5月29日、東京競馬場で行なわれた日本ダービーで、三冠馬ディープインパクトの子供たち(産駒[さんく])が皐月賞に続いて1着から3着を独占した。一世を風靡(ふうび)した名馬は現役を引退して、父となってからも活躍を続けている。
時を同じくして昨年の日本の出生率が発表され、2年ぶりにわずかな上昇を記録した。
そこで俄然、注目されるのが「種牡馬[しゅぼば](サイアー)」という存在だ。血を後代につなぐこの神秘的なプロセスにおいて、常に頑張っているのが種牡馬なのだ。
中でも今年3月に生誕30周年を迎えたサンデーサイレンス、つまりディープインパクトの父は13年連続リーディングサイアーという記録を持つ稀代の名種牡馬だった。このサンデーサイレンスの歴史と種つけから日本の男も学べることがあるはずでは…。
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サンデーサイレンスは1986年3月25日、ケンタッキー州で生まれた。実は幼い頃に2度、死にかけている。1度目は病気で、2度目は輸送中の事故で。この事故の際、一緒に輸送されていた他の数頭は助からなかった。1頭だけが生き残ったという事実は、精子の宿命そのものを思わせ、極めて暗示的だ。
強靱(じん)な生命力を見せたサンデーだったが、評判は最低だった。オーナーは何度か売却を試みた。前述の事故もオークションに連れていかれた帰りに起きたものだ。
何しろ見た目は悪いし気性は荒い。おまけに血統が悪かった。父(ヘイロー)は一流の種牡馬だが、そんなのはサラブレッドとしてはまあ当たり前のこと。母系のほうが「過去に5、6代たどっても下級馬しか見当たらない貧弱きわまりない血統」(吉沢譲治『血のジレンマ サンデーサイレンスの憂鬱』)だったのだ。
ところが、いざ走り出したらサンデーはめちゃ強かった。通算成績は14戦9勝、2着5回。うちGⅠを6つ勝っている。
サンデーは種つけの時も相当激しかった
それでも彼の血統に対するアメリカ馬産界の偏見は根強く、種牡馬としての人気は上がりそうになかった。それを幸いと、現役時代から唾(つば)をつけていた社台ファームが引退と同時に買い取ったことから、日本の競馬に革命を起こす「種牡馬サンデーサイレンス」の活躍が始まるのだ。
サンデーの仔たちは全体的に早熟で強く、最初の世代(92年生まれの94年デビュー)が早速、皐月賞とダービーを勝ち、「サンデーサイレンス旋風」を巻き起こした(95年)。以降、13年連続リーディングサイアーという記録を打ち立てるのである。
そして、数多くの名馬を世に送り出したサンデーは2002年8月、16年の生涯に幕を閉じた。
では、サンデーサイレンスはどうしてこんなに種つけがうまかったのか? 本誌競馬ライター、浜野きよぞうはこう語る。
「サンデーは気性が荒くて厩務員を噛(か)み殺そうとしたり、現役時代には調教師を蹴り飛ばしたりしてましたから。種つけの時も相当激しかった んです。だから牝馬(ひんば)もものすごく興奮して、それがプラスに働いたんでは」
◆この続きは『週刊プレイボーイ』25号「“競馬界のビッグダディ”サンデーサイレンスは少子化対策の精神的切り札だ!」にてお読みいただけます!
(取材・文/前川仁之)