リオ五輪に“本職”の200mバタフライではなく、800mリレーで挑む松田丈志

“剥き出しのメッセージ”を刻む『週刊プレイボーイ』本誌のフォト&インタビューシリーズ『裸の伝言』。

今回登場するのは、競泳日本代表の松田丈志。「水泳人生の最終章」と語る、開幕を目前に控えたリオ五輪にかける想いとは?

まだ手にせぬ金色のメダルを掴むため、コンマ1秒を削ることに全身全霊をかけた男の口からは、予想外の、だが赤裸々な言葉がこぼれた――。

■「水泳人生の最終章」

人生の分岐点は、16歳の夏だった。

4歳で水泳を始め、小2の作文に「オリンピックに出たい」と書いた。文武両道の進学校に入学直後、日本選手権の自由形1500mで3位に。惜しくもシドニーオリンピック出場を逃すと、より水泳に集中できる環境を求め、ためらうことなく転校を決意した。

「32歳の自分なんて想像すらしなかった。10年後どころか、3年後のことすら考えてなかった。ただ目の前のことだけ。その瞬間の気持ちを大事にした気がします。“今、何がしたいんだ?”って考えたときに、水泳だって」

あの日、オリンピックに出たいと願った少年は、今、4度目のオリンピックに挑もうとしている。

「慣れた部分もあるのかもしれないですね。ただ、何度経験しても興奮する部分、緊張する部分はあります」

未来は不確かだが、ひとつだけ確定していることがある。

「5度目はない。オリンピックはこれが最後。僕の水泳人生とオリンピックはイコールに限りなく近い。リオには、もちろん金を獲りに行きます。僕の水泳人生の最終章だと思っているので、水泳人生をやりきりに、出しきりに行く」

水の中では年齢は関係ない

■「僕のベストレース」

4月の代表選考会、松田は“本職”と呼ばれる200mバタフライで4位に敗れ、リオへの切符を逃す。今五輪、出場種目は800mリレーのみだ。

「2バタ(200mバタフライ)で4位になった瞬間の感情は…悔しさより、寂しさに近い。やれるだけ、本当にやれるだけやった。それでもムリだった。だから後悔はない。ただ、バタフライではベストな泳ぎが、もうできなくなった。その時がついに来たんだという寂しさはありましたね。同時にロンドンの決勝の輝きが増した気がします。金は獲れなかった。だけどバタフライにおける、僕のベストレースだった」

もちろん、リオを目前に控え、その視線は前を向く。

「今の僕の2バタの実力を考えたら、8継(800mリレー)のほうが金メダルに近い」

だが32歳となった今、リレーメンバーはもちろん、ライバルも10歳以上年下の選手ばかりだ。

「正直、年齢を重ね、疲労の回復など、コンディションを整えるのは難しくなっています。ただ、それを衰えとは考えない。彼らよりも10年多くトレーニングを積んだととらえる。しかも、漫然と過ごした10年じゃない。トライ&エラーを繰り返した分だけ、年下の選手よりもノウハウは圧倒的に多く、状況や体調に応じ修正していく能力は、僕のほうが絶対に高い。もちろん水の中では、32歳だろうが、20歳も15歳も関係ないんですけどね」

リレーメンバーの小堀勇気らは、松田の4年前の名言を引用し、報道陣に「丈志さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と語っている。だが松田は、後輩の想いを、より大きな想いで包み込む。

「リオで同じセリフを、あいつらに言わせてやりたい。メダルを獲ってから言わないと、残らない言葉だから」

*この続きは、明日配信予定です!

■松田丈志(まつだ・たけし)1984年生まれ 宮崎県出身 ○4歳から水泳を始める。北京五輪男子200mバタフライで銅メダル、ロンドン五輪男子200mバタフライで銅メダル、男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得。「(北島)康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」の名言も残す

■撮影/大村克巳1965年静岡県出身 ニューヨーク・ソーホーのギャラリーデビューをきっかけに渡米。2007年には、草間彌生、杉本博らと作品展を開催。代表作は福山雅治15周年プロジェクト作品集『伝言』(集英社)など。ここ数年『NEWS ZERO写真展』を開催している

(取材・文/水野光博)