1976年、アリはアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦を行なった。猪木の格闘技団体IGFにはアリから贈呈されたガウンが保管されている

GOAT、すなわち「グレーテスト・オブ・オール・タイム」(史上最も偉大な男)‐‐そう呼ばれた元ボクシングヘビー級世界王者モハメド・アリが6月3日、74歳でこの世を去った。

訃報の翌日、ホワイトハウスはオバマ大統領夫妻による追悼文をホームページに掲載。間もなく大統領自身が「今週、我々は偶像を失った。アリは私の個人的ヒーローだ」と語る動画メッセージもアップし「私はアリを見て育ち、彼が成し遂げたことによって私自身のアイデンティティを形成した。大統領になったおかげで彼と直接知り合えたのは、私の人生における素晴らしい幸運のひとつだ」とまで語った。

アメリカ大統領にそこまで言わせてしまうアリの偉大さとは? アメリカに長年住み、全米ボクシング記者協会の最優秀写真賞を4度も受賞した“世界一のボクシングカメラマン”福田直樹氏は、その偉業をこう語る。

「まずヘビー級ボクサーとして、アリは革命的でした。ヘビー級に軽量級のようなスピードとテクニック、コンビネーションを持ち込み、フットワークを使うアウトボクシングをした。あのスタイルは、後のボクサーたちにも大きな影響を与えました。

キャラクターも実に際立っていて、予告KOなどいろいろなことをやりました。昨年引退したフロイド・メイウェザーなんかがやっていたトラッシュ・トーク(毒舌)も、明らかにアリの影響を受けていますよね」

福田氏は、アリが亡くなった翌日に行なわれたボクシングの試合会場で感動的な光景を目にしたという。

「ロサンゼルス郊外でフランシスコ・バルガスvsオーランド・サリドの試合があったのですが、そのイベントでは異例の追悼セレモニーが行なわれました。場内が暗転して7千人の観客全員が携帯電話のライトを点け、キャンドルのようにかざしてアリの冥福を祈ったのです。あんなことは滅多にないですね。アリという存在の大きさを改めて感じました」

アメリカ社会におけるアリの存在感について、福田氏はこう続ける。

「ボクサーとして特別な存在だっただけでなく、社会的・政治的にもアリほど大きな影響を与えたアスリートはいないでしょうし、おそらく今後出ることもないでしょう。アリが生きた時代は、世界が激動していた時代。公民権運動(黒人に対する差別撤廃運動)の闘士、キング牧師やマルコムXと同時代でしたからね」

そう、アリが若き日を送った1960年代はまさに激動の時代だった。アメリカは泥沼のベトナム戦争に足を踏みいれ、国内では黒人差別に対する戦いが広がりを見せていた。

アリは第二次世界大戦中の1942年に、ケンタッキー州ルイヴィルで看板描きの息子「カシアス・マーセラス・クレイJr.」として生まれた。後に偉大なるチャンピオンとなる男も、幼少期には人種差別を経験している。ある時、母親に連れられて買い物に行った彼は、喉が渇き、一軒の店で水をもらおうとした。だが、「黒人に飲ませる水はない」と拒否されてしまう。この事件は幼い彼の心に大きな悲しみと怒りを残したという。

12歳の時には、買ってもらったばかりの自転車を盗まれ、激怒したカシアスは警察に行き「盗んだヤツを見つけて叩きのめしたい」と訴えた。「じゃあ、その前に戦い方を覚えないとな」と警官に諭(さと)され、ボクシングコーチもしていた彼からボクシングを習い始めた。

「彼は世界にショックを与えた。きっと私にもできる、と」

誰より練習熱心だったカシアスは、やがてケンタッキー州の大会で6度優勝し、全米アマ王者になり、60年のローマ五輪ではライトヘビー級金メダルを獲得した。同年10月にプロデビューすると破竹の19連勝をあげ、64年2月、ついにヘビー級世界王者ソニー・リストンとのタイトル戦にこぎつけた。

当時、リストンは35勝1敗。前王者フロイド・パターソンを2戦連続で1ラウンドKOし“史上最強のヘビー級ボクサー”と呼ばれていた。スポーツ記者46人中43人がリストン勝利を予想する中、試合前にインタビューを受けたカシアスは、自分の戦い方を「蝶のように舞い、蜂のように刺す! アアア~! 戦え、若者よ、戦え、アアア~!」(Float like a butterfly, sting like a bee! Ahhh!  Rumble, young man, rumble! Ahhh!)と歌うように韻(いん)を踏んで語り、記者たちを驚かせ、「8ラウンドでKOして見せる」と豪語した。

そしてリングでは、その言葉通り軽やかなフットワークで舞い、素早いパンチの連打でリストンを刺し、6ラウンドが終わった時点で王者を戦闘不能に陥いらせ、TKOで世界王座を奪取したのだ。

カシアスは王座奪取後、イスラム教徒に改宗したことを発表し、「モハメド・アリ」を名乗った。「カシアス・クレイは奴隷の名前だ」と言い、「モハメド・アリ」という彼の新しい名前を受け入れようとしない白人社会に対し、こう言い放った。

