ドラフト6位での広島カープ入団から18年、泥くさいスラッガーがついに到達した大記録ーープロ野球史上47人目の通算2000本安打。
人一倍の歓声と、時には罵声(ばせい)も浴びてきた新井貴浩氏が、かねて親交のある江夏豊氏に「ファン」と「恩人」への感謝の気持ちを打ち明けた!
■とにかく勝ち試合で達成したかった
江夏 まず、通算2000本安打達成、本当におめでとう。
新井 ありがとうございます。
江夏 現役のあなたにとってはもちろん「通過点」だろうだけど、投手の200勝、打者の2000本はひとつの大きな区切りだよ。この記録を率直にどう思う?
新井 まだ客観的にしか見られないですね。偉大な記録で、過去に達成されたのはそうそうたる方々ですが、自分がその中に入っているというのがピンとこないんです。自分自身でも「あの俺がなあ…」という感じで(笑)。
江夏 4月26日のヤクルト戦。レフト線を破る二塁打を打って、ベース上に立った瞬間ーーどうだった?
新井 (敵地の)神宮球場だったんですが、スタンドでたくさんのファンの方が喜んでいるのが視界に入って、それがすごく嬉しかったですね。
江夏 当日のあなたのコメントも、自分のことより「チームの勝利」ばっかりだったもんな。反対にスタンド、あるいはチームの後輩たちは「新井さんの2000本だ!」という感じだった。
新井 とにかく勝ち試合で達成したかったので、後輩たちには試合前から「頼むぞ!」と言って回ってました(笑)。
江夏 みんなであなたの写真が入ったTシャツを着ていたり、一丸となって記録達成を後押しする雰囲気もいいもんだなと思っていたよ。
新井 そういう計らいも含め、球団の方、スタッフ、チームメイト、周りの人たちに本当にお世話になりました。
ホームランを狙うとロクなことがない
江夏 もう一度、カープに帰ってきてよかったよな?
新井 よかったと思います。
江夏 1998年秋のドラフトでカープに指名されたとき、将来は2000本を打てると思っていた?
新井 いえ、まったく…。まったく思わなかったです。
江夏 高校・大学時代は、ヒットを打つ技術と遠くへ飛ばす技術、どっちの向上を目指していたの?
新井 僕はアマ時代の実績がほぼないので、プロに入ってから鍛えてもらいました。新人の頃は(当時の)ヘッドコーチの大下剛史(つよし)さんから、「とにかく体が引きちぎれるぐらい振って遠くに飛ばせ」と、ずっと言われてました。
江夏 すると、2000本安打という数字はあまり眼中になかったわけか。その割には、ホームラン少ないよな(笑)。
新井 少ないですね(笑)。
江夏 今は4番だろ? 今年はここまで何本?
新井 (小声になって)2本です…(*5月17日現在)。
江夏 あまり自慢できる数字じゃないな(笑)。個人的には、「ガーン!」とレフトスタンドに飛ばすような打球をもっと見たいんだけど。
新井 技術がないのか、自分の場合、ホームランを狙うととにかく力み上げてしまって、ロクなことがないんですよ。
江夏 過去には年間43本打ったこともあったよね(2005年)。その頃は狙って打っていたんじゃないの?
新井 狙ったホームランはほとんどないんです。思い切り打った結果、スタンドに入っていたという感じで。打者って、1年間だけポーンと打てるようになる時期があるのかな、と思うんですけども。
◆このインタビューの続きは『週刊プレイボーイ』23号(5月23日発売)「江夏豊のアウトロー野球論 SPECIAL対談 新井貴浩(広島東洋カープ)」でお読みいただけます!
●江夏豊(ENATSU YUTAKA) 1948年生まれ。阪神、南海(現ソフトバンク)、広島、日本ハム、西武で活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などの記録を持つ伝説の大投手。日本における抑え投手のパイオニアでもある。通算成績は206勝158敗193セーブ
●新井貴浩(ARAI TAKAHIRO) 1977年生まれ、広島県広島市出身。身長189cm、体重96kg。右投げ右打ち。県立広島工業高校、駒澤大学を経て98年ドラフト6位で広島カープに入団。アマチュア時代は無名だったが、持ち前のパワーで1年目から一軍の試合に出場し、3年目にレギュラー奪取。2002年オフに金本が阪神へ移籍した後は4番に座る。07年オフにFA宣言し、阪神へ移籍。再び金本と共に中軸を組む。14年オフ、出場機会を求めて自ら阪神球団に自由契約を申し入れ、再び広島へ移籍。本塁打王、打点王各1回
(構成/高橋安幸 撮影/五十嵐和博)