あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。
前回、東北楽天ゴールデンイーグルスの前監督・デーブ大久保さんからご紹介いただいた第24回のゲストは元プロ野球選手・参議院議員の江本孟紀さん。
プロ野球の解説を長年務め、政界にも進出。その軽妙な毒舌トークと甘いマスクで幅広い人気を得た“Mr.ダンディ”も来年で御年70歳の大台に! 見た目の若さと同様、変わらぬ壮快さで発言もズバズバ、前回はあの阪神電撃退団から引退後の経緯まで裏話を伺ったがーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―それで思いもよらず深刻なことに…。でも、元々、ご出身は関西でもなく高知ですよね。そっちの気質も濃いんですか?
江本 あのね、高知、知ってます? 四国4県あってね、100万円あったとしたら、まず順番にどう使うかという話があるんです。徳島の人は預金する、香川の人は株とか投資する。愛媛は人に貸して金利で稼ぐ…だったかな。で、高知は全部酒飲んで使うと(笑)。その違いがあるんですよ。だから、高知県人は相容(あいい)れないですよ、他の3県とも関西も。
―ははは、儲(もう)かってまっかの世界じゃないですしね。そこには小狡(こずる)さもなさそうですけど…。
江本 ないけど、ぬけぬけっとしてる所はあるわけですよ。金もないのにまぁ酒飲めとか。その、自分を通すところではね。
―ちなみに子供の頃は結構、各地を転々とされていたとか。実は僕も父親が銀行員で、転校が多くて。しかもひとりっ子だったもので、移った先で周りを見て、受け入れてもらうために雰囲気読むとか身に付いた感じなんですけど。
江本 僕は全然正反対ですね。まず、よそ行ったら常に身構えてるんですよ。要するに戦闘態勢ね。必ず行った先で番長みたいなやつと喧嘩しますから。まず。そこから入ってくんです。なんか常にね、みんな敵のように見えるんですよね(笑)。
―完全に『男一匹ガキ大将』とか漫画の世界じゃないですか(笑)。でも、それこそガキの頃から体もデカくて腕っぷしにも自信があって?
江本 デカいからね、ちょっかい出してくるやつもいるんですよ、転校すると。だから必ず戦闘態勢でね、いつも身構えてないと。
―昭和ですねー(苦笑)。で、仕切ってる不良どもの中で、まず番長だけ狙ってやっちゃえば、みたいな。
江本 そうね。そもそも、僕は徒党組むのあんまり好きじゃないんです。だから、どこ行ってもひとりみたいな。ひとりっ子だったしね。
―江本さんもひとりっ子だったんですか! 全然見えないというか、それでこんな違いが…。
江本 そうなんです。そこで話飛ぶけどね…野球辞めて35、6の時にオートバイの免許取ったんです、中型なんですけど。で、しばらく乗ってたんだけど、間があいてね。アメリカあたりに行くとハーレー乗りが多いし、いつか俺も…と思ってたけど。
48才の知人がしょっちゅう乗ってるのを見て、それも負けん気なんでしょうね、年が20も離れてるし、全然性格違うんだけど、カッコいいなぁみたいな。で、俺も乗りたいってずっと言い続けているうちに一昨年かな、大型の免許取って、去年ハーレー買って時々乗ってるんですよ。
「一般国民が国会議員を見抜く目はないです」
―それ、デーブさんに伺いました! 「ハマっちゃって乗りまくってるらしいです」って。
江本 いや、で、それもね、徒党組むのは嫌だからって、せいぜい2、3人がいいんだよね。みんなばーっと大勢で行くじゃないですか。あれは苦手なんですよ、やっぱり。
―でも一応、野球も団体競技ですよね(苦笑)。ピッチャーだからできたんでしょうか。
江本 まぁピッチャーは個人競技ですから、完全な(笑)。
―政治家をやられて、政党も団体ではありますが(笑)。
江本 だから嫌でしたね…。最後、民主党に合流してからは特に嫌だった。もうとにかく、右から左までみんな意見が違って、あそこは国家観がないからね。基本的に国会議員っていうのは個別の政策の違いがあっても、国家観に共通意識をもって最後まとまるっていうのが政党ですよ。ところがどっかの党はそうじゃないから。
―自民党も昔はもっと派閥ごとにそれぞれ主義、主張が違って対立してましたが…。
江本 いや、それでも国家観は一緒ですよ。経済とかの政策が違うだけで。派閥によって、いろんな派(グループ)があって争うわけですけど、国家観は一緒じゃないとダメなんですよ。
違う人たちが今、なんか野党で集まって言ってるけどね。結局、票のためっていうか、当選するかしないかで烏合(うごう)の衆が寄り合ってるだけで。…まぁでも、本当の政策をやってる人たちを一般国民が見抜く目はないです。僕は国会議員やってわかったけど、ほとんど見る目はありません。ただマスコミの空気に流されるだけでね。
―92年の参議院初当選から議員生活もだいぶ長いことやられましたけど。最終的にはそういうことに嫌気がさして?
