったんですか?
田崎 最初からこのタイトルじゃないとイヤだというのが自分の中にありました。僕は以前、『W杯に群がる男たち』(新潮文庫)という、サッカービジネスのマネー戦争を描いた本を出しているので、今回はテーマを「電通とFIFA」に絞った。となると、タイトルは必然的にこうなりますよね。光文社は、内容がしっかりしていれば問題ないと判断してくれました。
―サッカービジネスの中で、電通にフォーカスしようと思ったのはなぜですか?
田崎 やはり、2002年の日韓W杯ですね。日本と韓国が招致合戦を繰り広げていた1994年頃、その舞台裏を調べようとしても日本国内ではほとんど報道がない。当時はインターネットも普及してなかったので、海外の新聞や雑誌を当たるしかなかった。それらの記事中に「Dentsu」の文字を何度も見つけたのがきっかけです。
―電通はどのようにFIFAに深くコミットしていったのでしょう?
田崎 最大の功労者は、この本の主人公である高橋治之さんでした。高橋さんは1977年、日本におけるペレの引退試合をプロデュースした。当時、日本のサッカー人気はどん底でしたが、ペレの存在は特別でした。彼はこの試合を「ペレ・サヨナラ・ゲーム・イン・ジャパン」と名付け、TV中継やスポンサーをつけ、国立競技場を満員にした。
この成功をきっかけに「第2回ワールドユース」の運営をこの大会のスポンサーであるコカ・コーラ社から任され、これも大成功させた。こうして、高橋さんはFIFAのブラッターやアベランジェ(元会長)との絆を太くしていったんです。
―当時、ひとりの若手社員にすぎなかった高橋さんが、なぜそこまでできたのでしょう?
田崎 これは電通の面白いところなんですが、トップダウンでみんなが動くのではなく、強烈な個性を持った社員が勝手に動いて、突っ走る。それを会社はよしとする。当時はそういう気風があったのだと思います。そして、アベランジェ体制になるとFIFAと電通の関係はさらに大きくなっていきます。82年には、電通はアディダスのオーナー、ホルスト・ダスラーと「ISL」というスポーツマーケティング会社を共同設立し、W杯やオリンピックの放映権管理などのマーケティング利権を握っていきます。
ところがその後、ビジネスの幅を広げようとするISLは、それに反対する高橋さんを遠ざけるようになり、95年に電通は保有株を手放してISLから撤退します。多角経営に失敗したISLは2001年に倒産。以降、FIFAはマーケティングなど一切を内部でやるようになり、動くカネが爆発的に大きくなって今に至っています。2002年W杯から放映権料が高騰したのは、その象徴的な出来事ですね。
今は電通も世界でプレゼンスを示しにくい
―電通がISLから撤退した後、FIFAの腐敗体質は色濃くなっていきます。電通は結果的に汚職に手を染めずに済んだと言えますか?
田崎 元々、裏金工作などはISLに任せて、電通本体は手を汚していませんでしたが、昨年から汚職事件が一気に明るみになった中、電通や日本の関係者が誰も告訴されていないのは、一概によかったとは思えません。もちろん、モラル的にはいいですよ。しかし、これは今の日本が世界のスポーツビジネスの本流から外れていることを物語っているように思います。
かつて電通が深くコミットできたのは、日本経済が安定成長期にあり、FIFAやIOCが日本企業のカネをアテにしていたから。今は誰も日本のカネをアテにしないし、電通もプレゼンスを示しにくい。しかし、それと同時に思うのは、電通という企業の体質も変容したのかなということ。
若い頃の高橋さんのように「俺がやってやる、日本主導でやってやる」という気概を持った強烈な個性が現れない。高橋さんはブラッターに直接コンタクトできた。今はそういう「顔」がいない。電通が大企業の体質になり、そういう社員がいなくなったからコミットできないのかなと思いますね。だから、この本は僕にとって「哀愁」の本でもあるんです。
―FIFAの話に戻すと、そもそも腐敗体質の原因はどこにあるのでしょうか?
田崎 スポーツの協会には元々、腐敗は起きやすい。基本的にはボランティアで成り立っているので個人の持ち出しもある。しかし規模が大きくなってくると、もう自分のカネなのか他人のカネなのかわからなくなってしまうところがあります。FIFAはある時から近代化しなくてはいけなかったのに、それができなかった。個人商店のような気質のまま、動いている金額は上場企業のような感じだったら、当然、腐敗は起きますよね。
もうひとつ、腐敗の温床となっているのは、FIFAの副会長と理事を各大陸連盟が選んでいるということ。ブラッターやアベランジェが悪いと言われているけれど、会長には彼らを罷免する権利も任命する権利もない。中南米の理事がどれだけ汚職していようが、じゃあ彼を外して代わりにこいつを任命する、ということができないんですね。FIFAが各大陸連盟に介入すれば、彼らから激しい反発にあい、会長自身が危なくなるわけだから。このシステムを取っている限り、近代化は難しいでしょう。
―FIFAを再生すべく立ち上がったのが元日本代表監督のジーコでした。2015年6月、会長選に立候補しましたが…。
田崎 ジーコは「サッカーを愛し、サッカーで食べてきた人間がFIFAを変えるべきだ」と言っています。サッカーをやっていない腹の出た老人たちではなく、世界最優秀選手を選出する時のようにFIFA会長もサッカーをやっている人間が投票して決めるべきだと。ジーコが会長になったら改革できるかどうかはわからないけれど、筋は通っていますよね。
FIFAの腐敗体質は「沸点」に達している
―しかし、ジーコを会長に推薦したのはわずか2ヵ国で、立候補の要件を満たすことができなかった。日本サッカー協会からは返事さえもらえなかった。
田崎 これにはジーコも「悲しかった」と言っていました。日本は腰がひけたんでしょう。おそらく、日本サッカー協会の田嶋幸三副会長は、アジアサッカー連盟選出のFIFA理事になったから、アジアの候補ではなくジーコを推薦すれば、アジアの中で信頼を失うんじゃないかと考えたんでしょう。でも、推薦だけジーコにして、投票をアジアの人間にするという手だってあったはず。これも事なかれ主義というか、世界にコミットしない今の日本を象徴していると感じます。
―FIFAは今後、変われると思いますか?
田崎 物事には「やりすぎ」ということがあって、FIFAの腐敗体質は「沸点」に達していると思います。だってW杯をロシア(2018年)とカタール(2022年)で開催するのは、明らかに石油や天然ガスのカネが動くからでしょう。これはやりすぎですよ。
百歩譲って、ロシアは旧東欧圏での初開催という大義名分があるけど、カタールはジーコが「観客はふたりしかいない」と皮肉を言うように、サッカー不毛の地。しかも暑くて夏はできないから冬にしようとか言っている。各国の国内リーグの日程も変えなきゃいけない。なんでそこまでしてやらなきゃいけないのか…。「沸点」に達したから、多少はマトモになるんじゃないか…なってほしいと思います。とりあえず、カタールはやめたほうがいいですね(笑)。
●田崎健太 1968年生まれ、京都市出身。『週刊ポスト』編集部などを経てノンフィクション作家に。主な著書に『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)『真説・長州力 1951‐2015』(集英社インターナショナル)などがある
●『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』 光文社新書/定価760円+税
(取材・文・撮影/週プレNEWS編集部)