「俺はアメリカだ。あんたらが認めようとしない部分だ。だが、俺に慣れるがいい。黒人で、自信を持ち、うぬぼれている俺にな。俺の名は俺のもので、あんたらのものじゃない。俺の宗教は、あんたらのものじゃない。俺の目標は俺自身のものだ。俺に慣れるがいいぜ」

アメリカ初の黒人大統領となったオバマは、前述の動画メッセージで約9分間にわたりアリへの熱い思いを語っている。この追悼スピーチの発言をいくつか紹介しよう。

「アリはアフリカ系アメリカ人のために戦い、その心を自由にし、あるがままの自分に自信を持てるようにしてくれた。そして私たちが美しい存在ですらあり得るし、同時にタフでもあり得ると教えてくれたんだ」

支配層である白人たちによって、“醜い劣等人種”と見られていた黒人たちは、そうした偏見に基づいた見方を刷り込まれ、生まれた時から自信が持てないようにさせられていた。それをアリが覆(くつがえ)し、価値観を逆転させ、「ブラック・イズ・ベスト」「ブラック・イズ・ビューティフル」という革命的なメッセージを社会に教えたのだ。

オバマは上院選に出馬した際、アリがKOしたリストンを見下ろして立っている写真のポスターを選挙事務所の机の後ろに掛けていたという。

「アリのリストン戦同様、私もその選挙に絶対負けると言われていた。誰も私が勝つと予想しなかった。しかし、選挙戦で苦労してオフィスに戻ってくるたびにチャンプの写真を見て自分に言い聞かせた。彼は世界にショックを与えた。きっと私にもできる、と」

そして上院選に勝った後、オバマは同じ写真を議員事務所に飾った。

「私はこの写真をいつも大切にしてきた。『不可能なんてない』ということを思い出させてくれるからだ。自分自身を信じて仕事をすれば、どんなことだって起こり得る」

そう語る大統領はアリ本人から贈られた写真集『GOAT』を見せ、「この写真や、他にも素晴らしい写真がたくさん載っているこの本が私は大好きなんだ。チャンプが個人的に私にくれたものだし、何よりの宝だよ」と子供のように自慢した。

「ボコボコにされても、また立ち上がらなければ」

その写真集とアリから贈られたサイン入りグローブが大統領執務室の裏の非公式のダイニングルームに飾られているという。

「『バラクに、モハメド・アリより』とチャンプがサインしてくれたんだ。私は大統領になってからずっと、このグローブをここに置いている。私はここワシントンで、とことん戦わなくてはならないからだ。ボコボコにされることもある。それでもまた立ち上がらなければならない。そんな時、このグローブを見ると励みになるんだ」

67年、アリはベトナム戦争への徴兵拒否によりタイトルとライセンスを剥奪され、絶頂期に3年半ものブランクを強(し)いられた。復帰後の74年10月、当時、無敗街道を突き進んでいたジョージ・フォアマンを破り王者に返り咲いた“キンシャサの奇跡”はあまりにも有名だ。

81年の引退後も、パレスチナ難民キャンプやバングラデシュを訪問したり、ネイティヴ・アメリカンの権利保護を訴える行進に参加するなど、平和や友愛のための様々な活動を続けた。90年には湾岸戦争直前のイラクを訪れ、フセイン大統領と交渉しアメリカ人の人質解放に成功した。

96年のアトランタ五輪開会式では聖火台に着火した。パーキンソン病に苦しめられていたアリの動きは緩慢で、舌も滑らかには回らなくなっており、しばらく彼の姿を見ていなかったファンはショックを受けた。しかし、それでもアリは様々な平和活動に積極的に参加し、2002年には国連平和大使としてアフガニスタンを訪問した。

6月10日、アリの故郷ルイヴィルではスーパースターの亡骸を運ぶリムジンを10万人以上の人が沿道で見送った。彼らは試合の時のように「ア~リ! ア~リ!」と叫び、フロントガラスに花束を投げ、道を花びらで埋め尽くした。追悼セレモニーではビル・クリントン元大統領が弔辞を述べ、伝記映画でアリを演じたウィル・スミスや、マイク・タイソン、レノックス・ルイス、シュガー・レイ・レナード、デヴィッド・ベッカム、アーノルド・シュワルツェネッガーら大勢の著名人も出席し、“英雄”との別れを惜しんだ。

オバマ大統領は追悼セレモニーに参加できなかったが、動画メッセージをこう結んでいる。

「ひとりの人がこれほど世界中のイマジネーションを掴むのは非常にまれなことだ。しかもアリはオープンで、ユーモラスで、寛大で、勇敢であることによって、そうしたのだ。彼は真に偉大だ。私の中で彼は常にグレーテストだ。神の祝福を」

そして娘のラシェダ・アリは、最愛の父へのメッセージをこう語った。

「私たちにとって、あなたは最高のパパでした。あなたを家に連れていくのが神の意志です。あなたは生きている間、世界に衝撃を与えました。そして今、死によって衝撃を与えています。また会う日まで。蝶よ、お飛びなさい」

(取材・文/稲垣 收)

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