江本 僕も一生懸命やったつもりではあるけどダメでしたね。
―そもそも徒党を組むのが苦手なところで、最初に「出馬しませんか」というのがあって、それはまた違う世界に興味を覚えたとか?
江本 そもそも出馬する気はなかったですよ。結局やることになったきっかけは(アントニオ)猪木さんの仲間で共通の知人から紹介されて半ば強引にね。…で、政治そのものにはすごい興味があったんですよ。それは野球選手の頃からというか、元を遡(さかの)ぼれば小学生くらいからね。思想的にもちょっと自分のこういう方向だなっていうのもガキの頃からあったんで。
選挙の応援なんかも随分いきましたよ。政治家になる前、野球選手の頃もそうだし、辞めてからもいろんな人のとこにね。だから政治そのものには興味があった。だけど自分が政治家になろうという気は全くなかったんです。それこそ人気投票だけで、なれるもんじゃないですし…。
そこをたまたま猪木さんに誘われて、結局OKしたのも公示の前の日ですから。そりゃ無茶苦茶な話で。だから選挙カーも間に合わず、歩いてチラシだけ持ってハチ公前行ったんですから。
「世間に貢献したねって自分で思うしかない」
―ではそれも落ちたら落ちたで「まぁしゃあない」くらいな開き直りで?
江本 いつでも辞める心構えはできてましたね。ただ、幸いなことにその場を与えられて、政治の中に入ってしまって。まぁこれはラッキーだったですよ、自分のためには。それで国会議員やって、何を一番感じたかといえば、とにかく世間とのギャップというかね、国会議員のやってる仕事はほとんど理解されないんだなと。これは今もそう、国会議員のことを知るのなんてスキャンダルの時だけでしょ。
―確かに見えづらいですし、報われないというか。理想があっても結実しにくい世界かと。
江本 まぁそれでも、密(ひそ)かに自分でもこれ貢献したなってのは、一番はサッカーくじですよね。あれ約5年かかったんですよ。朝から晩まで反対運動に責め立てられまくって、矢面(やおもて)に立ってね。推進してたんで、矛先(ほこさき)が全部こっちにきちゃって。
最終的に議員立法で成立しましたけど、それも民主党は自主投票でしたから。党としての方針がなかったんですよ。その後、総理大臣やった人たちもみんな反対というか白票でね、棄権して入れなかった。最後は自民党から手続きを出していって、結局、超党派で作ったんですけど。
その結果、どうなったかというとね、今、約800億から1千億近い売り上げがあるわけですけど、それぞれのスポーツ団体が申請すればね、年間100万~200万くらいの予算の団体にも補助金出してくれるんですよ。それで今、どれだけ末端のスポーツにまで使われているか。
―ナショナルトレセンもそうですし、強化のためのインフラや環境作りにも活(い)かされてますよね。
江本 で、あの当時は12球団のオーナーたちからもボロくそに言われましたから。あいつは野球界のくせに、なんでサッカーを応援してるのかとかね。少年野球にしても、いろんなスポーツ振興に税金でないもので貢献するもんだからと説明してもわかんないんですよ。
そこに関わってこれだけやって、もちろんひとりでできるもんじゃないですけど、表彰のひとつもされるわけじゃないからね(笑)。国会議員なんてものは、これはもう、俺も世間に見えないところで貢献したねって自分で思うしかないんです。
だから世間もね、政治家に対して日頃の身の周りの不平不満の捌(は)け口にするとかでは政治はよくなりませんよ。もっと中身を理解しないと!
―我々の与(あずか)り知らぬ世界というか、怖い裏も見てこられて。関わらなきゃよかったという思いも?
