無邪気にボールを追う貧民街・パリオ出身の野球少年。後ろの壁画にはベネズエラ・オイルマネーの象徴、チャベス前大統領が

オイルマネー急落を引き金に、今や国家破綻の危機にある南米の石油大国、ベネズエラ。世界最悪といわれる犯罪率の高さや急激なハイパーインフレ、さらには物資&電力不足で国民の生活は厳しくなるばかり。

それによって、メジャーへの選手供給源として隆盛を誇った野球大国をも没落させつつあることを前回記事では伝えた。(参照『メジャーの供給大国ベネズエラでMLBアカデミーが次々に撤退していた!』

今回は、その現地へ飛び、それでも野球という最後の希望に賭ける若者たちをリポートする。

■名選手育成の秘訣は「力」よりも「知性」

国内第3の都市バレンシアから車で東に30分走ると、トロンコネロという村に着く。人影も少ないこの村に、大手ビール会社が4面のグラウンドを持つ巨大野球施設を造り、デトロイト・タイガースとフィラデルフィア・フィリーズに半分ずつ貸し出している。

「タイガースの上層部はベネズエラに優秀な才能のある選手が多くいるため、国の状況が悪化しているにもかかわらず、アカデミーを続けているんだ」

そう語るのは、タイガースアカデミーのラファエル・ヒル監督。同アカデミーは12年のワールドシリーズに出場したA・ガルシア(ホワイトソックス)など、これまで10人のメジャー選手を輩出。現在は45人の選手が所属している。

去年までは国内で練習、試合をしてメジャー昇格を目指してきたが、今季は現地でサマーリーグが行なわれないため、4月からふた手に分かれてアメリカ、ドミニカへの武者修行を余儀なくされている。

だが、朝8時半に筋トレと朝食を終えた選手たちがキャッチボールを始めると、タイガースがベネズエラのアカデミーにこだわる理由が見えてきた。恵まれた体を筋骨隆々に鍛え上げた若者たちが、美しいフォームから放つ〝糸を引くようなボールの軌道〟に思わず目を奪われた。

ベネズエラ人コーチが々、フォームについて細かく指導。選手たちは吸収力が高く、美しいフォームで剛球を投じていく

以前、ドミニカのアカデミーを訪れた際には、同年代の選手たちが力任せに投げていたのが印象的だったが、ベネズエラの選手たちは「力」だけでなく「技」をも持ち合わせている印象だ。

ノックでは、華麗なステップやグラブさばきに目を引かれた。基本技術と身体能力の高さが伝わってくる。実際、ベネズエラは「名ショート輩出国」としても知られており、その代表格がメジャーでゴールドグラブ賞を11回受賞したO・ビスケルだ。

日本人選手では、おそらく不可能なフォームでのスローイングも高い身体能力でカバー

現地で名選手育成の秘訣(ひけつ)を聞くと、「知性」という答えが多く聞かれた。タイガースアカデミーのヒル監督はこう話す。

「ドミニカには読み書きのできない選手もいるが、ベネズエラはいい教育システムがあるため、頭がいい選手が多い。いち早く理解し、すぐ行動に移せるからプレーの精度も上がっていくんだ」

「天性のバネやパワー」といった身体的に似た特徴を持つドミニカでは貧困で学校に通えない少年が多いのに対し、社会主義国のベネズエラでは誰もが教育を受けられるのが強みだ。これが野球にも好循環を与えている。

「プロ契約するためのショーケース」

現DeNAのラミレス監督はその現役時代、パワーや技術に頭脳を組み合わせてヒットを重ねた選手として知られる。01年の来日直後、日本球界の配球はメジャーと違って投手主導ではなく、捕手によるところが大きいと分析。そこで捕手ごとの対策も打ちたて、日本の外国人選手としては史上初の2千本安打を達成している。

知性こそが、これまでベネズエラを野球大国たらしめた最大の要因なのである。

近年、メジャーリーグのアカデミーが続々、閉鎖に追い込まれたとはいえ、当地にはまだ素質に恵まれた〝メジャー予備軍〟がゴロゴロいる。

バレンシアの地元アカデミー「ロス・ピノス」を訪れると、朝7時半から昼まで13~17歳の少年約20人が基礎練習を繰り返していた。ホームベース付近で捕手4人が上げる砂埃(すなぼこり)、頬から落ちる汗が練習の厳しさを何より物語る。

“エア送球練習"を繰り返す捕手4人。地味なメニューを辛抱強く繰り返し、ベネズエラの選手は基礎力を高めていく

「メジャーが欲しいのは基本のできた選手なんだ。だから、それを教え込んでいる。ここはプロ契約するためのショーケースさ」

そう語るのは監督のエドガー・ペレスだ。3年前に開設されたこのアカデミーでは3人のスカウトが国中から才能のある人材を発掘し、プロ経験のあるコーチが過去11人をメジャー球団との契約に導いてきた。