江本 いや、それはないです。見なきゃよかったとかは。…でもやっぱり選挙っていうと、妙に怖かったですよ。いつもそう。だって、橋下(徹)さんに13人もSPが付くくらいだからね(苦笑)。
「大阪に貢献したらどうですかって殺し文句で…」
―それはストレートな怖さというか。それでも04年の府知事選の時は、逆境で出馬されて…。
江本 いや、あれはもう、参議院議員の3期目の選挙が始まるちょっと前だったんですよ。で、民主党でやるのもイヤだったし、こんなダメなところでやりがいもないし…どうしたものかと考えていたんでね。
そこで、民主党の府会議員の中に、純粋に政治に対して憤りを感じてた人がひとりいたんですよ。なぜかというと大阪市長選挙がその前にあって、わずか33%しか投票率がなかったと。7割の人が関心ないということでしょ。これで政治なんかよくなるわけがないって言ってね。
その彼が僕のとこ来て「どうですか」って言うもんだから、いやいや、あんたひとりが言ったって、こんなものどうにもならんし、府知事なんて考えたこともないって。そうこうしてたら自民党の若手の府会議員たちもね、このままだと大阪はますます沈下していく、選挙を自公民でやったんじゃ、全国から笑い者になるから、なんとかこれ打破したいと。
その議員はみんな二世でね、中心にいたのが松井一郎さんですよ。今の大阪府知事です。
―そこで意気に感じて、今度は勢いで「おまえらがアホやからやったるわ!」とばかりに?
江本 そこに風穴あけないと、とか言われてね。ちらっと聞いたら、江本さんも議員辞めるって話だし、「あなたも大阪で育ったんですから、最後に貢献したらどうですか」って殺し文句ですよ。プロ野球で南海、阪神に約10年いたし、あんたの存在は大阪のおかげなんだからと。
―それ言われたら、負けん気も含めて、乗せられてしまったワケですか…。
江本 妙なものがメラメラしてきたのもあったし。まあ参議院議員を辞めるきっかけにはいいかなって思ってね。大阪のために少しでも役に立つならと、それで決断しましたね。
―ただフェードアウトしていくより、ど真ん中で勝負して、あかんかったらしゃあないと。しかも、大阪に打って出るところで、打算で徒党組むのとも違うでしょうし。
江本 竹槍一本でね。討ち死にするんだったら、いい場面だなと思ってね(笑)。
「自分じゃ単なる、いいカッコしいです」
―やっぱり、なんだかんだ言って江本さんのダンディズムですね。
江本 うーん、カッコよく、他人がそう言ってくれるといいんだけどね。自分じゃ単なる、いいカッコしいですから。
―そのいいカッコしいと自分を落とせるところで、またモテるんでしょうが(笑)。
江本 いや、モテないです、モテないですよ。まぁでもいろんなことやって、振り返ればね、野球に関しては本当によくやれたと思いますよ。解説も今年で35年ですか…続けてこれて。時々、ボランティアみたいなのをやりながらね。京都にクラブチーム(京都ファイアーバーズ)作ったり、タイのナショナルチームの総監督やったり、今もまたこれ…(四国アイランドリーグ、高知ファイティングドッグスの名刺を渡す)。
―昨年末から独立リーグのチームの総監督に就任されたんですよね。
江本 一回、何かの折に来てください。まぁ僕もしょっちゅう行けないんで、やれるところだけ手伝ってね。駒田(徳弘)を監督に引っ張ってきて、体制だけ整えて。できる範囲でやってますけど。
まあそんなことで、これから先も特になんかしたいかっていうのは、そんなにないんですよ。宝くじでも当たれば、早く辞めて四国辺りをぶらっと回りたいけどね。
―ハーレーでですかね(笑)。ちなみに、どこかお体で悪いところも特になしですか? 政治家時代もそれだけストレスフルというか、シビアな所でやってこられて。
江本 これが、ないんですよ。
―なんなんですか、その若々しさは(笑)。だって来年70歳ですよね?
江本 そこよ、そこ。問題は(笑)。そのハーレー乗ってる48歳のヤツもね、いつも言うんですよ。こんな人はまずいないって。
―それはみんな言いますよ(笑)。
●この続きは次週、6月12日(日)12時に配信予定!
●江本孟紀 1947年7月22日、高知県生まれ。高知商業、法政大、熊谷組を経て東映フライヤーズにドラフト外で入団。その後、南海ホークス、阪神タイガースで活躍。プロ通算成績(投手)113勝126敗19セーブ。引退後、出版した『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(KKベストセラーズ)がベストセラーに。タレント、役者としても人気となり、92年からは参議院議員を2期務める。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。四国アイランドリーグplus「高知ファイティングドッグス球団」総監督も務める。
(撮影/塔下智士)