今年、レッズに入団したアレックス・オチョアの契約金は1万ドル。その3割がアカデミーに入り、選手の道具代や食事代、寮費、指導者の給料に充(あ)てられる。メジャー入りする選手が減ると、こうした収入が減少し、アカデミーの運営に支障が出るのだ。

とはいえ、国家の不遇を嘆く選手はいない。彼らが目を向けるのは未来への希望だ。

「オチョアが契約して刺激を受けた。僕もプロになり、家を買って家族と住みたい」

15歳の左腕投手、ダニエル・ビトロアゴは目を輝かせる。彼らが必死に練習するのは、自分たちの“賞味期限”をわかっているからでもある。このアカデミーに在籍できるのは18歳未満のみ。その理由は、メジャー球団が欲しいのが17歳までの選手だからだ。

国家もそんな事情を知ってか、地元の学校の授業は午後のみ。アカデミーの寮で暮らす地方出身者に至っては、学校に行くのは土曜だけ。その生活は野球中心に回っている。

「確かにコーチの指導は厳しいけど、僕らにとっては間違いなくいいことだよ」

レッズと契約し、今年4月からドミニカに渡ったオチョアが大人びた口調で話した。ニューヨーク・ヤンキースとの入団に合意した17歳、ビクトル・ヘルナンデスも出身アカデミーへの感謝を口にする。

「守備の時にどうすれば効率的にボールを返球できるかなど、体の使い方に始まり、全部、基本から教えてもらった。このアカデミーのおかげでプロになることができたよ」

MLBの注目はドミニカにシフト?

ベネズエラの野球選手は、ほとんどが貧困層出身。彼らは子供の頃から野球に夢を見て、現実を変えるために努力を重ねてきたのだ。だが、前述したようにアカデミーへの入り口は狭まっており、MLB行きへの道は年々険しくなっている。

メジャーの各球団は世界中から資質の高い10代の選手をかき集めているが、マイナーリーグの最下層からメジャーに昇格できる選手はわずか2%といわれる。だが裏を返せば、球団は2%の選手が最高峰の舞台で活躍できればペイできるシステムともいえるのだ。それを考えると、ベネズエラの野球界は近い将来、大きな打撃を受けると現地『ウルティマス・ノティシアス』紙でフォトジャーナリストとして働くネルソン・プリド氏は憂慮する。

「ベネズエラで才能を探していたメジャー球団は近年、その役割をドミニカにより強く求めるようになった。数年後、アメリカの球団と契約できるベネズエラ人選手はかなり少なくなるかもしれない」

価値のあるものを持っていても、外貨を獲得できなければ国は行き詰まる。ベネズエラのこうした構造は、野球も社会も同じだ。同国は輸出収入の9割以上を石油に依存した結果、オイルマネーの下落で国家破綻の危機にある。

国の経済状況は最悪ながら、現マドゥロ大統領を支持する国民は依然、3割存在する。写真は大統領支持派の集会

スポーツは社会を映す鏡だ。世の中の安定があって初めて繁栄する。だからこそ、前出のプリド氏は一刻も早い国の正常化を祈っている。

「多くのベネズエラ人にとって、野球は大金を得るための数少ない手段だ。同時に、国の誇りでもある。政治がまともになり、少しでも早く少年が野球にさらなる情熱を捧げられるようになってほしい」

現在、ベネズエラを取り巻く状況から、将来は決して楽観視できない。4月末には電力不足による節電対策で公務員が週休5日になったほど、国の機能不全が進んでいる。

今回、10日間ほどベネズエラに滞在したが、いつ凶悪犯罪に巻き込まれるかと常に緊張状態を強いられた。そんな中、心を開放できる数少ない場所が野球場だった。

街中の困窮ぶりは国の恥部とされ、写真撮影は警察や軍隊の目をくぐり抜けて行なわなければならなかった。その一方、国民の誇りである野球には自由にカメラを向けることができた。何より、少年も大人も無邪気に目を輝かせていた。

国家破綻に一歩ずつ迫るベネズエラで野球は最後の希望だ。人々がバットとボールに夢をまだ託せるうちに、この国が正常化に少しでも近づくことを願ってやまない。

バリオに暮らす7歳の少年はいつも人懐っこい笑顔を浮かべる。夢はプロ野球選手

(取材・文/中島大輔 写真/龍フェルケル)

■『週刊プレイボーイ』22号(5月16日発売)「国家破綻寸前でどーなる!?野球大国ベネズエラ」より